第二十話 帰還
カルデブルグでの役割を一通り終えて、鳴とソフィアは帰路についていた。アレクセイとクラウドはしばらくカルデブルグに残って戦後処理を行うようだ。疲労の蓄積から倒れてしまった鳴は大事をとって早めの帰還となった。鳴は自分のカルデブルグでの役割を果たしたつもりだ。カルデブルグを占領し、グランヴァール王国を救った。それに加えて、ジークフリートを領主に据えることにも成功した。2日前のソフィアとの外出から帰ってきた後、クラウドに進言すると、彼も土着のカルデブルグに詳しい人間がいるのなら、一定の監視下で統治を委任するのが適当だと考えていたようで、快諾してくれた。おそらく今日あたりに、ジークフリートに正式に領主任命の命令が下ることだろう。鳴の目の前にはジークフリートの喜ぶ姿がはっきりと浮かんでいた。
鳴は馬車の中から久しぶりに見るグランヴァール王国の風景をぼんやりと見つめる。カルデブルグを出立してまだ1日も経っていない。それなのに正規のルートを使用して、カルデブルグからもうグランヴァール王国のヴェルタスあたりにまでたどり着こうとしている。五日もの間、必死の思いで雪であふれている山脈を越えたことに比べたら、なぜか、あの山越えがバカらしく思えてくる。そんな思いにふけりながら鳴は鼻で笑った。
ソフィアは鳴の鼻笑いを聞き逃さなかった。
「何かおかしいのですか?」
「いや、なんでもないさ。ちょっとカルデブルグを強襲した時のことを思い出していただけさ」
「そうですか」
ソフィアはそれ以上聞かなかった。おそらくここで深く聞いたとしても明確な答えは得られない。鳴は吾かにもあらずと言う感じで外の風景を眺めており、もはや物思いにふけっているようであった。そんな状況では的を得た説明は受けられないだろうし、ソフィアがその内容を聞いたところであまり共感ができないだろうと思ったからだ。ソフィアは当たり障りのない質問へと転換する。
「久しぶりのグランヴァール王国はいかがですか?」
「久しぶりと言っても、ほんの一週間程度開けただけなんだがな。でもなぜか、とても懐かしい気がするな」
「ふふっ。懐かしくて大好きなグランヴァール王国に帰ってこられてよかったですね」
「今度こそはゆっくりしたいもんだ」
鳴とソフィアがしばらく馬車の中で他愛ない会話をしていると、もうヴェルタスが外に見えるようになっていた。ヴェルタスまで、もう少しだ。
鳴とソフィアを乗せた馬車がヴェルタスに到着すると、ヴェルタスではお祭り騒ぎが開かれていた。普段とは違う光景に、鳴は驚きを隠せない。
「ソフィア、一体これは?」
「皆さんグランヴァール王国の存続を喜んでくださっているのですわ。こんなにも民に愛されて、グランヴァール王国は本当に幸せな国です。何より、この繁栄は鳴のおかげでもたらされたのですよ。もう少し誇ってもいいのではないですか?」
「いや、俺はあの部隊を率いただけだ。アレクセイや、マックスやブレフトがいなかったら成功していなかったさ」
鳴はあくまでも謙遜をし続ける。そんな鳴を見て、ソフィアは本当にできた人間だと、鳴に感動する。普通なら、優秀な人間はその才能を鼻にかけて誇るものであり、少なくとも自己の功績を他者のおかげだなどは言うことはまずない。仮に言ったとしても、その心のうちには必ず自分はすごいのだと言う意識が隠れている。しかし鳴からはそんな雰囲気は全く感じ取れなかった。馬車からヴェルタスの人々の喜ぶ姿を見て、微笑んでいる姿からは、ただただこのグランヴァール王国を救えて良かったと思いふけっているようにしか見えなかった。ソフィアは鳴のことを誇らしく思った。こんな人がいてくれたら、グランヴァール王国は安泰だ。ソフィアも鳴と同じように微笑んで鳴を見ていた。
ふと馬車の外の人々が馬車に乗っている人物の存在に気づく。
「おい! あの馬車に乗っているの、ソフィア様じゃないのか!?」
「もう一人男も乗っているぞ?」
「だったらあれが俺たちが送り出したカルデブルグ強襲部隊の司令官の若造か!?」
「そんなすごいお方、一目だけでいいから見せてくれ!」
鳴はまるでアイドルのように、一躍有名人となった。馬車に多くの人々が押し寄せる。馬車の操縦主もこれにはどうしようもない。
「おい、ソフィア。なんだか外が大変なことになっているが」
「馬車も止まってしまいましたね」
鳴とソフィアが予想外の出来事に顔を見合わせていると、操縦主が馬から降りて馬車の扉を開ける。
「人々に取り囲まれてしまい、身動きを取ることができません。ここから先は歩いていただいてもよろしいでしょうか?」
「それでは鳴が……」
「ああ、構わないさ」
ソフィアの不安を制して、鳴は歩いて王宮へ向かうことを快諾した。ソフィアは鳴が民衆に取り囲まれて、面倒ごとに巻き込まれることを心配していた。しかし鳴はそんなソフィアの心配を打ち破るようにソフィアの言葉をさえぎった。
そのまま鳴は馬車を降りようとする。馬車から降りると、外から見た通りに多くの民衆が集まっていた。グランヴァール王国の救世主の姿に、民衆は歓声をあげる。
「あなたがグランヴァール王国を救ってくださったのか?」
「私ではなく、私と私の仲間が、グランヴァール王国を救いました」
「あなたはグランヴァール王国を強襲部隊が出発するときに先頭に立っていたお方。あなたは司令官だったのでは?」
「立場上そうではありましたが、強襲部隊を構成する一人の人間であることには変わりはありません」
「自分の功績を誇らないなんてなんてお方だ!」
「あなたのおかげでグランヴァール王国は救われた!」
「もっとよくお顔を見せてくださいな!」
鳴の功績に加えて、素朴な態度に一層心惹かれた民衆は鳴を取り囲む。
「ちょっと! 押さないでください! 王宮に行かなければならないんです!」
鳴は民衆の波に飲まれ、立っていることすらままならなくなる。このままではいけない。そう思ったとき、王宮へと続く道から声が聞こえる。
「神楽鳴様! 国王陛下のご命令でお迎えにあがりました!」
鳴を呼ぶ声が聞こえると、民衆の動きは一瞬にして止む。鳴の周りから民衆が離れていき、ようやくまともに立つことができるようになり、声のした方を見てみると、そこには王都騎士団の姿があった。
「王都騎士団副団長のカールと申します。鳴様、お迎えにあがりました」
「ああ、ちょうど困っていたところだったんです。助かりましたよ。ありがとうございます。ソフィア、もう降りても大丈夫だ」
鳴の呼び声に誘われて、ソフィアが馬車から姿をあらわす。
「ここからは我々、王都騎士団が護衛させていただきます。ご安心ください」
「ありがとうございます」
「では、参りましょう」
王都騎士団は鳴とソフィアを団員たちで囲む。カールの呼びかけで鳴が王宮へと向かおうとしたとき、一人の中年の女性が鳴の元へ走ってくる。
「司令官様! 一つだけお聞きしたいことがございます!」
しかし女性に騎士団員が気付き。女性は制される。
「おい貴様! 無礼であろう!」
「構いません。どうなさいましたか?」
「私の息子は強襲部隊に参加していました。息子は無事ですか?」
この女性はあの部隊の一騎兵の母親のようだ。約一週間の間、きっと息子の身を心配して過ごしたことだろう。鳴はそんな女性の心中を慮って笑顔で語りかける。
「ええ、無事ですよ。なんせ、あの強襲部隊には死者どころか、負傷者すら出ていないのですから、安心してください」
「ああ、良かった……。ありがとうございました!」
「こちらこそ、息子さんの無事と我々の成功を願っていてくれてありがとうございました」
女性はそのまま満足そうに去っていった。しかしここで鳴が今回の任務を一人の死傷者も出さずに遂行したことに再びざわめきが起こる。鳴の全てを圧巻する才能に民衆たちは舌を巻く。
「死傷者がいないって、なんてお方だ……」
「彼がいてくれたら、私たちは安心して暮らせるな」
民衆の中から、口々に鳴を褒め称える声が上がる。そんな中で誰かはわからないが、一人の男の声が観衆の中から放たれる。
「グランヴァール王国の救世主だ!」
初めは誰もがキョトンとしていたが、次第にその輪は広がっていく。
「「「「「「「「救世主様!」」」」」」」
鳴は褒め称えられて、まんざらでもない様子だ。
「救世主様ですって。鳴、嬉しいんじゃないですか?」
「べ、別に?」
ソフィアの問いかけに鳴はそっけない態度で対応したが、その顔が赤くなっていることから、照れ隠しであることはすぐにわかった。ソフィアは鳴の子供っぽい態度にクスクスと笑う。二人は民衆の歓声を一身に浴びて、騎士団の護衛を受けながら、王宮へと向かった。
「おお鳴! よくやってくれたな!」
王宮に到着した鳴は、国王陛下直々の出迎えを受ける。これには鳴も気が引けてしまう。隣にはラッセルとジェイミーも控えていた。国宝陛下と三代貴族のうちの二家の現当主に迎えられるなど異例の出来事だ。
「勿体無いお言葉です」
「何を言うか! 鳴のおかげでグランヴァール王国は救われたようなものじゃ!」
「ラッセル様やジェイミー様の行政的な協力とクラウド殿下の時間稼ぎ、それにソフィアたちの負傷兵の看護があったからこそ成功したのです。皆様の力なくして、この結果は得られませんでした」
依然として謙遜し続ける鳴にラッセルとジェイミーも口を挟む。
「鳴。いい加減に謙遜するのはよせ。グランヴァール王国が救われたのは他でもない君の活躍のおかげだ」
「ラッセル殿の言う通りだ。正直にいって、我々は君の力を過小評価して、数々の無礼な態度を取ってきた。どうか許してほしい」
ジェイミーの発言と同時に、ラッセルとジェイミーは鳴に頭を深々と下げる。鳴は途端に自身の扱い方が変化したことに慌てふためく。
「どうか頭を上げてください! ネヴィル家とレッドフォード家のお二方が私ごときに頭を下げられたとなられては、他の貴族の方々に面目が立ちません! どうか秩序のためにも、頭を上げてはいただけませんか!?」
「君のような才能にもあふれていて、礼儀正しい人材に出会えて、私たちは本当に幸せだ」
「グランヴァール王国には栄華しか待ってはいないな」
ラッセルとジェイミーが頭を上げてからも、鳴への賛辞は止まらない。収拾をつけようと、国王は会話に入る。
「そんなことより、今日は宴の準備をしておるのだ! グランヴァール王国が救われたことと、そしてなにより、鳴を褒め称えるためのな! いま少し準備に時間がかかるようなのじゃ。すまんがいつもの部屋でゆっくりくつろいではくれぬか?」
「はい。少し休ませていただきたく思います」
「それはちょうど良かった! 準備ができたら、使いのものを呼びに向かわせるから、それまでゆっくり休んで旅の疲れを癒してくれ」
国王に労いの言葉をかけられた後、ソフィアがひょこっと顔を出す。
「私も鳴の部屋に行ってもよろしいですか?」
「ああ、構わないぞ」
国王とラッセルとジェイミーと別れてから、鳴はいつものようにあの部屋に向かう。懐かしい。部屋にたどり着くまでの経路は一ヶ月以上経験してきたはずだ。廊下の窓から差し込む日の光、壁にかけられている絵画、小さな机に置いてある花の入った花瓶。見慣れたものに今再び会えている。鳴はとても心が落ち着くことに感慨していた。
部屋の前にたどり着く。なぜか部屋の扉を開けるのが気が引けた。意を決して扉を開く。そこにはしばらくあっていなかった女性の姿があった。
「久しいな、キャロル。ただいま帰還した」
「鳴さま!」
キャロルは満面の笑みを浮かべて鳴に駆け寄る。
「ご無事だったのですね! 本当に良かった!」
「出立の時に大丈夫だといっただろう? キャロルも救護係として、任を全うしたらしいな。互いにご苦労様ってことだな」
キャロルは久しぶりに主人に会えて、久方ぶりに気分が高揚している。
「鳴様がいつ帰還されてもよろしいように、毎日この部屋のお掃除は欠かせませんでした!」
「はっはっは。俺がいない間も世話をかけたのか。ありがとう」
「侍女として当然の務めですゆえ」
キャロルは胸を張って威張るそぶりを見せる。キャロルなりに侍女としての流儀というものがあるようだ。キャロルはそれを全うできて誇らしく思っているようだ。
「ところでキャロル。これからパーティがあるようでな。俺はしばらく眠りたいのだが、お呼びの使いが来たら、起こしてはくれないか?」
「ええ、もちろんです」
「よろしくな」
鳴はそのままベッドへと向かう。ふと何かに囚われたように鳴はキャロルを振り返る。
「キャロルも参加したらどうだ?」
「わ、私ですか?」
「それは良いですわ! さあキャロル、日々の所作など今日は忘れて、みんなで楽しく興じましょう! 私と共にドレスを選びに参りましょう!」
「え、えええ!? ちょっと待ってくださいソフィア様!」
キャロルはソフィアに半ば強引に手を引かれて部屋を出て行った。
「うるさい奴らだ」
鳴は笑いながらそのままベッドに寝転がる。そのまま目を閉じると、すぐに眠ってしまった。




