第二十四話 会食
「さて、早速だが明日からの手はずについて話をしようか」
ラッセルは食事のテーブルについて開口一番、明日からの予定について話そうとした。テーブルの上には、初めてこの世界に来た時に、王宮で食べた食事と同じようなものが出ていた。元いた世界の食事で例えるならば、まるでフランス料理といったところか。このような豪勢な食事を食べるのは2回目だが、やはり普段食べないものなので、鳴は腰が弾ける思いで食卓に座っていた。
それゆえ、ラッセルが即座に事務的な内容について話してくれるのは鳴にとってはありがたかった。食事に意識を向ける必要がなくなり、鳴は食事に伴う粗相をせずにいられる。ソフィアとキャロルも鳴とラッセルの表情から事情を察したようだ。特に二人の会話を妨げようとせずにじっと落ち着いて座っている。
「もう概要はわかっているとは思うが、一応説明しておこうか。私は今回、ラマレア帝国に、捕虜として未だグランヴァール王国領カルデブルグに拘置しているカルデリア家一族を返還する交渉の使者として抜擢された。そこで、ラマレア帝国に向かうまでの間に、鳴に護衛をしてもらうことになったと言うことだ。ここまではいいな?」
「ええ、存じ上げています」
「よし。まあ何も危険なことはないのだとは思うが、念のためな」
ラッセルが悠々とした様子で話を続ける。まるで何の心配もないという様子でだ。
「ラマレア帝国に至るまでの予定としては、カルデブルグを通過して、そのままラマレア帝国の帝都のネプチュナスに向かう。カルデブルグまでは二日、そこからネプチュナスまでは三日というところだな。カルデブルグでは総督府に宿泊するが、それ以外の経路では宿場町の宿に泊まろうと考えている。ネプチュナスに到着したら、あとはラマレア帝国のもてなしを受けるだけだ。」
「なるほど。私は具体的には何をすれば良いのでしょうか?」
「何、難しいことじゃない。基本的には私たちのそばにいてくれるだけでいいのだ。万一賊が襲ってくるようなことがあったら、その時は撃退してほしい。まあ、まずないとは思うがな。今回の任務は旅行みたいなものだな」
「失礼ですが、そのような気の緩みが重大な失敗をもたらします。ラッセル様がそのようなご様子では周りにも悪い影響がでかねません。ご自重願いたい」
ラッセルの舐めた態度についにしびれを切らした鳴。鳴は鋭い目つきでラッセルを見つめている。まるで睨みつけるようにだ。ラッセルは思わずびくりとしてしまい、慌てて弁明をする。
「す、少しおどけてみただけだ。あまり真に受けないでくれ。全く、鳴は真面目すぎる」
ラッセルは若干呆れた様子で鳴が悪いかのように鳴を詰る。
「ところで、鳴以外の護衛は誰かすでに呼んではあるのか?」
「ええ、すでに整えております。この前のカルデブルグ強襲部隊から選りすぐりの二人を呼ぶ手はずはすでに整えていますので、ご安心を。二人とも、かなりの実力者なので、守りはさらに磐石なものになるかと」
鳴が呼んだ二人とは、マックスとブレフトであった。任務を国王から承った後、クラウドとともに図書館に向かう前に、軍事統括部から二人に嘆願書を送るように頼んでいたのだ。その日の夜に、鳴に返事が返って来たところ、二人とも快諾であった。
「そうかそうか! やはり鳴に任せて正解であった! それでは、明日からの護衛をよろしく頼むぞ! それではそろそろ食事にしようか!」
ラッセルの乾杯の音頭により、豪勢な食事会が始まった。
鳴たちは豪勢な食事を味わう。鳴は一度味わったことのある味だから、そこまで感動を覚えなかったが、田舎上がりのキャロルはこの味にとても感動しているようだ。何かを頬張るたびに目を大きく見開いて、それがいかに美味しいかを無意識のうちに表現している。鳴はこんなキャロルの様子をおかしく思いながら自身も食事を味わっていた。
「そうだ、大切なことを言うのを忘れていた!」
ラッセルが何かを思い出したかのようにはっと大声をあげる。一同は驚いてしまう。
「どうしたんですか?」
「それがな、こういう外交交渉の場にはお連れの女性を連れて行くのが慣例なのだ。ついては鳴にも一人女性を連れて来てほしいのだが……」
「連れて行かないわけにはいかないのですか?」
「それがそうもいかんのだ。なんせ昔からの慣習だからの」
何という無駄な慣例だ。いや、無駄どころか負の側面しか持っていない。定めた人間に文句を言ってやりたいくらいだ。もしも鳴が一人女性を連れて行くとしたら、ソフィアは王女だからその候補からはもちろん除外される。したがって、自動的に連れて行く女性は決定する。そう、キャロルだ。キャロルは王都でメイドとして暮らすという積年の夢をようやく叶えることができたというのにこんなくだらない慣例のせいで自分の身を危険にさらすことになるのだ。鳴はこのような事態は何としても避けたかったのだが、ラッセルの口ぶりから、そうもいかないようだ。
「誰か候補の女性はいるか?」
「ここにいるキャロルのみです」
「へっ!? 私!?」
鳴から指名を受けたキャロルは、豪勢な食事を食べる手を止めて、予期しなかった出来事に驚く。
「ああ、俺とともに来てくれるか? 何があっても守ってみせよう」
「わ、私などでよければ……」
キャロルの話し方からして、キャロル自身まんざらでもなさそうだ。ラマレア帝国に行くことをそれほどには嫌がっていない。むしろ楽しみにしている様子もうかがえる。グランヴァール王国以外の国を見て回れることに少々興奮しているようだ。まだ行くのは明日のことなのだが、もうラマレア帝国に思いを馳せているようだ。
「私は誘ってくれないのですね」
ソフィアは鳴の誘いを受けられなかったことを不満だと言わんばかりに、いたずらっぽい笑みを浮かべながら鳴を横目で見る。
「当たり前だろう。ソフィアは一国の王女だ。そんな尊い存在を軽々しく他国に出せるわけがないだろう。そもそも俺とソフィアの間で合意に達したとしても、そんなことは国が許すはずがない。その程度は分かっているだろう?」
「ええ、分かってますわ。ちょっとからかっただけです」
こんな二人の他愛ないやりとりを見ていて、ラッセルは嬉々として笑い声をあげる。
「ソフィア様は本当に鳴と仲が良いのですね。私の娘にも、このように仲の良い友人の一人でもできれば良いのですが……」
「娘さんがいらっしゃるのですか?」
鳴はラッセルに質問する。ラッセルは黙って頷いた。
「今回、私は娘を連れてラマレア帝国に行こうと思うのだ。ラマレア帝国ででも構わないから、そこで一人でも気兼ねせずに語り合える友人ができれば良いと思ってな。つまらん親の老婆心だ。笑ってくれ」
ラッセルは自嘲気味に自分の娘の境遇を鳴たちに紹介する。鳴はこういう話し方をされると困ってしまう。どう返せばいいのかがわからないからだ。そんなことはないと否定すれば、それはラッセルに反対する発言をしてしまうことになるし、そうだと同意してしまっても、それではラッセルの老婆心をくだらないものとして受け取っているということを示してしまう。鳴が反応に困っていると、これまでは積極的に発言をしなかったキャロルが口を開く。
「そんなことはありません」
いつも控えめなキャロルが今回ばかりは声を大きくしてラッセルに反論する。これにはラッセルも若干うつむいていた頭をキャロルの方に向けて居直る。
「親は常に子供には幸せになってほしいと思うものです。私の母が死んでから、私の父は、私がいなかったら、家事や食事はもちろん、生きて行くことさえままならなくて、幼い弟や妹もいるのに、私の王都でメイドとして働くという夢を叶えることを応援してくれました。お前がいなくてもやっていけると、笑顔で答えてくれて、ためらう私を後押ししてくれたのです。だからきっと、ラッセル様も私の父と同じような心境なんだと思います。子供のことを大切に思う親を笑う人なんていません。もしいたら、私が怒ってあげます!」
そう言って、キャロルは力こぶを作る仕草をした。突然に、雄弁に自分の考えを語ってラッセルを励ましたキャロルに、一同は唖然とする。しかしそれはほんの一瞬だった。
「ふふふふっ、あーっはっはっは!」
ラッセルは初めは笑いをこらえていたが、ついにはこらえきれず大声で爆笑してしまう。
「おとなしい淑女かと思っていたら、何と雄々しく話す女子だったことよ! いや、これは面白い!」
ラッセルの言葉に、キャロルは自分のした行いを省みて、乙女がすることではなかったと感じた瞬間、顔を真っ赤にして縮こまる。
「しかし、そなたのおかげで、元気が出た。自分のしていることは間違いではないのだと。子供を思うのは当然のことなのだと。私の親としてのあり方に自信が持てた。本当にありがとう」
「い、いえ、とんでもない粗相をお許しください……」
鳴は二人のやりとりを見て、微笑を浮かべていた。ラッセルはいつも自信があって、自分が間違っているはずがないというような雰囲気を浮かべているが、どこかには気弱な面もある一方で、キャロルは普段は自己主張や自信というものをのぞかせないが、いざとなれば自分の確固たる思いを雄弁に語る。そんな対照的な二人が豊かに交流し、ラッセルの不安を解き放った瞬間であった。鳴は暗くなりそうになった局面が打開されたことと、キャロルの新たな一面を知ることができ、大きな収穫だと思って二人を見つめていた。
「そうだ、ちょうどいいから娘をここに呼ぼうか! おい、誰か、フィオナをここに!」
ラッセルが娘と思わしき名を呼ぶ。どんな女性なのだろう。一同が心待ちにしていると扉の外から声が聞こえる。
「お父様、どうしたの?」
おもむろに扉が開く。鳴たちが期待を弾ませる中、徐々にその姿が露わになる。背は高くなく、こじんまりとした女性という感じで、髪は短く真っ黒な色をしており、目はクリッと大きい。何処かで見たような気がしたのは鳴だけではない。ソフィアもキャロルも同じようなことを考えていた。まだ彼女を見てほんの数秒、いやそれすら経っていないが、鳴はこの女性の正体に気づいて立ち上がって大きな声をあげる。
「お前、パーティーの時の!」
鳴のあからさまな態度に、彼女も何かを思い出したように目を一層大きく開く。
「ああ、あんた鳴とかいうやつじゃない。あんたみたいな取るに足りない男には興味がないんだけど、また会うなんて、私も運が悪いわ」
「な、何だよその言い草!」
鳴はこの女性の高飛車な態度に、思わず感情的になってしまう。こんなことは鳴にとっては滅多にないことだ。この女性の態度がいかに高慢なものかを物語っている。ラッセルは慌ててこの娘を咎める。
「フィオナ! この男はグランヴァール王国救国の立役者なのだぞ! 何だその失礼な物言いは!」
「だって男のくせに背も低いし、声だって高くて、お父様みたいな威厳がないんだもの。この人を男として認めるなんてできないわ」
フィオナはあいも変わらず減らず口を叩く。もはや鳴は呆れかえっていた。ラッセルに咎められても依然として態度を改めないフィオナはどうやっても黙りそうになかった。
「お前は何ということを……。鳴、本当に申し訳ない! 我が愚娘の無礼を許してくれ!」
「い、いえ! そんなめっそうもない!」
口先では鳴は何でもない様子を装っていたが、内心実に不快であった。グランヴァール王国に来て初めてこんなにもくだらない思いをした。
「明日からラマレア帝国に行く際の護衛をこの鳴が快諾してくれたのだ。お前からもちゃんとお願いしなさい」
ラッセルがフィオナに、鳴に頼むことを催促すると、フィオナは露骨に嫌そうな表情を浮かべて鳴を睨みつける。
「あんたなんかいてもいなくても同じだけど、せいぜいラマレア帝国に向かうまでの間、足手まといにならないようにすることね。それと、私の身に危険が降り注いだら、あんたがいの一番に死になさい」
鳴は開いた口が塞がらなかった。怒りとか苛立ちとか、そういう感情を超えて、どうすればこのような物言いができるのだろうかと、そんな根本的なことを疑問に思い始めていた。
「じゃ、明日の支度があるからこれで」
フィオナはそう言い残すと、その場を去って、自室に戻っていった。明日の出立に向けて、ラッセルが食事会を開いてくれるなど、便宜をはかってはくれたが、効果があるどころか、むしろ逆効果となった。明日の出立には、ただならぬ厄介な問題が付きまといそうだと、鳴は心穏やかでなかった。




