第三十話 カルデブルグにて
「着きましたよ。ここが鳴様のお部屋です」
ダブルオーに案内されたのは、最も立派な客間であった。カルデブルグがまだカルデリア家に治められている時に作られたものだから、非常に豪勢な作りであった。鳴は気後れせずにはいられない。
「この部屋、最高位の客をもてなす部屋じゃないですか! こんな部屋を使ってしまっては、ラッセル様に顔向けできませんよ!」
「それに関してはご心配なく。鳴様が我が主人とお話をしている間に、ラッセル様直々の申し出で、鳴様にこの部屋を使っていただくようにとお達しがありました。私などより、国家最大の功労者こそがこの部屋を使うに値すると、そうおっしゃっていました」
「そうだったのですか……」
「ではどうぞ、お入りください」
一歩部屋に入ると、鳴は思わずその豪華絢爛な作りに圧倒されてしまう。壁には色とりどりの模様が描かれており、備え付けられている調度品も、最高級のものであった。絨毯を踏みしめるとその品質の良さがうかがえ、ソファに座ってみるだけでも優しく包み込まれるような感情に浸るほどの包容力があった。
「これはすごいな……」
「お気に召されたでしょうか? それでは私はこれにて失礼します。ごゆっくりおくつろぎください」
「ええ、ありがとうございます」
ダブルオーが部屋を後にすると、鳴はソファから立ち上がる。こんな楽な生活に慣れてしまってはいけない。このような快適な生活に慣れてしまっては、いつもの生活に戻ってからが大変だ。やはりラッセル様に頼んで部屋を変えてもらおう。そう思った鳴がラッセルの部屋に向かおうとすると、ドアをノックする音が聞こえる。
「鳴様、キャロルです。今お時間よろしいですか?」
ドアをノックするのはキャロルであった。そう言えば、ジークフリートに呼ばれてあの場を後にしてから、キャロルをほったらかしにしていた。
「ああ、キャロルか。入ってくれ」
「失礼します」
そう言ってキャロルがドアを開けると、そこにはもう一人の女性の姿があった。そう、あの忌むべきほどに嫌味ったらしい女性。フィオナだ。
「で、何でお前もいるんだよ?」
鳴は思わずフィオナのような憎まれ口を叩いてしまう。
「キャ、キャロルに誘われて、仕方なくよ! 別に来たかったわけじゃないんだから!」
自分はこの場に来ることなど望んでいなかった。そう必死に弁解するフィオナ。その隣からキャロルがフィオナの言葉を代弁する。
「フィオナ様は安全を確保してくれた鳴様にお礼を言いたいんですよね」
キャロルが笑顔を浮かべながらフィオナの顔を覗き込みながらいたずらっぽく言う。その言葉を受けたフィオナが途端に顔をうち赤らめて、必死に抗議をする。
「ななな、何言ってんのよ! バカなことを言わないでちょうだい!」
「じゃあ何で来たんだよ?」
鳴がフィオナを問い詰める。鳴はおそらくフィオナの目的はキャロルが言った通りだとすでに気付いている。しかしこの面白い状況をもう少し楽しんでやろうと思った。鳴はフィオナをいじめ始めた。フィオナはこの部屋に来た別の理由を必死に考える。
「そ、そうよ! 本当ならこの部屋は私たちが使うのがふさわしいわ! どうしてあんたみたいな無位無官の人間が使っているのよ!」
もちろん鳴はこの理由が嘘だと見抜いている。その上で鳴はフィオナをからかう。
「そうなんだよ。俺もこの部屋は俺にはそぐわないと思っていたところだったんだ。あまりにも豪勢で落ち着けないんだ。お前もそう思っていたんなら丁度いい。代わってくれないか?」
そう言って鳴は早速部屋を移ろうとして荷物をまとめ始める。これにはフィオナは予想通り、慌て始めた。
「そうじゃない! そうじゃないのよ!」
「じゃあ何なんだよ?」
鳴が再びからかってやろうと思った時、フィオナが不意に俯く。その顔はさらに赤く染まっていた。
「……りがと」
「何だって?」
フィオナのはっきりとは聞き取れない言葉を耳にして、鳴は無意識に問い直す。これにムキになったのだろうか、フィオナは俯いていた頭を上げて、鳴の顔の前にずいっと寄って来て、鳴の目を見つめて、やや怒り気味で口を開く。
「だから、ありがとうって言ったのよ! 耳悪いんじゃない!? このばか!」
フィオナはそう言い残すとキャロルの腕を強く引っ張って部屋を出ようとする。
「フィオナ様、強すぎます! 鳴様、また後でお会いしましょう! それまでごゆっくり!」
「ああ、キャロルもご苦労様」
鳴が言い終わるまでにキャロルはフィオナに部屋の外に連れ出されていた。その後でしばしの静寂が訪れる。ほんの数秒、静けさであたりが包まれた後、鳴はポツリとつぶやいた。
「あいつ、面白いな」
それから鳴はベッドに横たわっていつものように魔術の練習にふけった。手のひらを握っては開き、それを繰り返す。これだけでも魔力訓練になるのだ。
ある程度準備をしてから、鳴は真剣な表情になる。無属性魔術を行使するのだ。
「よし!」
今度こそ成功させる。そんな強い決心が現れているような決意の言葉であった。いつものように魔力を手のひらに集中させる。手のひらで全属性が絡み合う。幾千となく経験して来たこの感覚。もはやその感覚は鳴の血となり肉となっていた。別段何か特別なことをしているという意識もなかった。
次に全属性の融合の手順に入る。ここがいつもうまくいかない。鳴は一抹の不安を抱きながら魔術を融合させる。
しかし、今回はいつもとは違う感覚を覚えた。何となく成功しているような気がする。鳴の確固たる決意のおかげだろうか。何としても成功させるため、鳴は一層手のひらに力を加える。
しばらく鳴の腕の中で拮抗が始まる。大抵なら、ほんの数秒で無属性の可否は決まるのに、今回は違った。もうかれこれ5分は融合と格闘している。これがどういう兆候なのかは鳴にはわからなかった。しかし、これが何か違いを生み出すと思えてならなくて、鳴は魔力を手のひらに送り続けた。
次の瞬間、手のひらの中であの小さな爆発が起こる。全属性の魔術の拮抗によって生じる魔力消失だ。また今回もダメだったか。そんな風にため息をついて、鳴は終わりもしていないのに気を抜いてしまう。しかし、気を抜くのはまだ早かった。腕の中でとてつもない力の反応が沸き起こったのだ。
「うわっ! 何だよこれ!」
あまりの強力さに、鳴は思わず腕を体から遠ざけてしまう。まるで自分の腕が引きちぎられるくらいの力のように感じられた。この魔力を制御することはできない。それを試みてしまっては俺の体が持たない。そう直感した鳴は魔力を外部へ放出する。どこがいいかを散々思案した末、鳴はこの魔力爆弾を外に面する壁にぶつけることにした。鳴は呻きながら魔力を壁に向かって解放した。
聞いたこともないような轟音が総督府中に響き渡る。それとともに、大地震とも思えるほどの振動が総督府全体を襲う。カルデブルグ中で地鳴りが起こり、地震が起こる。鳴は解放後にも魔術に耐えきれなくて、そのまま気を失ってしまった。
「おい、鳴! 大丈夫か!?」
体が大きく揺らされるとともに、耳元で叫ばれる大きな声のせいで鳴は意識を取り戻す。ほんの数分の間、鳴は気を失っていたことに気づく。目を開くとそこにはジークフリートがいた。先ほどまで鳴をゆすり、呼びかけていたのはこの男だったのだ。
「良かった! 無事だったのか!」
「ああ、何とかな」
鳴は頭を掻きながらまだおぼろげな意識で返事する。
「いったいこれは何事でござるか!?」
部屋の脇にはアレクセイとラッセルがいた。二人ともこの想定外の出来事に対応するためにここに来たように思えたが、未曾有の出来事に、明らかに動揺していた。
「あー、えっと……」
鳴は説明をしようとして、魔力を放った壁の方を見てみると、手のひらに収まるほど小さい魔力からは想像できないほどの結果が生み出されていた。鳴の部屋の壁が全て吹っ飛んでいたのだ。そこには一見魔術が行使された痕跡はなかった。物理的な力が加わっただけのように見えた。おそらく魔術師以外は、この様相の原因を理解できないだろう。鳴は自分の行為の帰結だとは理解しながらも、唖然としていた。
「一体これはどういうことだ?」
ジークフリートの質問に、鳴は答えを濁す。
「いや、ちょっとな。魔力の練習をしていたら、加減を間違えてしまって、壁をぶっ壊してしまった。申し訳ない」
一同は鳴の雑な説明を、ぽかんと口を開けて聞いている。適当すぎて理解できないのだ。しかし鳴が何かを隠したがっていることは少なくともわかった。
「そ、そうであるか。ならば仕方ありませんな。鳴殿は功労者なのですから、少々の失敗も許されてしかるべきでござる」
アレクセイが鳴に助け船を出す。これにラッセルも同調する。
「そうだ。何も気にすることはない」
立場の高い二人にこう言われてしまっては仕方がない。ジークフリートはため息をつきながら、鳴を見つめる。
「お前に何か隠したいことがあるのはわかったが、お二人の言葉に免じてそれは聞かないでおいてやる。ただ、こんな騒ぎをもう二度と起こさないでくれ」
「ああ、本当にすまない」
「さあ、別の部屋を用意するからそっちに移ってくれ。こんなところじゃ、寒くて夜も眠れないだろう」
ジークフリートはとんでもない粗相を起こした鳴に優しく対応する。これには鳴も感服する。並大抵の人間は、大失敗を起こした人間を許すことはできない。しかしジークフリートはそれを軽々とやってのけた。
ジークフリートはそのまま部屋を去ろうとする。その背中に向かって鳴は言葉を発する。
「ありがとうな。ジークフリート」
大きな背中が一瞬止まる。
「誰だって失敗する。だが、次はないからな」
ジークフリートは鳴の方を一瞥もせずにそう言い放ち、そのまま部屋を出て行く。いたたまれない空気になったので、アレクセイとラッセルも気まずそうに部屋を出て行った。
鳴は少し後悔した。無属性魔術の力を軽視していた。鳴は力を持つ者の責任というものを痛感した。使い方には十分気をつけなければならない。
そう気づく一方で、鳴は心踊らせていた。初めて無属性魔術が形になったのだ。これであとは無属性魔術を完全に使いこなすだけだ。そう思うと、新たな力の獲得に、鳴は興奮せざるを得なかった。




