第二十三話 禁忌と魔術練習
夜だ。もうすっかり日が暮れてしまった。この1日で、鳴は魔術についてを多く学んだ。今日だけで、全属性の初級魔術は習得してしまった。無属性を除いては。鳴は無属性を習得できなかったことに深く落ち込んだが、クラウドは無属性以外の初級魔術をたった1日で完全に習得した鳴に脱帽していた。
そもそもなぜ無属性が最高峰に難しいかと言うと、無属性は何とも対立しないという特質を持つ理由は、他の全属性の魔術が均等に合わさっているからなのだ。全属性を習得しなければならないのはもちろんのこと、その全ての属性を等しく偏重なく加えることが至難の技なのだ。鳴は全属性を習得することには成功したが、力配分には苦戦し、ついにはできなかった。
思い通りに魔術を操ることができなかった悔しさから、鳴は一人、日が暮れてからも自室で無属性の練習をしていた。鳴が魔術の行使を試みる。鳴の手のひらには炎の赤、水の青、風の緑、土の黄、光の白、闇の黒それぞれの色が無造作に発されている。ここまでは容易にできるのだ。次の段階が難しい。これを偏りなく統合することが未だにできない。魔術書によると、無属性魔術は白と黒の中間色である灰のような色をしていると言う。その色をイメージして鳴は無属性の創出に挑む。6色が互いに混じり合う。多くの色が混じり合い、見たこともない上、何とも形容しがたい色が鳴の手の中に広がっている。今度こそは。鳴は心の中で決心する。しかしその望みは脆くも崩れ去る。魔力が消失してしまう。今回ばかりは習得に困難を極めていた。
「またダメなのかよ」
ベッドに腰掛けながら練習していた鳴はそのまま投げやりにベッドに大の字になって寝転ぶ。もう今日は終わりにしよう。鳴がそう思って眠りにつこうとした時、鳴の脳裏にあの禁書庫が思い浮かぶ。あのえもいえぬ異様な雰囲気を漂わせていた空間には、一体どんな書物があったのだろうか。禁書にされるほどなのだ、きっと非人道的な内容や、甚大な被害をもたらす魔術が記されていたりする書物が安置されているのだろう。そんなことに想いを馳せていると、鳴はね塗ろうと決心したのに、全く眠れなくなってしまう。このままではまずい。そう思った鳴はこの好奇心を何とかしなければならないと思った。その解決策は一つ。今から図書館に向かって禁書庫に立ち入り、禁書に目を通すことだ。たとえそれが禁忌に触れることであったとしても、とめどなく湧き出る興味を落ち着けることができなかった。そう思い立った鳴はすでに自室の扉を開いて廊下へと出ていた。その足は図書館にある方へ向かっていた。
図書館の扉の前に到着した鳴。ゆっくりと扉を開ける。夜だからだろうか、図書館はいつもよりも暗く、不気味な雰囲気を漂わせていた。いや、夜だからではない。今、鳴が後ろめたいことをしているからだ。何もやましいことがなければ、何も気後れせずに図書館に入れるのだ。
鳴は自分が禁忌に触れようとしていることを後ろめたく思いながらも、歩みを進める。もはや止めることはできない。ここまできてしまったのだ。鳴は着実に禁書庫がある方へと向かっていた。徐々に空気が生暖かく気持ち悪いものに感じられる。それもきっと鳴の心持の所以だ。鳴は呼吸を荒げながら暗闇へと進む。
鳴は禁書庫の前へと立つ。そこには今日の昼間にも見た、『禁書につき立入厳禁』の張り紙がまざまざと貼られていた。まるで鳴の行いを非難するかのように。それでも鳴は湧き上がる興味を抑えることができなかった。鳴はゆっくりと禁書庫の扉のノブに手をかける。心臓の鼓動が高まる。もう後戻りはできない。興味は抱きながらも自分の行いが悪しきものであるという認識には至っていたがゆえに、鳴の額からは冷や汗が流れ落ちる。鳴は意を決して扉を一思いに開けた。
扉の先には外部の図書館と何ら変わりのない光景が広がっていた。何の変哲も無い本棚に、ぎっしりと書物が詰まっている。鳴は何やらあんなにも恐怖に苛まれたことをバカバカしく感じた。
「何なんだよ、全く」
何かに文句を言いながら鳴はそこらに転がっていた書物に手をつける。その本の表紙には『黒魔術入門』と書かれていた。
「黒魔術か。確かに禁忌になりそうだな」
鳴は小馬鹿にしたような表情でその書物をパラパラとめくって目を通す。一通り読んでみたが、他の属性の魔術書と遜色なかった。こんなもののために俺は躍起になっていたのか。鳴は禁忌とは名ばかりのものであったことに失望すると同時に、こんなくだらないもののために心を騒がせていたのかと思うと自分の浅薄さが身にしみるようで自己嫌悪に陥りそうになっていた。
鳴は手にとっていた書物を元の場所に適当に放る。わだかまりもなくなったことだし、帰って寝るとしよう。貴重な睡眠時間を削ってしまった。そんなことを思いながら、鳴は禁書庫を後にする。鳴は、黒魔術は禁忌という名に負けていると思っていた。しかしまだまだ攻撃魔術初心者の鳴にはこの時点では、『禁忌』とされるものの恐ろしさを認識することができなかったのも無理はない。鳴が『禁忌』の強大さを知ることになるのはもう少し先のことだ。
翌日、鳴は起きるやいなや図書館にこもって書物を読みふけっていた。ソフィアやキャロルのことは気にも留めなかった。今、鳴は攻撃魔術に没頭している。はっきり言って、それ以外のことを考えられない。その上、ラッセル護衛の任務は明後日に控えている。何としても今日中に無属性魔術をものにしたい。そうすれば、ラッセルを護衛するにあたっても何かと都合がいい。有利に立ち回ることができる。その思いで鳴は必死に魔術の練習に励んでいた。
先ほど鳴が、休憩がてらに他の属性の中級魔術の練習をしていたところ、気付いたことなのだが、中級魔術も初級魔術と何ら変わりがないことがわかった。級が上がるにつれて、新しい魔術が増えると思っていたのだが、そうではなかった。その級よりも下位の魔術をより多くの魔力で発したり、複数の魔術を組み合わせたものであることに気づいたのだ。これがわかってしまえば、習得することは、鳴にとって造作もない。鳴はみるみるうちに実力をつけ、中級魔術もひとしきり身につけてしまった。
「さてと」
鳴は他属性魔術の中級魔術の習得が済んだところで、再び無属性魔術の生成を試みる。これだけ他属性の魔術はできるというのに、無属性魔術だけが使えないというのはやはりそれだけ無属性魔術が難しいものだからに他ならなかった。やはり難しいがゆえに無属性は効果が絶大なのかと、鳴は繰り返し思っていた。
そんなことをとりとめもなく考えていても仕方ない。鳴は手のひらに力を込める。それぞれの属性の色が手のひらを彩る。独立した各々の色。その複数の色が、鳴が手のひらに再び力を込めると、今度は複雑に混じり合う。この瞬間は本当に美しい。六色がそれぞれに混じり合い、刻々と色を変えながら無属性魔術の灰色へと向かうのだ。これも無属性魔術の難しさゆえの一瞬の美しさかと鳴は思わずにはいられない。
しかし、昨日の夜と同じように、ここからの微妙な力加減が難しいのだ。こればかりは鳴の力をもってしてもなかなかうまくいかなかった。一つの属性の力が足りないと思ってその力を加えると、他の力が今度は弱くなってしまい、成立していた均衡がいとも簡単に崩れ去ってしまう。昨日の夜に味わったこの教訓を鳴は心に留めて、今度こそは失敗しないと決心して、力の均衡を図る。
そのおかげか、今回は力の均衡がうまく取れた。色は徐々に灰色に近づく。今回でようやくうまくいきそうだ。鳴がそう思って少しばかり気を緩めた。そう、ほんの少しだけ気を緩めただけなのだ。その途端、均衡はいとも簡単に崩れ去ってしまった。魔力が消失してしまった。
「しまった……」
鳴は落胆の表情を浮かべる。うまくいきそうだという何に根拠もない予測に気を取られた自分の身を恨む。そんなところに、図書館の扉が開く音がする。この扉を開けられるのは現時点で鳴とクラウドだけだ。そのため、鳴は即座にクラウドがやってきたのだと気づく。
「鳴、調子はどうだ?」
案の定、声の主はクラウドだった。今日の騎士団の仕事が終わったのだろうか、何だか上機嫌だ。そんなクラウドとは対照的に、鳴は魔術の練習がうまくいかなくて苛だたしい気持ちを隠せなかった。鳴は若干ぶっきらぼうに返事をする。
「どうもこうもありませんよ。全く、無属性魔術って難しすぎるんですよ」
「はっはっは。まあそう怒るな。うまくいかないのが普通なんだよ。他の属性の魔術はどうだ?」
「ぼちぼちですね。中級魔術までは習得しましたけど」
「はっ!? もう中級を習得したのか?」
「ええ、あんなの初級魔術の組み合わせと少し魔術を大きくして行使下ものばかりじゃないですか。初級魔術の応用にすぎません」
「それに気づくのが難しいんだよ……」
クラウドは鳴の相変わらずの才覚に脱帽する。しかし鳴はそんなことを気にも留めない。再び無属性魔術の行使を試みる。
「何か用があってここに来られたのですか?」
「そうだ、忘れていた。今からラッセルが鳴と食事をしたいらしいぞ? 明日から出立だからな。それについて話でもしたいんだろう。ラッセルの邸宅は王宮をすぐ出たところだ」
「それ、行かないわけには?」
「いかないな」
「全く」
今日の魔術の練習はここで終わりだ。鳴はどうしても魔術の習得を間に合わせたかったのだが、その目論見は脆くも崩れ去った。鳴はラッセルの護衛を引き受けた自分の身を呪いながら、図書館を後にした。
鳴はラッセルの邸宅の前にいた。つまりネヴィル家の邸宅だ。さすがは三代貴族の邸宅といったところだ、非常に大きく、王宮にも引けを取らない。ただ大きいだけでなく、豪華絢爛さも備えており、それでいていやらしくなく、上品さが漂っている。本当の貴族とはこのように溢れ出る上品さを持っているのかと、鳴は心の中で感服した。
「ここがラッセルのお家です」
「本当に大きいですね。王宮と同じぐらいじゃないですか?」
ソフィアがキャロルにラッセルの邸宅を紹介し、キャロルがその壮大さに感銘を受ける。鳴は隣でこのようなやりとりが行われていることにため息をつく。
「で、何でお前たちがいるんだ?」
「鳴がラッセルの家まで道に迷うといけませんから」
「迷うわけないっての! 王宮を出てすぐのところにあるんだぞ!?」
「もう、鳴ったら、何もわかっていないんですから」
鳴の反論を受けて、ソフィアがむすっとした表情を浮かべる。
「そうですよ。鳴様って本当に女心がわからないのですね」
「ちょっと、キャロル! 余計なことを言わなくてもいいの!」
二人のやりとりを見ていても、鈍感な鳴はソフィアの気持ちには気づかない。
「まあいいや。ラッセル様と明日からの予定について話し合いを兼ねた食事会だから、邪魔はしないでくれよ?」
「わかっています。私は王女です。その程度の心構えはわきまえているつもりです」
「私も、迷惑かけないように頑張ります!」
二人の毅然とした態度から、鳴は自分の心配が杞憂であったことに気づく。どうやら食事会は滞りなく進みそうだ。そんな安心した気持ちを抱きながら、鳴はラッセルの邸宅へと歩みを進める。
「おお、鳴! よく来てくれたな、待っていたぞ!」
鳴たちはラッセルの歓待を受ける。
「お待たせして申し訳ありません」
「何を言うか! 明日から私は護衛してもらう立場なんだ、むしろ待たせてもらうぐらいだ。ところで、どうしてソフィア様が? それと、鳴お付きの侍女の……。ええと」
「キャロルです。以後お見知り置きを」
「おお、そうだったそうだった。この前のパーティーで話したのにお名前を忘れてしまうとは。歳をとるとやはりいかんな。どうして二人がここに?」
「私は鳴様の侍女ですので」
キャロルがもっともらしい理由を述べる。これに焦ったのはソフィアだ。彼女は何の正当な理由もなくここに来ていた。ソフィアは必死に頭から理由を搾り出そうとする。
「それはもっともだ。それで、ソフィア様は?」
「ええと、その……」
ソフィアは言葉に詰まってしまう。ラッセルはそんなソフィアを見て、不審な表情を浮かべる。
「私がともに来てくれとお願いしたのです。ラッセル様とのお食事です。食事のマナーでいろいろわからないこともあるので、教えていただこうと思いまして」
「そうだったのか! ソフィア様もそんなに言いよどむ必要もなかったじゃないですか!」
「ええ、そうですね!」
鳴の助け船のおかげでソフィアは救われた。ソフィアは鳴に目配せをしてお礼を言う。
「それでは食事に参りましょう。さあ、こちらです」
ラッセル直々に3人は案内される。3人はネヴィル邸の客人を迎え入れるための部屋へと向かっていった。




