【番外編SS】もっと早く素直になればよかった
俺は堅苦しい正礼装は、あまり好きじゃない。
でも今夜は、頭のてっぺんから足のつま先まで気が抜けない。
なぜなら今夜、今年社交デビューする令嬢達が参加するデビュタントに、俺、デューイ・アイヴズの婚約者である、エレナ・ハーシェルも参加するからだ。
デビュタントは王都の王城の一角、サファイア宮で催される。
大勢の前で、婚約者そしてパートナーとしてエレナをエスコートするからには、隙は見せられない。
ハーシェル伯爵邸のタウンハウス、通された応接間。エレナを迎えに来たが、ずいぶんと早く着いてしまった。
彼女の支度を待つ間、俺はちらりと視線を落とし、自分の出立ちをまた確認する。
最高級の仕立ての燕尾服に完璧な結び目のホワイトタイ、落ち着いた見た目になるよう髪型は少し額を出す形で念入りに整え、足元の黒光りする靴には一点の曇りもない。
生まれたときからの婚約者であるエレナとは、お互い素直になれず、会えばケンカばかりするようなすれ違う時期もあったが、去年の聖夜祭ではお互いの気持ちを確かめ合うことができた。
今では彼女の気持ちが自分に向いていると、彼女のちょっとしたしぐさや言葉からもきちんと感じる。
覗き込めば熱を帯びる瞳や淡く色づく頬、がんばって気持ちを口にしようとしてくれるのを見ると、愛おしさが募る。そうして一度認識してしまえば、どうしてあのころの自分は嫌われているかも、などと思い込んでいたのか不思議なくらいだ。
それでもエレナの魅力を考えると不安は尽きないが、来年には結婚式を挙げることになっているので、そうなれば婚約者ではなく、彼女は俺の妻になる。もう誰にも手出しはできなくなる。
「もっと早く素直になればよかった……」
ぽつりと後悔の言葉が漏れる。そうすれば遠回りすることも、彼女をほかの男に取られる不安に押し潰されそうになることもなかっただろう。
──それは、俺がエレナの本当の気持ちをまだ知らなかったころのこと。
十三歳のとき、俺は領地を離れ、王都にある貴族の子息が通う全寮制の学院、王立貴族学院に入学した。
エレナとは離れ離れになった。
寂しい気持ちもあったが、いずれ父から伯爵位を継ぐ立場で、将来嫁いでくるエレナに苦労をさせないためにはあらゆることを学び、人脈を広げておく必要がある。だから寂しい気持ちに蓋をして、慣れない学院生活に集中した。
そうして入学後、初めての帰省で迎える冬の聖夜祭。
久々に会ったエレナを一目見た瞬間、息を呑んだ。
──すごくきれいになっていた。
いや、元々エレナはきれいで、可愛らしかった。
でもたった数か月会わなかっただけなのに、まったく知らない相手に見えた。
離れる前は同じくらいの背丈だったはずが、もう視線を下げなければ目が合わない。華奢な肩に細い腰、でも女性らしい丸みも出ていて、直視できない。彼女は確実に大人の女性へと成長しつつあった。
前みたいに気軽に手を伸ばして彼女の手を引くことも、柔らかな髪の毛に触れることも、なぜかしてはいけないように感じて、同じように接することができなくなった。
今まで自分はどうやって彼女と接していたのかわからなくなり、素直になれず焦りが焦りを生み、伝えたい言葉とは逆の言葉ばかりが口つき、彼女を怒らせ、ケンカばかりするようになってしまう。
そんな悩む俺を面白がるように、勝手に相談役を気取った学院の先輩達からは、
「生まれたときからの婚約者か。なるほど、その子は選びようがなかったわけだ。じゃあいずれ社交デビューしたらどうなるんだろうね、周りを見て後悔するパターンなんじゃないか?」
「女の子は年上の男に憧れるものだ。婚約者には日頃から落ち着きのあるところを見せたほうがいい」
などとアドバイスされ、それを真に受けたのも失敗だった。
このままではだめだとわかっていても、手紙ですら本当の気持ちを綴ることができず、ゴミ箱が溢れるほど紙を無駄にし、結局義務的な内容の手紙ですら出せたのは数えるほどで、気づけばエレナからの手紙も減り、ますます疎遠になっていった。
エレナはきれいで可愛らしいだけでなく、気さくで面倒見の良いところもあって、男女問わず人気がある。
きっと自分が婚約者でなければ、いろんな男がエレナに求婚していたはずだ。
その筆頭がアレンだ。
俺のいとこで、ランスロッド侯爵家の子息。
俺よりも家格は上、さらに整った容姿に洗練されたしぐさ、沈着冷静で穏やかな性格、文句のつけようがない相手。令嬢なら誰でも惹かれるだろうと思える。
子どものころからアレンがエレナに好意を抱いているのは気づいていた。あいつはいつもエレナを目で追っていたし、女性には基本優しいがエレナはことさら大切にしていたから。
あんなにわかりやすい好意なのに、気づいていないのはエレナ本人だけだ。
どれだけ鈍いんだろうと思うが、そんな状態に安堵し、このまま気づかずにいてほしいと思ってしまう自分にも嫌気がさす。
アレンが本気を出せば、そしてエレナがアレンのことを男として好きになれば──、俺との婚約が白紙になる可能性は十分にある。想像するだけで激しい嫉妬に襲われた。子どもの癇癪のような身勝手な感情だとわかっていても、昔から何かにつけてアレン、アレンと、俺ではなくアレンを頼りにしているのもひどく苛立った。
「聖夜祭までの間に、デューイ達の関係が改善されなければ、婚約は解消すべきじゃないか?」
「ああ、残念だが、そろそろ潮時だろう」
聖夜祭を五日後に控えた深夜。アイヴズ伯爵邸内、偶然通りかかったシガレットルームから聞こえた話し声に、俺の足はぴたりと止まる。
声からして、俺の父とエレナの父、ハーシェル伯爵であることは間違いなかった。
頭が真っ白になった。気づけば自分の部屋に戻っていて、朝を迎えていた。
なんとか冷静さを取り戻して考えれば、おそらく父達は偶然を装って俺に聞かせたのだと気づく。となれば、エレナは母達を通じて同じことを聞かされている可能性が高い。
ハーシェル伯爵の本心はわからないが、おそらく父は本気だろう。エレナのことは本当の娘のように思っている。このまま俺と婚約していることが彼女の害にしかならないないと判断したなら、一切の反論も認めず婚約解消に動くはずだった。
焦った俺はなんとかあの手この手で、エレナとの関係改善を試みたが、癖になってしまったこれまでの言動を変えることは容易ではなく、それどころかエレナはむしろ婚約解消を望んでいるんじゃないかとさえ感じ始めてしまう。
そんなとき、俺が外出中にアレンがうちの屋敷を訪れていると報告を受けた。あいつがエレナに会っていると思えば、気が気じゃなかった。
そして、聖夜祭を迎えた夜──。
決死の思いで自分の気持ちを伝えようとエレナの部屋を訪れたとき、ちょうど部屋から出てきた彼女とぶつかった。
ぶつかった拍子に、エレナは何かと落としたようだ。
見れば、廊下の絨毯の上には、贈り物と思われる真新しい懐中時計があった。
『これからもずっとあなたと一緒に──』
拾い上げ、懐中時計の蓋の内側に彫られたメッセージに気づいた瞬間、感じたことのないほどの歓喜に体が震えた。
「…………デューイ以外にいないわ」
懐中時計を贈る相手、それは俺以外にいないと言う。
恥ずかしそうな顔で、そろりとこちらを見上げるエレナに胸が熱くなる。
淡いロウソクの光の下、俺が贈ったネックレスを身につけた彼女は最高にきれいだった。
わずかに触れた唇。
もっとと望んで噛みつきたくなるのを、理性を総動員してなんとか堪えたことは記憶に新しい。
「──あの、お待たせ」
応接間のドアが遠慮がちにそっと開く。真っ白のロングドレスと肘上までのオペラグローブで着飾ったエレナが緊張気味に顔を覗かせる。
「……どう? 侍女のみんなががんばってくれたんだけど……」
俺は近づくと、手袋を身につけた彼女の手を取る。
もう遠慮も我慢もしない。
「ああ、きれいだ」
「そ、そう? えっと、ありがとう……。デューイも、その、素敵よ」
素直に気持ちを伝えば、エレナは頬を染めながら笑顔を見せてくれる。
この笑顔をずっと見ていたいと思う。来年も、再来年も、この先も──。彼女の笑顔を守っていくのは自分だと強く心に誓った。
昨年に投稿・完結したクリスマスにちなんだ物語。季節柄もしよければ覗いていただけたらと思い、1年ぶりに番外編を投稿してみました!
本編に入れてなかった、ヒーロー視点+両思い後のエピソードです。
楽しんでいただけますように+゜*。:゜+(*ˊᵕˋ*)+゜:。*+






