第三十一話 ネプチュナス入城
あれから数日、鳴一行はカルデブルグを出立し、すでに三日が経過しようとしていた。ラマレア帝国にはすでに入っており、今日中には帝都ネプチュナスにつく運びになっている。ダブルオーも一行に加わってくれ、常に警戒心を働かせている。しかし、もはやそれには及ばない。尾行の影は完全に消えている。少なくとも、鳴の魔力探知にはかかっていない。カルデブルグを出立してからは順調そのものだった。
鳴とダブルオーは二人で馬車の後方の護衛に当たっていた。マックスとブレフトはこれまで通り前方を担当している。隣にいるダブルオーが鳴に疑念を呈する。
「何もありませんね」
「ええ、何もなさすぎます。まるで嵐の前の静けさのようだ。何か悪いことが起こる前兆でなければいいのですがね……」
鳴の不安は日増しに高まっていた。カルデブルグを出発した当初は何か問題も起こるだろうと思っていたのに、予想に反して全く何も起こらなかった。あまりにも静かすぎた。平穏すぎたのだ。もちろん、平穏であることに越したことはない。しかしその平穏さが不自然なものなのだ。普通なら平穏だと言っても幾らかの問題は、このような護衛、それに国外におけるものでは、必ず内包されている。それなのに、一つの問題も起こらない。思い出せと言われても、それに該当する出来事がないのだから、思い出すことすらできない。
「何か起こると思っておいたほうがいいですね。最大限の警戒を私も敷きます」
「ええ、お願いします。ダブルオー」
そんな会話を交わしているうちに、鳴一行はネプチュナスへと入る門の前に差し掛かっていた。
門を前にして、ラッセルが馬車から降りて開門の手続きに入る準備をする。ここでも鳴たちは何が起こってもいいように、最大の注意を払う。
「止まれ! 何者だ!」
ネプチュナスの門番二人が手に持つ槍を二人で交差させて、鳴たちの行く手を阻む。馬車からおもむろに降りたラッセルが堂々とした態度で門番の前に立つ。
「グランヴァール王国国王、クラウス=ルードヴィヒ=グランヴァールの名代、ラッセル=ネヴィルである! この度は、ラマレア帝国皇帝陛下の交渉の申し出を受けて、この帝都ネプチュナスに馳せ参じた次第である!」
堂々として、なおかつ威圧的なラッセルの態度に、門番たちは腰が引けてしまう。ラッセルはそのまま言葉を続ける。
「これが正式な文書である! 確認されよ!」
ラッセルは懐から国書を取り出し、門番二人に検分させる。一通り分析が終わると、二人は上の門の開閉を担当する役人に対して大声で呼びかける。
「すぐに門を開けろ!」
役人は門番の命令に従い、即座に門の上にある車輪のようなものを回し始める。ゆっくりと門が開き始める。これで一安心だと、鳴は胸をなでおろした。
門が開いている間に、門番たちはラッセルに弁解をする。
「先ほどはグランヴァール王国の使者の方だと分からずに、飛んだ無礼な言動をしてしまいました。どうか許していただきたい」
「構わん。二人は帝都を守ろうとしてそのような行動をとったのだろう。当然の行動ではないか。その忠義の心、忘れるなよ」
ラッセルの実にスマートな対応に、門番二人は息を飲んだ。こんなにも寛大で、二人を許すどころか、褒めてくれる人がいるのか。そんな風に息を飲んでいるようだった。鳴もラッセルの対応に感嘆した。本来高い地位に立った人間は傲慢になりがちだ。それを踏まえるとラッセルは謙虚であり、鳴も見習わなければならないと思った。
「それでは、どうぞお通りください」
「うむ、恩に着る」
門番は毅然とした表情から、笑顔へと転じて、ラッセルらを歓迎した。鳴はラッセルの元へ駆け寄った。
「ラッセル様、すごいですね。私ならあんな対応できっこないですよ」
「力を持つ者の義務だろう。力がある立場にいるからこそ、一層謙虚に生きることを心がけなければならない。案外難しいのだがな」
ラッセルの言葉には説得力があった。地位が高くなっても人間本来のあり方を忘れてはいけない。帝都に入るに際して、鳴はラッセルの新たな一面を知った。
ネプチュナスに入ると、そこは非常に賑わっていた。市場は人々で溢れかえっており、鳴たちが進むために先導してもらっている騎士団に間を開けてもらわねばならないほどであった。それをしてもらってもようやっと進むことができるレベルだ。鳴は市場の店に目を配ると、そこには見たこともない物産が陳列棚に置かれていた。美しいガラス細工、赤や青に輝く宝石のネックレス、見たことないラマレア帝国原産の作物や料理。16世紀ごろイランで栄えていたサファヴィー朝の首都、イスファハーンが『世界の半分』と称されたが、イスファハーンもまたこのようであったのだろうか、いや、これはイスファハーンを超えているのではないかなどと考えて一人で心踊らせていた。
「楽しそうですね」
隣でダブルオーに語りかけられる。浮き足立っている様子を見て、彼は鳴のことを戒めたいのだろうか。護衛中にも関わらず、他のことに意識が向いてしまう鳴は、常に任務の遂行を最優先にするダブルオーにとってはけしからんものであった。
「いや、こんなにも物珍しいものがあっては興奮せざるを得ないですよ。ダブルオーは気にならないのですか?」
「ええ、全く。今私に求められているのは鳴さんたちを安全に護衛することですから」
「うっ、そこを突かれると痛いですね」
「でしたらもう少し任務に集中してください」
ダブルオーの耳の痛い言葉を受けて鳴は渋々任務に集中しようと試みる。しかし鳴が好奇心旺盛であることを今更変えることなどできない。鳴は必死に周囲の誘惑から意識を遠ざけようとするが、うまくできない。気づいたらもう意識が市場の光景に持っていかれるのだ。鳴のそんな様子を見て、ダブルオーはもはや諦め、自分が鳴の分まで護衛をすることにした。
「本当にすごい。王都ヴェルタスもこの賑わいにはかなわない。いつかグランヴァール王国もこのような繁栄を見せる大国になってほしいものです」
「なってほしい、ではなく、鳴様がするのでしょう?」
ふと馬車の方から女性の声が聞こえて、鳴は馬車の方を見る。馬車の窓が開いていて、そこからキャロルが顔を出していた。
「キャロル、危ないから頭を馬車にしまっておけ」
「私だってこの光景を目に焼き付けておきたいのです。少しぐらいいいではありませんか」
「ダメだ。お前にもしものことがあったらどうするんだ」
「わかりましたよ。直せばいいんでしょう?」
キャロルは頬を膨らませながら渋々頭を馬車の中にしまう。
「でも私は鳴様がグランヴァール王国を変えると信じていますよ?」
キャロルからは大きな期待を寄せられているようだ。そのままキャロルの頭は馬車にしまわれた。
「大きな期待を寄せられていますね。鳴様」
ダブルオーはニヤニヤしながら鳴の顔を覗き込む。鳴は褒められた喜びから顔を赤くするが、悟られないようにとっさに顔をそらす。
「うるさいですよ! ダブルオーだって任務に集中していないじゃないですか!」
「それを言われては手厳しいですね。それでは任務に集中するとしましょう」
ダブルオーはまた任務に戻った。鳴も任務に戻ろうとしたが、キャロルに褒められたことが嬉しくてしばらく心が上の空になっていた。そのまま鳴たちはどんどん皇帝のいる場所へと進んでいった。
しばらく進んでいると、市場を抜けて皇帝や貴族の居住区に入った。ここにはもはや庶民の姿はない。厳重な警備を過ぎたあたりから庶民の姿が消えたことを察すると、ここには庶民は暮らすことはおろか、入ることすらもできないのだろう。この国では厳格な身分秩序制度が成立しているようだ。
もう少し進んだ先で、先導していた騎士団が足を止める。それに伴って鳴たちも動きを止める。騎士団長と思われる人物はおもむろに口を開く。
「ここが本日皆様に宿泊していただくところになります。このすぐ隣の宮に皇帝陛下はおわします。明日はそこで皆様に皇帝陛下にお会いしていただきます」
鳴が隣の宮を見てみると、それは壮大な大きさを誇る巨大な邸宅であった。さすがは天下の大国だ。グランヴァール王国の王宮などとは比べることすらできない。鳴はその壮大さに圧倒されてしまう。
「本日過ごしていただくこの邸宅は、国外の使者様をもてなす場として最上級のものとなっております。中にはすでに何人もの使用人が控えておりますゆえ、不都合はないかと存じ上げます。万一何か不都合がございましたら、遠慮なく何なりとお申し付けください。それでは、本日はごゆるりと過ごしていただき、明日の交渉に臨んでください」
そう言い残すと、騎士団は宮へと去っていった。
「私たちも中に入るとしよう」
ラッセルの言葉とともに、鳴たちは邸宅の中へと入っていく。鳴が入ろうとすると、ラッセルが馬車から顔を出して鳴を呼び止める。
「鳴、諸々の準備が終わったら、私の部屋に来てくれないか?」
「かしこまりました」
鳴はラッセルの申し出を快諾して、邸宅の中へと入っていった。




