第二十五話 移動
「って感じでさあ! 昨日の夜はホント最悪だったぜ!」
鳴は愚痴をマックスとブレフトにこぼしていた。あの忌まわしい会食から一夜明けた朝、鳴は出立の準備をすっかり終えてマックスとブレフトとともに馬に乗りながらラッセルたちがいる元へと向かっていた。鳴たちは白い軍服に身をまとっていた。
「ははは、そんなに最悪なら、護衛なんて引き受けなけりゃよかったっす」
「マックスの言う通りです。そんな貧乏くじを俺らに押し付けるなんて、鳴さんはひどいです」
「俺だって昨日知ったんだよ!」
マックスとブレフトはよくよく話を聞くとまだ18だったようだ。鳴よりも一つ年下というわけだ。この世界に来てから、鳴は気兼ねせずに付き合える同い年の男友達には巡り会えなかった。そんなさなか、彼らがそのくらいの年齢だと知った鳴は、彼らに親近感を抱いていた。
マックスとブレフトは鳴に司令官として率いられた経験から、鳴と気軽に話すことはできなかったが、鳴が今日の朝に二人に頼み込んで形式ばらない付き合い方を求めたのだ。始めた当初は非常にぎこちないものだったが、30分ぐらい続けていると、すっかり馴染んで来た。二人とも軽い敬語を使うまでに打ち解けて来た。
鳴は内心嬉しかった。男友達とくだらない話で盛り上がったり、バカなことをして遊んで来た鳴にとっては忘れ去られていた感覚を思い出すようで実に豊かな経験をしているように思えた。
「まあ、今回急に俺の護衛の協力を快諾してくれて本当にありがとう。本当に助かるよ」
鳴が改めて感謝の辞を述べて二人に頭をさげる。マックスとブレフトは二人で顔を見合わせて鼻から大きな息をする。
「当たり前でしょう? 鳴さんはグランヴァール王国の救世主ですよ? そんなお方の頼みを受けられるなんて光栄なことですよ」
「それに俺たちはもうそんな堅苦しい関係ではないっすよ? 鳴さんがいったんじゃないっすか」
「そうか。そうだよな! それじゃあ今日からラッセル様の護衛、しっかり頑張っていこう!」
「「おう!」」
3人はもうすぐラッセルの元に着くあたりまで迫っていた。
「おお、鳴か。そばに控える君たちが鳴の頼もしいお仲間だな? 今日から護衛の方、よろしく頼むぞ」
「ええ、お任せ下さい」
ラッセルが鳴に握手を求めて鳴に護衛の任務の実行を頼む。ラッセルはすでに馬車に乗っているフィオナに目を向ける。
「フィオナ、お前からもお願いするんだ」
フィオナは実に嫌そうな表情を浮かべながら馬車の窓から鳴たちを見る。
「せいぜい私とパパを守ることね。あんたの周りにいる男たちにもそう伝えるのよ」
「かしこまりました」
鳴は無感情な反応を見せた。もはやフィオナにまともに取り合うことは憚られた。しかしマックスとブレフトが黙っていない。ラッセルが馬車に乗り込んだ後でブレフトがポロリと愚痴をこぼす。
「あの野郎! 鳴さんに向かってなんて口の聞き方だ!」
「控えるんだ。相手は三大貴族のネヴィル家の人間だ。相手の気に触れたら、お前の身だってタダでは済まんぞ?」
鳴がブレフトの身を案じて忠告する。
「鳴さんがそう言うなら……」
ブレフトは不満そうにだが口をつぐんだ。マックスもブレフトの隣で顔をしかめている。二人に対するラッセルとフィオナの印象は悪いものとなってしまった。鳴はこれが護衛遂行に支障が出ないことを祈るばかりであった。
そんなさなか、新たに馬車が到着する。馬車が鳴たちの前で止まると馬車の扉がおもむろに開く。その馬車からは金色の髪をなびかせながら一人の女性が降りて来た。普段のメイド服とは違って、その身には可憐なドレスがまとわれていた。その場にいる全員が彼女の美しい姿に目を惹かれる。その女性は鳴の元へと近づき、スカートの裾を持ち上げて鳴に挨拶をする。
「おはようございます。鳴様」
「ああ、おはよう、キャロル。よく似合っているぞ」
「まあ、お上手なこと。ありがとうございます」
マックスとブレフトがキャロルに見とれていると、鳴が二人にキャロルを紹介する。
「紹介するよ。俺の侍女のキャロルだ。今回、俺が連れる女性として来てもらうことになったんだ」
「以後お見知り置きを」
こんなにも綺麗な女性が鳴の侍女だと聞いて、二人は目を見開きながら、あんぐりと口を開けていた。
「こ、こんな綺麗な女性を侍女にするなんて……」
「やりますね、鳴さん」
「別に何もやってねえよ。じゃあキャロル、あの馬車にラッセル様とその娘さんが乗っているから、そこに乗ってくれ。すぐに出発する手はずになっている」
「かしこまりました」
そのままキャロルは馬車に乗り込みに向かう。
「よし、それでは出発だ!」
鳴の掛け声で馬車は動き出す。鳴たちも馬に乗り、その後を続いた。
「しっかしあの女は一体何様のつもりなんだ」
出発から数時間たったが、ブレフトは未だにフィオナに対する怒りが収まらない。隣にはマックスが馬に乗っている。
今回の護衛では、ブレフトとマックスが先導して、鳴が馬車の後ろであらゆる危機に備えるという形式をとった。後部には一番危険が及びやすい。というのも後ろを見ることができないからだ。そうなれば後ろには一番の実力者が付くのが最善策である。鳴は一人で馬車を追っていた。
マックスとブレフトは馬車の前方でフィオナへの不満について論じ合う。
「ブレフト、もうやめておけ。鳴さんも言っていただろう? ブレフトがそのまま不満を言いつづけて、万が一罰されるようなことがあれば、その時に一番責任を感じるのは鳴さんだ」
「そんなもの、俺の責任に他ならないだろうが」
「そんなことは百も承知だ。鳴さんは優しい人だ。自分のためにフィオナ嬢の不満を言ってくれたと思ってしまうような人なんだよ。それくらいブレフトもわかるだろう?」
「ううむ……」
マックスの諭すような語り口調にブレフトは言葉に詰まる。マックスが論理的に話すような人間である一方で、ブレフトは少々感情的なきらいがある。
「とにかく、もうそろそろ不満を口にするのはやめておけ。そんな暇があったら、鳴さんがいかにすごい人なのかをあのお嬢様に認めさせるように、俺たちも頑張ろう」
「それはそうだが……」
ブレフトはマックスの言葉に応じて、そこから逆接でつないで、まだ不満を述べようとしたが、返す言葉はなかった。
一方、馬車の後ろでは、鳴が馬に乗りながら、無属性魔術の練習をつづけていた。いわば職務怠慢だ。鳴の欠点としては、物事にとらわれすぎるがあまりに、他のことへの集中がなおざりになってしまうことが挙げられる。今は護衛に集中すべきなのに。万が一賊が襲って来たらどうするのか。そんな不安がもしも周囲に誰かがいたら感じて、鳴を諌めることもあっただろうが、残念なことに、ここには鳴しかいない。咎める者は誰もいなかった。
馬車の中ではキャロルがラッセルとフィオナと相席している。ラッセルとフィオナが堂々としている一方で、キャロルはその身分を気にしてだろうか、妙に縮こまって何か遠慮をしているように見える。
「キャロルと申したな? そんなに畏まらんでもいい。何かフィオナと話でもしてやってはくれぬか?」
ラッセルが気を遣ってキャロルに声をかけるが、キャロルの緊張は解けない。
「い、いえ、少々緊張してしまって……。それに私のような身分の低い女が三大貴族のネヴィル家の方々とお話など、そんな恐れ多いことはとても……」
そんな遠慮がちなキャロルの姿を見て、ラッセルは笑顔でキャロルの気を励まそうとする。
「何を……」
「あんたの言う通りよ。よくわきまえているじゃない」
予想だにしない出来事が起こる。今までずっと馬車の窓から外の風景を見つめ、今馬車の中で起こっていることには全く興味がないようなそぶりを見せていたフィオナが突然口を開き、ラッセルの言葉を遮る。
「フィオナ、お前はまたなんと言うことを!」
「大丈夫です、私は気にしていませんので」
ラッセルは声を張り上げてフィオナに注意するが、キャロルは意に介していないとラッセルに気遣う。しかしキャロルのフィオナへの言葉は止まらなかった。
「フィオナ様、私を下に見るのは分かります。私は田舎村出身の田舎娘ですから。しかしどうして鳴様を蔑まれるのですか?」
キャロルの目はいつもの穏やかなそれではない。ラッセルに助言を与えた時と同じような、強い目をしてした。その目には確固たる意志が宿っており、何者にも屈さないと言う強い意志が読み取れた。この鋭い眼光に、フィオナは思わずびくりとしてしまう。しかしなんとかとりなしてキャロルに返事をする。
「それはあいつが立派な風体をしていないからよ。あの容姿からじゃ、本当にカルデブルグを占領した部隊を主導したとも思えないわね。だいたい、その話は本当なの? アレクセイが付いて行ったとは聞いているけど、アレクセイの手柄を自分のものにしたんじゃないの?」
「お戯れを。鳴様が嘘をつかない誠実な人であることを私は知っています。そのことはあなたの父君であるラッセル様が一番よくご存知ではないですか?」
キャロルの目はラッセルに向けられる。この鋭い目にラッセルも圧倒される。
「あ、ああ。確かに鳴が率いた。それに作戦立案者も鳴だった。彼にしかあの作戦は実行できまい」
「だそうですが?」
キャロルの視線が再びフィオナに向けられる。強い眼光にさらされることに耐えきれなくなったフィオナは思わず大きな声で叫んでしまう。
「全く何なのよ! 私に文句があるって言うの!?」
「ええ、そうです。私の主人が侮辱されるようなことは侍女として看過できません」
キャロルの凜としていて、同時にフィオナの内面を穿つような視線はフィオナを恐れおののかせる。早くこの厳しい視線から逃れたい。そんな思いでフィオナは投げやりに返事をしてしまう。
「ああもう、わかったわよ! あいつが私たちの護衛の任に当たっている間に、何か大きな功績を立てたら、あいつのことを認めてやるわよ! それで文句はないでしょう!?」
その言葉を聞いたキャロルはにっこりと微笑んだ。キャロルの狙いはこのことだったのだ。いかにしてフィオナにどんな形であれ、鳴を認めると言う趣旨の発言をさせるかが重要であった。たとえそれにどんな条件がついたとしても、鳴ならばそんな条件はやすやすと成し遂げてしまう。これでフィオナは鳴を認めざるを得ない。
ただ、一つ問題があった。それは鳴が最大限に力を発揮できる局面が求められるということだ。フィオナが求めたように、何か大きな功績が立てられるような局面。そんな状況はそうそうは起こらない。
しかし、キャロルはまあ大丈夫だろうと、楽観的な姿勢でいた。鳴は何かに取り憑かれているのではないかと思ってしまうほどの能力で偉業を成し遂げた。そう、カルデブルグ制圧によるグランヴァール王国救国だ。そんな鳴ならば、フィオナを認めさせるのに必要な出来事さえも引き寄せてしまうのではないかと思っていた。キャロルは漠然とした安心感を抱いていた。
依然として不敵な笑みを浮かべ続けるキャロルの様子を見て、ラッセルもフィオナも不審に思う。
「な、何がおかしいって言うのよ?」
「いいえ、別に何でもありません。気にしないでください。ただフィオナ様が、鳴様を認めていらっしゃるところを想像しているだけです」
「まだ認めるなんて言ってないわ! 功績を立てたらの話よ!」
「ええ、わかっております。ただ、そんな功績を立てることすら、鳴様にはたやすいことだと言うことをお忘れなく」
キャロルの言葉にフィオナは目を見開く。しまった。フィオナは自らの軽率な言動を省みて、過ちに気付く。あのキャロルの目は自分の動揺させるためのものだったのだ。その証拠に、今のキャロルの目は心優しく素朴で純真な印象を抱かせる、元の澄んだ目に戻っている。図られた。フィオナはラッセルの方を見た。どうやらラッセルもそれに気づいていたようだ。ラッセルも冷や汗をひたいから頬にかけて流している。ラッセルはキャロルの底の知れない様子に恐れすら抱いていた。このような機転のきく女が鳴の侍女となったのか。飼い犬は飼い主に似るとはまさにこのことかとラッセルは心穏やかではなかった。
二人が動揺する中で、キャロルは悠々と外の風景を眺めていた。
「今日はいいお天気ですね」
そんな当たり障りのないことをキャロルは言う。キャロルの元の戻りように、二人は唖然とした。




