第二十七話 楽しみの中の不穏
「でもほんとキャロルさんって可愛いですよねぇ……」
ほろよいのマックスがキャロルを口説きにかかる。それをキャロルは適当にあしらう。
「ええ、ありがとうございます。マックスさんも格好いいですよ」
「ほんとですかぁ? これは嬉しいなぁ!」
「グランヴァール王国の同じ一将校として本当に恥ずかしい……」
マックスの隣でブレフトがマックスに失望しながら頭を抱えている。そんなブレフトの落胆をよそにマックスは終始ニンマリとだらしない笑顔を浮かべている。
鳴たちは宿屋からほど近い酒場に入った。人気はあんまりなかったのですぐに食事にありつけそうと思ったことがその理由だ。賑わっている様子は確かになかったが、飯の味は悪くない。むしろ美味しいぐらいだ。野菜炒めやパエリアのような料理や、無造作に切った肉を塩胡椒でさっと焼いたものなどが机の上に置かれている。シンプルであるが、それゆえに美味といったところだろうか。
鳴たちが食事と談笑に興じていると、店主直々に料理を出しに来る。
「鶏ムネ肉の照り焼きだ」
店主は無愛想に皿を机の上に置く。そのまま何も言わずに厨房に戻り黙々と料理を作る。おそらくこの店が流行らないのは店主の態度のせいだろう。寡黙で無愛想なところが客に怖い印象を与えているのかもしれない。
「この鶏肉、とっても美味しいですよ!」
今しがた出された料理に手をつけたキャロルは手放しでその料理を賞賛する。鳴も手を伸ばしてみる。そのまま口に含むと、なんとも表現しがたい旨味が口の中で広がった。下味でつけたであろう塩胡椒、メインの味付けである醤油のような味がうまく調和している。
「これは確かに相当うまいな」
今店の中で食事をしている客たちは、こんな店主の腕に惚れ込んでこの店を贔屓にしているのだろう。鳴はこれまで王宮でしか食事をしてこなかったが、民衆もこんなにも美味しいものを食べているのかと舌鼓を打つ。グランヴァール王国は美食家が多いようだ。
こんなにも美味しい料理があると、自然と話も弾んでしまう。鳴自身も酒を少々嗜んでおり、若干いい気分になっている。そんな鳴は自発的に話を振る。
「しかし今日の護衛は疲れたな。外の守りが3人しかいないから、とてもではないが、目を配るのが大変だ」
「ほんとそうっすね。俺とブレフトは二人で前方を分担しているからともかく、鳴さんは一人で、それに後ろを担当していますもんね。疲れて当然っすよ」
「しかしたった一人でそんな大変な任務を成し遂げてしまうなんて、さすがは鳴さんだ。我々も見習わなくては」
「うふふ、すごいでしょう? 私の自慢の主人です」
「俺はすごくなんて……」
全員から褒められて、鳴は顔を赤くする。それをからかうようにキャロルは追い討ちをかける。
「最近攻撃魔術の学習も始められたんですよね?」
「ええ!? マジっすか? めちゃめちゃ難しいやつじゃないですか!?」
「私も幼い頃やってはみましたが、てんでダメでしたよ」
「その練習に必死で、鳴様は全然私とソフィア様の相手をしてくれないんですよ」
キャロルが鳴を非難の目で見つめる。これにはマックスが多少オーバーな反応をとる。
「ひっでぇ! こんなにも可愛い女性が二人もいるってのに、自分は賢者のようにお勉強ですって言うつもりかよ! 男の名が廃れるったらありゃしない!」
マックスは酔いも相まって、徐々に鳴と話すのに慣れてきたようで、敬語が混じらなくなっている。
「確かに少々愛想がないですね。もう少しお二人に配慮してあげてもいいのでは?」
ブレフトは相変わらずの堅物ぶりだ。酒を飲んでも全くボロを見せない。しかし表情でブレフトも鳴に友情を感じているように思えた。鳴は気兼ねなく話せる友人ができて本当に嬉しかった。陳腐な表現かもしれないが、そうとしか表現できなかった。笑顔の鳴はそのまま返事をする。
「そりゃあ、お前らと話しているより魔術の練習をしている方がずっと楽しいからだな。俺と遊びたかったら魔術の練習よりも楽しいことを見つけてきてくれ」
「な、なんてことを!」
鳴の意地悪な発言にマックスは目を見開いて抗議する。どうやら本気のようだ。マックスにはキャロルのような女性を放って置くなど、ありえなかった。それを目の前にいる男がやってのけるのだ。動揺するのも無理はない。ブレフトは何も言わずにただただ笑みを浮かべている。キャロルはクスクスと笑っている。
「そうですね。それでこそ鳴様ですね。俗物にとらわれず、ただただ飽くなき探究心に任せて学問や武道、魔術などを極める。そうでなければ鳴様ではありません」
「俺はキャロルさんに執心です!」
「マックスは少し黙っていろ」
マックスとブレフトの掛け合いは実に面白い。見ていて飽きがこない。むしろこっちの方が魔術よりも面白んじゃないかとか、そんなくだらないことを考えたりする。鳴は実に楽しい時間を酒場で過ごしていた。
そんな楽しい時間を破る者が酒場に入ってくる。
「全く、どこの酒場も混みすぎなんだよ! 死んじまえクソが!」
そんな汚い言葉を吐き捨てながら3人の柄の悪い男たちがズカズカと鳴たちのいる酒場に入ってくる。腰には剣を携えている。どうやら冒険者であり、彼らも誰かを護衛しているようだ。店主の許可も得ずに、近くの空席に彼らは我が物顔でどっかりと座り込む。足を机の上に乗せて、床には唾を吐き捨てる。周囲の客たちも、彼らの振る舞いについてヒソヒソを声をそばだたせながら話をする。柄の悪い男たちも自分たちが噂されていることに気づいたのだろうか、机の上に乗せた足を高く振り上げ、そのまま机に叩きつけて大きな音をあげる。
「なんだぁ!? 文句があるならデカい声で言えよ、この腰抜けどもが!」
「ゴタゴタ抜かしてやがると殺しちまうぞ!」
彼らの傍若無人な態度に、店主が痺れを切らす。店主が厨房から出てきて、彼らの元へと向かう。彼らの前に立つと、ボソリと一言だけ言った。
「他の客の邪魔だ。出て言ってくれ」
店主の言葉には妙に凄みがあった。寡黙ではあるが、この店を守り抜く、贔屓にしてくれる数少ない客を守り抜くと言う、そんな強い意志のようなものが感じられた。店主の矜持に、鳴たちは感心する。
しかし柄の悪い男たちは気にもとめずに椅子から腰を上げ、店主の前に立つ。
「俺たちも客だ、このバカヤロー!」
そう言うと、その男は店主を腕でなぎ払って横へと突き飛ばす。店主はそれなりに壮年であった。その力に耐えることができず、大きく吹っ飛ばされてしまう。
鳴は状況を見かねて思わず立ち上がって彼らに立ち向かおうとしたが、鳴が行動に移す前に、すでにマックスとブレフトが立ち上がって店主を暴行した男と椅子に座っていた二人のうちの一人の喉元に剣を突きつけていた。あまりにも早かった。鳴は二人の力を侮っていた。それゆえに二人がこのように素早い動きをするとは思えず、二人の動作を見逃してしまった。二人とも、相当の剣術家であったのだ。鳴はまだまだ周囲には強力なライバルがいるということを理解した。
鳴はそんな思索からハッと我に帰り、今すべきことに気づく。今すべきことはもう一人、剣を突きつけられていない男に剣を突きつけることだ。鳴は焦って目標に向かって剣を抜き、喉仏に突きつける。男たちは焦って頭を後ろにそらす。マックスは店主を吹っ飛ばした男に剣を突きつけていた。
「ここは酒場、みんなが集って楽しむ場所だ。その輪を乱すのなら、今すぐ出て行け」
マックスが先ほどのおちゃらけた態度から一変して、睨みつけるような厳しい視線を男に向け、ドスの効いた太い声で男たちを威圧する。店主に暴行を加えた男は額からたらたらと冷や汗を垂れ流し、歯をガチガチと鳴らしながら怯えている。ブレフトは何も言わなかったが、視線で殺せるほどの鋭利な目つきで淡々と男を見つめていた。
「わ、わかった! 俺たちが悪かった! 出て行くから許してくれ!」
男たちはそう言い残すと、そのまま直ちに酒場から走って逃げ出した。ことが無事に運んだことを確認した上でマックスとブレフトは剣を鞘に収める。鳴もそれに続いて剣を直した。
酒場はしばらく沈黙に包まれていたが、数秒としないうちに、他の客から拍手喝采が巻き起こる。
「すごいぜ、兄ちゃんら!」
「いい男ね、あんたたち!」
そんな賞賛の言葉があたりに飛び交う。諸手を挙げて頭上で大きな音を立てて拍手をする者、指を口にくわえて指笛を鳴らす者、鳴たちに絡んでくる者、様々なものがいたが、ただ一つはっきりしているのは、彼らは鳴たちに感謝しているということだ。鳴たちが戸惑っている中で、店主も3人の元へやってくる。
「ありがとよ。俺の店を守ってくれて」
寡黙で物静かな店主が鳴たちにお礼を言った。
「いえ、俺たちは当たり前のことをしただけっす」
マックスがもう元の口調に戻っている。いつもと同じおちゃらけた笑顔を浮かべている。
「あのような無礼者もいるので、これからも気をつけてください」
ブレフトは相変わらず真面目であるが、その表情には他者の役に立てたことを喜ぶような誠実な笑みが浮かんでいた。
店主も厨房に戻って同じように調理を続ける。3人も元の席についた。そこで待っていたキャロルが笑顔で出迎える。
「お疲れ様です。3人ともかっこよかったですよ」
「本当っすか? キャロルさんに褒められると照れるなぁ」
「マックスさんはずっとあんな真面目な感じならいいんです。もう少し真面目なブレフトさんを見習ってください」
「ずっとあれでいるのは疲れるんすよ! 勘弁してください!」
マックスの茶目っ気のある返答に一同は大きな声で笑う。再び宴が始まった。そんな様子を酒場の隅の席から観察している男と女がいた。
「あいつらを殺せばいいの?」
男は少年のような無邪気な出で立ちをしながら、それに似合わぬ発言をする。
「ばか、そんな物騒な言葉を使うんじゃないよ。ばれちまったらどうするってのさ」
その少年を姉御肌のような女が諌める。
「別にいいんじゃない? 俺たちならあいつら一瞬で殺せるし」
「そう簡単にはいかないと思うわよ。始めに出てきた二人には手こずりそうね。動きが俊敏で捉えるのが難しそう。でも、最後に出てきたあの背の低い男。ありゃだめね。遅すぎる。素人同然よ。場慣れしていないわね。あいつは私たちの相手ではないわ」
「せっかく今度こそ強い奴らに出会えるって聞いてワクワクしてきたのに、なんか期待外れだな。やる気なくなっちまったよ」
少年は物足りないというふうに大きく両手を上げて伸びをする。
「それじゃ、視察も終わったことだし、帰るとするかね」
女の呼びかけに応じて、少年は立ち上がり、二人は酒場を後にした。鳴とこの二人が相見えるのは、もう少し先のことだ。鳴たちは、迫り来る脅威の存在など知る由もなく、楽しそうに興じて、その夜は更けていった。




