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浪人列伝  作者: 宮本護風
グランヴァール王国編
33/39

第三十二話 邸宅にて

 色々の支度を終えて、鳴はラッセルの部屋の前へと来ていた。鳴は恐る恐る扉をノックする。その音に、中にいるラッセルは気づいたようだ。聞き覚えのある声で、返事が聞こえる。


「鳴か、入ってくれ」


「失礼します」


 鳴が部屋に入ると、そこには椅子に浅く腰掛けるラッセルの姿があった。体を前に傾けており、肘を太ももの上に置き、手を前で組んでいる。いかにも深刻な考え事をしているように思えた。どんな重々しい話をされるのだろうかと、鳴は若干緊張しながらラッセルの元へと進む。


「そこに座ってくれ」


 ラッセルはそう言って自分の前にある椅子に腰掛けるように鳴に指示をする。鳴は言われた通りにその椅子にゆっくりと腰掛けた。

 ラッセルが大きくため息をつき、話す準備を始める。ラッセルはそのままゆっくりと口を開いた。


「明日の交渉のことで話がある」


 鳴はラッセルの言葉に軽く頷く。


「明日の交渉はカルデリア家の返還交渉だ。単刀直入に聞くが、カルデリアの捕虜を返還すべきかどうか、鳴はどう考えているんだ?」


 ラッセルはとても悩んでいるように思えた。目の下にはクマができていることに鳴は初めて気付く。ラッセルはグランヴァール国王の名代としてラマレア帝国に使者として入国し、交渉を受けることになっている。おそらくどのような決断を下せば良いかをずっと悩んでいて、夜も眠ることができなかったのだろう。彼の周りには自分の考えを客観的に評価してくれる人間がいなかった。それゆえ、自分の考えが間違っているどころか、正しいとすら思えず、この道中ずっと悩んでいたのだ。鳴はラッセルの考えを知らないが、自分の最善の考えを述べる。


「もちろん返還すべきでしょう」


「理由を聞いてもいいか?」


「もちろんです。理由は二つあります。まずはラマレア帝国と安定した関係を築くためです。現状では、我々は自国防衛のためとはいえ、カルデブルグ領をラマレア帝国から奪っていることになります。おそらくですが彼らは我々に良い心象を抱いていないでしょう。ここで捕虜返還を申し出が来たということはそれを望んでいるということ。その望みにさえも我々が背いてしまっては我々とラマレア帝国の関係はさらに悪化してしまうことでしょう。次に、カルデリア家の人間をグランヴァール王国領内に置いておくことは得策とはいえません。彼らはカルデブルグで圧政を敷くなど、我々の国家運営とは違う路線を歩んでおり、我々の考えとは一致しません。彼らがこの国いたところで、利益はない一方で、損害は大いにあります。彼らを我が国においたところで一体何の役に立つというのでしょう。たとえ捕虜という形であったとしても、彼らがいてもまさに百害あって一利なしと言わざるを得ません」


「ふむ……。お前の言いたいことはわかった。だが一つ問題がある」


「ジークフリートのことですね?」


「どうしてわかった?」


「ラッセル様が悩んでいることではそれくらいしか考えつきませんでしたので」


 ラッセルは鳴の聡明さに思わず苦笑いを浮かべてしまう。鳴はそんなラッセルを気にも留めず、自分の考えを述べる。


「ジークフリートもカルデリア家の人間ですから、もちろんラマレア帝国側は返還を要求してくると思われます。これにどう応じるかですが、もちろん答えは否です。彼はすでにカルデブルグ経営に十分すぎるくらいの成果を上げています。もはや彼の存在はグランヴァール王国にはなくてはならない存在です。それに彼を手放してしまっては、カルデブルグにおける求心力も低下してしまうでしょう。圧政とはいえ、これまでカルデブルグを統治していた名家カルデリア家の血を引くものですからね」


「お前の考えはわかったが、返還を拒否することが関係悪化を促すとは思わないか?」


「いえ、おそらく何ら影響はないでしょう」


「どうしてそう言い切れる?」


「カルデリア家の人間をラマレア帝国側が返還して欲しいのは、彼らに利用価値があるからです。彼らにはラマレア帝国の運営に関わる資格があるということです。しかし、ジークフリートは他のカルデリア家の人間とは対照をなしています。つまりジークフリートにはラマレア帝国のメリットとなるような要素がないのです。その上、彼はすでにグランヴァール王国に忠誠を誓っています。そんな人間をどうしてラマレア帝国が欲しがるでしょう。むしろそのような体制を変革させうるような存在は国外にいて欲しいはずです」


 鳴の論理だった説明にラッセルは感嘆の唸り声をあげる。鳴の弁舌は聴くものを納得させてしまう。いや、納得せざるを得ないほど論理的といったほうが正確だろう。


「私も同じようなことを考えてはいたが、お前の方が論理だった考察をしている。やはりお前に確認を取って正解であった。ありがとう」


「いえ、礼には及びません。私たちは立場は違えども、共にグランヴァール王国に尽くす人間ではありませんか。それに、ここ数日間、ラッセル様は交渉での決定にお悩みになって、夜も眠れない生活を送っていらっしゃったようですので、力になれて幸いです」


「なっ!? どうしてそれを?」


「目の下の隈を見ればすぐにわかりますよ。それでは私はこれで失礼します」


 鳴は笑いながらラッセルの部屋を後にした。飄々とした態度でありながら、その隙に鋭い考察を行う鳴にラッセルは舌を巻いていた。


「ふっ、抜け目のない男よ」


 ラッセルは鳴の力に感服すると共に、恐れも抱いていた。今回話し合ったことで、鳴が相当の切れ者であることが改めてわかった。それに加えて魔術も使えて、剣術もアレクセイすらを凌駕してしまうのだから相当だ。彼が敵に回るようなことがあってはいけない。ラッセルは鳴の懐柔を心から決めるのであった。





 鳴は一息つこうとして自分に割り当てられた部屋へと向かった。明日は交渉当日だ。疲れるに違いない。今のうちにしっかり寝ておこう。そう思った鳴は部屋に入った瞬間にベッドに飛び込もうとする。しかし鳴の計画は脆くも崩れ去った。そこにはキャロルとフィオナの姿があった。鳴は露骨に嫌そうな表情を浮かべてしまった。


「キャロルはともかく、何でお前がいるんだよ」


「何よ! 私がいちゃ悪いって言うの!?」


「フィオナ様、鳴様はそんなつもりで言っているのではありませんよ?」


 キャロルが鳴の気持ちを代弁しようとしたが、鳴はそれに反駁する。


「いや、俺はそのつもりで言ったんだが」


「何ですって!?」


 例の通り、バカにされたフィオナは顔を真っ赤にして怒っている。今にも頭が沸騰して耳や鼻から蒸気が出んとするばかりの勢いだ。キャロルは自分の出した助け船が逆に鳴に追い返されてしまったことに頭を抱えている。


「冗談に決まっているだろう? で、何の用だ?」


 鳴はフィオナを茶化すのをやめて、二人の用件を真剣に聞こうとする。冷静さを取りもどした鳴の一方で、フィオナはまだ怒りが収まっていないようだ。とてもフィオナに用件を述べるような余裕はなかったので、キャロルがそれを察知して用件を述べる。


「実は私たち、ネプチュナスの市場に行ってみたくて。しかし乙女二人で見ず知らずの街を出歩くのは安全面の問題からも少々気が引けてしまって。そこで鳴様に護衛を頼めないかお尋ねしようと思って来ました」


 キャロルの口から発せられた言葉。そう、『護衛』だ。鳴はすでに護衛にうんざりしていた。ようやくその任から解放されると思っていたのに、また頼まれてしまった。二人がネプチュナスを見て回りたい気持ちはとてもよくわかる。鳴としても、ネプチュナスを見物することは魅力的であった。しかしその魅力に与るためには護衛という厄介な任務を引き受けなければならないのだ。鳴はこの二つのジレンマに悩んだ。どちらを取るべきか、非常に難しい問題であった。

 しばらく鳴が考え込んでいると、冷静さを取り戻したフィオナが鳴の様子を不安げに伺っていた。フィオナは鳴に恐る恐る尋ねてみる。


「ダメなの……?」


 普段の強気な態度とは打って変わって、まるで何かを望む小動物のようないじらしい様子を見せる。これを鳴としてもなおざりにするのは気が引けるように思えた。そこで鳴は一つ提案をする。


「ダメというわけじゃないが、俺一人で二人を護衛するのは荷が重い。俺としてもこれまでの任務で疲れているからな。そこでだ。マックスとブレフトを誘ってもいいか? 護衛が3人いれば、俺たちがいくら疲れているからと言って護衛が適当なものになることは避けられるだろう。どうする?」


 鳴の提案を聞いた二人は顔を見合わせて笑顔を浮かべる。


「それはいいですわね。人数が多ければきっと楽しいものになりますわ。ねっ、フィオナ様?」


「そうね! 街にも出られるし、文句はないわ」


 二人が鳴の考えに同意したところで、鳴がフィオナに確認を取る。


「ちょっと待て。フィオナはネヴィル家の娘だ。父上に許可を取らなくてもいいのか? 何かあってはグランヴァール王国の一大事だ」


 これにはフィオナが少しギクッとした表情を浮かべる。


「いや、それは……。その……、ええっと」


 フィオナは歯切れが悪い。鳴とキャロルがその素振りから許可をラッセルにとっていないことが分かった。


「取っていないようだな。待っててやるから、今からとってこい。その間にマックスとブレフトを呼んでおくから」


「そんな! ダメって言われたらどうするのよ!」


「大丈夫ですよ、フィオナ様。私もついて行って差し上げますから」


 キャロルがフィオナをなだめながら部屋を後にしてラッセルに許可を取りに行った。ひととおりフィオナと鳴が関わったところで、鳴はあることに気付いた。フィオナの態度が明らかに軟化している。キャロルとも仲良くなっているし、鳴に対しても露骨に辛辣な態度を取らなくなっている。


「あいつとキャロルの間に何かあったのか?」


 鳴はそう言いながら、マックスとブレフトの部屋へと向かった。






 ラッセルに許可をもらいに行くのにキャロルとフィオナが廊下を歩いている。キャロルがニコニコと笑顔を浮かべているフィオナに話しかける。


「何だか嬉しそうですね?」


「そうに決まっているじゃない! だって天下の大都市ネプチュナスをこの目で見られるのよ!」

「とか言って、本当は鳴様と一緒にお出かけできるのが嬉しいんじゃないですか?」


「そそそそ、そんなことないわよ! 何言っているのよ、バカなこと言わないで!」


 フィオナが急に慌てた態度を取った。この態度から考えると、フィオナは鳴に対する評価を改めつつあるようだ。


「ただ、ちょっと私も何も知らないのにあいつのことを勝手に判断していたのは悪かったな、って思って……」


 フィオナが歯切れ悪く続ける。フィオナは素直に返事ができないのだ。そこでキャロルはさらにフィオナをからかってみる。


「私のことも初めは嫌いでしたよね?」


「嫌いっていうか、初めはキャロルがどんな人かわからなかったからちょっと抵抗を感じていただけよ。嫌いだったなんて心外だわ」


「で、今は大好きだと?」


「そんなこと言ってないわ! 勝手な想像しないで!」


 やはりフィオナはキャロルの質問に顔を真っ赤にしながら、自分の感情に反する形で答えてしまう。本当はキャロルのことを大切な友人だと思っているのに。フィオナは本当に素直ではない。そんなフィオナをキャロルは微笑みながら見つめていた。





 しばらく歩いていると、ラッセルの部屋の前へと到着する。先ほどまではキャロルとの会話で意識を逸らすことができていたが、いざラッセルの部屋の前にたどり着くと、フィオナはやはり緊張してしまう。ネプチュナスを回ることを許可されなかったらどうしよう。そんな不安がフィオナの中で渦巻く。そんなフィオナの不安を喝破したのだろうか、キャロルがフィオナの両肩をそっともつ。


「大丈夫ですよ。鳴様がいるって言ったらきっと許してくださります」


 フィオナはキャロルの言葉に大きく首を縦に振って応じる。そのまま勢いよくラッセルの部屋の扉をノックする。


「入ってくれ」


 中からラッセルの声が聞こえてくる。フィオナは先ほどの勢いのままでラッセルの部屋の扉を開ける。


「失礼します、お父様」


 フィオナの突然の来訪にラッセルは驚いたような表情を見せる。だが父親としての威厳を保つためにラッセルはすぐに冷静さを取り戻す。


「おお、フィオナか。キャロルも一緒に一体どうした?」


「今からネプチュナスを見て回ってきてもいい?」


「何だと?」


 ラッセルはフィオナの言葉に耳を疑う。フィオナには異国の地を歩き回ることがどれほど危険なのかが分かっていないのだろうか。これまでしっかりその辺りに関しては言い聞かせてきたし、今までそんな興味を示すこともなかった。ラッセルはやや戸惑いながら禁止の言葉をかけようとしたその時、キャロルの言葉がそれを遮る。


「鳴様が護衛にいらしてくれます。それにマックスさんにブレフトさんもです。そんなに大勢の人たちに囲まれていてはフィオナ様に危害は出ないかと思います。微力ながら私もお付きしようと思っています」


 ラッセルが鳴の名前を聞いた瞬間、ラッセルは態度を軟化させる。


「鳴が付いて行ってくれるのか? ならばよかろう」


「本当に!?」


「ああ。ただしフィオナ、行動にはくれぐれも気をつけるんだぞ?」


「分かっているわ! じゃあ行ってきます!」


 あまりの嬉しさにフィオナはそのまま部屋を飛び出してしまう。それをキャロルが慌てて追いかけようとしたが、ラッセルがキャロルを引き止める。


「キャロル」


 急な呼びかけにキャロルは不器用に体を止める。何を咎められるのだろうか。恐る恐るキャロルはラッセルの方を振り向いて返事をする。


「どうなさいましたか?」


「フィオナの初めての友人になってやってくれてありがとう。あんなにも生き生きした娘は見たことがない。これもお前があの娘の友達になってくれたからだ。手のかかる娘だが、これからもフィオナを見捨てないでやってほしい」


 キャロルは想定とは違ってラッセルにお礼を言われた。ラッセルの表情には落ち着いたような、どことなく安心したような様子が写っていた。娘への心配が解けたような、そんな安らかな表情であった。


「はい。フィオナ様はもう私の大切なお友達ですから。それでは失礼します」


 キャロルは一礼してラッセルの部屋を去った。ラッセルは何も言わずに黙って頷いていた。

 

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