第三十三話 帝都遊覧
「ちょっと! 置いていかないでよ!」
フィオナが先を行く鳴やマックス、ブレフトの背に向かって叫ぶ。ラッセルの許可も得ることができた鳴たちは、鳴がマックスとブレフトにも呼びかけてネプチュナスの繁華街に繰り出していた。あまりにも人が多くて、鳴たち男衆はともかくキャロルやフィオナなど貴婦人がたには厳しいものがあった。人混みに飲まれてしまっては身動きが取れなくなるほどだった。先にさっさと行ってしまう鳴たちに置いてゆかれたキャロルとフィオナが3人のあとを懸命に追うが、最後には遠く離れてしまい、その度にフィオナが彼らを呼び止めるということがもうすでになん度も繰り返されていた。呼びかけられた鳴たちは足を止める。そのすきにキャロルとフィオナは3人に追いつく。
「もう! 何回目よ! 護衛してくれるんじゃないの!?」
「お前らが遅すぎるんだよ!」
フィオナと鳴の喧嘩が始まる。睨み合う両者をマックスが仲裁する。
「鳴さんも先先行きすぎなんすよ。もうちょっとフィオナ様やキャロルさんを気遣って差し上げましょうよ。お二方はか弱い女性なんですし」
「そうよ! あんたいいこと言うじゃない!」
「あんた呼ばわりっすか……。まあ自分1騎士なんで貴族の娘さんからそう言われることは仕方ないんすけど、辛いっす……」
マックスはしょんぼりと肩を落とす。そんな様子を見てフィオナはマックスに声をかける。
「あんた、名前は何て言うの?」
「マックスです」
「ふーん。鳴に諫言した功績の代償として、覚えておいてあげる」
「あ、ありがたき幸せ!」
そう言ってマックスは深々と頭を下げる。その様子を側から見ていたブレフトも口を挟む。
「とにかくこんなところで5人の人間が突っ立っていては往来の邪魔になります。お二人を我々が囲みながら先に進むとしましょう」
「ありがとうございます、ブレフトさん」
キャロルのブレフトへの感謝の言葉を聞いたフィオナが会話に割り込む。
「あんたはブレフトって言うのね。覚えておいてあげる。感謝なさい」
「は、はあ……」
ブレフトは若干引いてしまっている。顔が引きつっていた。
「分かったよ。護衛してやるからもう少し早く歩いてくれ」
鳴が止むを得ず護衛を自ら申し出る。これをいいことにフィオナはいつもの高飛車な態度を撮り始める。
「せいぜい私とキャロルを守ることね。そうと決まれば早速進みましょう! さあ、早く私たちを囲みなさい!」
マックスとブレフトはフィオナの態度に苦笑いで応じていた。鳴はため息をつき、露骨にうんざりしていた。そんな男性陣の様子を見て、キャロルも気まずさからとりあえず苦笑いするしかなかった。そんな紆余曲折があり、フィオナ率いる珍道中が始まったのだった。
「あっ! あれも見たい! こっちも面白い!」
フィオナの気ままな態度に一同は振り回される。さっきまでは雑貨店に興味を持っていたと思ったら、次は食料品売り場、今は宝石店に執心している。めまぐるしい展開に一同は頭が混乱しそうになるが、これはいつも鳴がやっていることなのだ。フィオナはどうやら好奇心旺盛という点で鳴と似ているようだ。
しかし鳴はそれに気づかずさっきからずっと不機嫌な表情を浮かべている。自分の思い通りにいかないからだろう。そんな鳴を鑑みて、宝石に夢中になるフィオナから離れてキャロルは鳴に駆け寄る。
「どうなさいましたか?」
「別に何でもない。いつもみたいに自由に動けないから面白くないだけだ」
「何でもないことないじゃないですか」
キャロルの指摘に鳴はきまりが悪くなったのだろうか、鳴は何も返事しなかった。
「私やソフィア様がいつも鳴様に振り回されていた気持ちがお分かりになりましたか?」
キャロルの鋭い指摘に鳴はハッと気づく。今までの自分の奔放な行動が二人に迷惑をかけていたのかもしれない。まさに今、フィオナが鳴にしているようにだ。それに気づいた鳴は言葉を失ってしまった。
「私やソフィア様も寂しかったのです。もう少し周りの方のことを考えられるようになると、鳴様はもっと素晴らしいお方になれます」
「ああ、すまなかった。これからも尽力する」
「私こそ出すぎた物言いをお許しください」
「いいんだ。客観的な諫言は役に立つ。それよりお前は宝石を見に行かなくていいのか?」
鳴の言葉にキャロルは恥ずかしそうに答える。
「いいんです。この前の鳴様のカルデブルグからの帰還の際に開かれたパーティーでネックレスをつけましたが、私には似合わないとわかりましたから」
「何を言っているんだ? よく似合ってたじゃないか。ほら、俺も似合うと思うやつ探してやるから、一緒に見に行こう」
鳴はそのままキャロルの手を引いて宝石売り場に歩いて行った。
「ちょっと鳴様!?」
キャロルは若干顔が赤くなっている。男性に手を引かれるなどという経験は初めてなのだ。無理もないだろう。
そのまま宝石売り場に着くと、鳴は物色を始める。
「俺はお前には赤い宝石のネックレスなんか似合うと思うんだよな」
鳴は赤い宝石のついたネックレスを手に取り、キャロルの首元に当ててみせる。
「やっぱりな。よく似合っている」
「そんなことありません……」
キャロルは顔が真っ赤になって、今にも沸騰しそうな様子になっている。
「どうしてそんなに否定するんだよ? おい、親父! このネックレスをくれ!」
「はいよ! おお、姉ちゃん、よく似合っているじゃねえか! 彼氏に選んでもらったのか?」
「鳴様は彼氏なんかじゃ!」
店主のおだてにキャロルは即座に否定する。
「ああ、この女は俺の侍女だ。彼女なんかじゃないぜ」
鳴がそれに追い打ちをかけるように店主に否定の言葉をかけた。キャロルは少々ムッとしてしまう。そんなに露骨に否定しなくてもいいではないか。少しでも鳴にも慌ててもらえるかと思った自分が愚かだった。そう思ってキャロルは仏頂面を浮かべていた。そんなキャロルの様子を見て店主はキャロルの心の中の思いに気づく。
「おい兄ちゃん! あんたまだまだ女心がわかってねえな!」
「何がだよ? ほらよ、これで足りるか?」
「ああ、毎度あり。ちょっとは女心も勉強するこったな」
そのまま店主は奥にはけて行った。鳴には店主の言葉の意味が最後までよくわからず、首を傾げていた。
「次に行くわよ!」
フィオナの号令が高々と鳴り響いた。
「お姫様のお呼びだ。行くぞキャロル」
「はい、あとそれとありがとうございます。こんなにも高い宝石を買っていただいて」
「いいんだよ。いつも俺の世話をしてくれているお礼だ」
鳴とキャロルが宝石店を後にしようとすると、鳴の目に青いピアスの姿が飛び込んできた。鳴は思わず足を止めてしまう。そのピアスは鳴の心を射止めてしまった。鳴の様子を不審に思ったキャロルが思わず尋ねる。
「どうかしましたか?」
「このピアス、ソフィアに似合うと思うんだ。どうだろう?」
キャロルはそのピアスを手に取り、じんまりと眺める。
「そうですね。よくお似合いになると思います」
「買って帰ってやろう。あいつにもお土産がなかったら、多分機嫌が悪くなるかもしれないからな」
そう言って鳴はそのピアスも購入してしまった。
「あいつ、喜んでくれるかな?」
鳴の脳裏にはソフィアの喜ぶ姿が現前していた。鳴がそんな思索にふけっていると、前の方から声が聞こえてくる。
「ちょっと、何やってんのよ!? 早く来なさい!」
フィオナの号令がかかった。鳴はハッと我に帰る。
「フィオナ様がお呼びです。鳴様、急ぎましょう」
「全く、いつまでもやかましい女だ」
鳴はキャロルに諭されて渋々フィオナの元へ急いだ。そんな不満そうな表情を浮かべながらも、鳴はソフィアに似合いそうなピアスを買えたことが嬉しくて、嬉々としていた。これから訪れる苦難になど思いもよらずに。
あれから鳴がフィオナ達と合流し、しばらく街を歩いていると、もうすっかり日が暮れそうになっていた。あたりの人だかりも消えつつある。真っ暗になる前までに帰らなければ、フィオナはラッセルに怒られてしまうだろう。
「もう日が暮れそうだ。早く帰らないとラッセル様も心配するだろう」
「ええ!? もうそんな時間!? 後もう少しだけ!」
「いけませんよ、フィオナ様。あなたの身に何かあってはどうするのですか?」
鳴の諫言にキャロルも同調する。側から聞いていたマックスとブレフトも大きく頷いている。それを見たフィオナはしょんぼりした表情を浮かべる。
「交渉が終わったら、また一緒に行ってやるから、そんな顔すんなよ」
「本当に!?」
「ああ、本当だ」
「じゃあ今日はこれくらいで帰ってあげる。約束よ!」
フィオナの表情に光が戻った。全く単純な女だ。意気揚々と帰路につくフィオナを見ながら鳴は笑った。
これでフィオナの安全も確保できたと思ったその時、鳴の第六感が不穏な動きを捉える。楽しそうに談笑しながら歩く一同を差し置いて、鳴は歩みを止める。鳴が付いてきていないことに気づいたマックスが鳴に声をかける。
「どうしたっすか?」
鳴は目を閉じて黙っていた。返事をしないまましばらく時間が経つ。その後、鳴は静寂を打ち破るように刮目し、真剣な表情になる。
「明らかに不穏な動きがある。マックス、ブレフト、お前達は二人を安全に邸宅に送り届けろ。俺はそれを迎え撃つ」
「は?」
二人はキョトンとした表情を浮かべている。しかし鳴の真剣な表情から、嘘は看取れない。二人は鳴の言葉を信じた。
「それでは自分も行かせてください」
「ダメだ」
ブレフトの申し出を鳴は即座に却下する。
「お前達二人には、フィオナとキャロルを安全に邸宅に届けて欲しいんだ。もしもマックスだけに任せて、それすらも達成できなかったらどうするんだ。これは命令だ。異論は許せない」
「……。わかりました」
ブレフトが不本意ながら承諾した。
「話はこれで終わりだ。マックスにブレフト、頼んだぞ」
そう言い残して鳴は4人に背を向けて今来た道を引き返す。
「ちょっと、あんたはどこに行くのよ!?」
「決まっているだろう? 奴らを倒しに行くんだよ」
「ダメよ! 死んだらどうするのよ!?」
「それが護衛というものだ」
はじめこそ威勢良く鳴を引き止めたフィオナであったが、鳴の淡々とした、そして筋道の通った返事を受けて言葉に詰まってしまう。鳴はそのまま先に進んでいこうとする。何も言わずに立っていたキャロルは不意に言葉を発する。
「鳴様!」
その叫びは鳴の足を止める。鳴はしかし振り返らない。
「ご武運を祈っております。何卒ご無事で」
「ありがとう」
鳴はキャロルの言葉を背中で受け止める。次の瞬間、鳴は走り出した。
「鳴!」
フィオナは鳴を追いかけようとする。しかし、それは制された。それを制したのはマックスでも、ブレフトでもなかった。それはキャロルだったのだ。
「ちょっと、離しなさいよ! どうしてキャロルが追いかけないのよ!? 大切なご主人様じゃないの!?」
フィオナはキャロルの腕を振り払おうとするが、フィオナの腕を強く掴んだその手は離れることがなかった。フィオナがキャロルの目を見ると、その目には強い意志が湛えられていた。あまりの圧力にフィオナは言葉を失ってしまう。
「帰りましょう。マックスさん、ブレフトさん、護衛の方、よろしくお願いいたします」
キャロルの言葉を受けてマックスとブレフトは女二人を邸宅へと護衛し始めた。4人はただただ鳴の無事を祈るばかりであった。




