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浪人列伝  作者: 宮本護風
グランヴァール王国編
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第三十六話 逃亡

 鳴たちはすでにラマレア帝国の帝都ネプチュナスを出立していた。これは鳴の決断である。あの襲撃を受けて、早く帝国から離れるのが最善であると判断した。帝国に入国した時と同じように、マックスとブレフトが馬車の前方を、鳴とダブルオーが後方を護衛していた。

 鳴は、ポンパドゥール皇帝と別れてから、気味の悪い胸騒ぎをずっと感じ続けていた。うまく説明はできない。ただ、直感的にわかるのだ。ポンパドゥール皇帝の美しく、優しい外見は、その内に隠されている邪悪で、冷酷な本性を隠しているに違いない。鳴はそんな確信を抱いていた。

 そんな鳴の内面を看破していたのはダブルオーであった。彼は鳴の微かな表情の歪みを見逃しはしなかった。


「鳴様、どうかなさいましたか?」


 鳴の様子を怪訝に思ったダブルオーは恐る恐る鳴に話しかける。


「いや、ポンパドゥール皇帝の動きが読めなくて。彼女はおそらく我々に何か仕掛けてきます。しかしその肝心な動きが読めないので、今こうして帰国の途を早めているというわけです」


 実際、鳴たちの通行速度はとても早かった。ラマレア帝国入国の際の倍程度の速度であった。全く休憩はとっていない。それゆえこんなにも早く進めている。その所以は鳴の進言であった。鳴はこの帰還中にポンパドゥール皇帝が何かを仕掛けてくると確信していた。あの去り際に見せたポンパドゥール皇帝の様子が鳴の頭から離れなかった。そのあまりの不気味さから、鳴はただならぬ胸騒ぎを感じていた。


「そうですか。何もなければいいのですがね」


「おそらく私の杞憂で終わるでしょうよ。私の心配には何の根拠もありませんからね」


 鳴は笑いながらダブルオーの方を向く。それにつられてダブルオーも顔をほころばせる。




 しばらく何事もなく歩みを進めて、鳴たちがラマレア帝国とグランヴァール王国との国境線にさしかかろうとしていた。


「もうすぐで国境線ですね。やっぱり杞憂で終わってよかったです」


 鳴が肩の力を抜く。それをダブルオーは制した。


「まだ気を抜くのは早いですよ。ここは依然としてラマレア帝国領です。いついかなる脅威が来てもおかしくはありません」


 鳴はダブルオーの言葉に一理あるとも思いながら、今一度魔力探査を始める。すると即座に鳴の魔力に別の魔力が触れる。一度感じたことある感覚だ。鳴の体が微妙に動く。その動きをダブルオーは確かに認識する。


「どうしましたか!?」


「あいつだ。ルーカスが来ています」


「追撃ということでよろしいですか?」


「ええ、さらに速度を上げましょう」


 鳴はラッセルたちのいる馬車の中に駆け寄り、馬車の窓を軽くノックする。ラッセルが顔を窓から出す。


「どうした?」


「尾行者がいます。それも今回は生ぬるい偵察などではありません。明らかな追撃です」


「何だと!?」


 ラッセルが露骨に緊張した表情を浮かべる。


「もう少しで国境です。彼らに追いつかれる前に速度をさらに上げようと思います」


「それで逃れられるのか?」


「わかりません。ただ、やるしかないでしょう」


「……。そうだな。よし、それでは先を急ぐとしよう!」


「了解しました」


 鳴は馬車の中に入れていた頭を出して、前方にいるマックスとブレフトに向かって大声をあげる。

「マックス、ブレフト! 行動速度をさらにあげろ! 俺たちは追撃を受けている!」


「了解しました!」


 遠くから微かに二人の声が聞こえてくる。それと同時に、移動速度が早まる。今回ばかりは鳴としても不安を抱いていた。こんなにも少数の一行に、間違いなく大軍が押し寄せてくるのだ。敗北は避けられない。

 そんな鳴の心の中を見透かしたのだろうか。フィオナが鳴に声をかける。


「それってそんなに大変なことなの?」


「フィオナ、馬鹿を言うんじゃない。死ぬことすらある」


 ラッセルがフィオナを諭す。その声色には威厳のある、深刻さを物語るような性格があった。しかしフィオナはそれを意に介さず言葉を続ける。


「でも、鳴が守ってくれるんでしょう? だったらきっと大丈夫ね!」


「フィオナ……」


 ラッセルが状況の深刻さを理解できない我が子を哀れみ、慈悲の心を持って彼女を見る。しかし鳴の反応は違っていた。彼は微かな笑みを浮かべていた。


「そうだ。そうだよな。この俺がいるんだ。フィオナの言う通り、俺がいる限り皆さんには指一本触れさせないさ。ラッセル様に、フィオナ、それにキャロル。みんな守りきってみせる」


 鳴の表情にもう不安はなかった。今は自信しかない。鳴はそのまま自分の担当位置に戻った。




 あれからどれくらい経っただろう。鳴たちは依然として早い速度で移動を続けている。しかしまだ国境には至らない。鳴は背後から迫り来る魔力をひしひしと感じていた。徐々に強くなる魔力。いずれは追いつかれることは明白だ。そうだとわかっていても、今できることはただただ逃げるだけしかなかった。そんな様々な不利条件にもかかわらず、鳴は自信に満ち溢れていた。自分を信じてくれるフィオナの笑顔を思い出したら、そのまま自信が沸いてくる。


「今どの程度追いつかれていますか?」


 ダブルオーが鳴に問いかける。彼としては魔術を使えないから相手の接近具合がわからない。それゆえ、鳴に頼るしかないのだ。


「かなり近づいていますね。もう追いつかれるのも時間の問題かと」


「それまでに国境にたどり着くことは?」


「難しいでしょう。追いつかれるのは必至です」


 話す内容は危機感を募らせることであるのだが、鳴は素知らぬ様子で、淡々と話を続ける。そんな様子を見て、逆にダブルオーが危機感を抱く。


「追いつかれた時は、どうするつもりですか?」


「私が敵を食い止めます。その間にみなさんには逃げてもらいます」


「私にもその役目を……」


「ダメです」


 鳴はダブルオーの申し出をみなまで聞かずに拒否する。


「どうして!」


「今この中でこの一行を最適な形で先導できるのは、地形や経路を知り尽くしたスパイであるダブルオー以外にあり得ません。そして今この中で最も多数に対する対処法を持っているのは私でしょう。ダブルオーも確かに高い戦闘力を持っていることだと思います。しかしそれは一対一であるものだと考えます。そのような観点から言うと、この局面で敵を食い止めるのは私以外にあり得ません。この決断は私の犠牲心によるものではないんです。ただ、客観的に分析した結果がこれだっただけです」


 鳴の説明にダブルオーは何も言い返せない。ただただ鳴の提案を受け入れるしかなかった。ダブルオーが鳴を見つめていると、鳴は体をビクつかせる。


「きた! もうすぐそこまで迫っています! ダブルオー、早く先導して逃げてください!」


「し、しかし!」


「時間がない! 早く!」


「くっ! りょ、了解!」

 

 ダブルオーは前に出て、マックスとブレフトを先導してそのまま逃げていった。鳴はその場に留まり、彼らが逃げたことを見届けてから後ろを振り返った。




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