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第七十六話 唯一


 二つの国は急速に混じり合おうとしていた。

 ヨナーシュとアリストラという国名は新たにアリーシュと変えられ、それぞれの旧称は地域の名称として残される事になった。

 オレクは資料を片手に抱えながら、カシュパルの執務室へと続く廊下を行く。その顔には明らかな疲労が蓄積されており、目の下には隈が出来ていた。

 けれど廊下の先からオレクより更に酷い顔色の人間の文官が歩いてきて、ふらつく足元が心配になり目で追う。案の定、段差もない場所で躓き持っていた書類を床に散らかしてしまった。

「……大丈夫か?」

 目の前で起きた事に放っておくことも出来ず声をかけると、その人間の文官は恐縮した様子で手早く書類を集めながら言った。

「はい。……すみません、ありがとうございます」

 遠くに飛んで行ってしまった書類を拾い上げて渡す。他人の事を言えた状況ではないが、彼の顔色が余りにも悪いので一言付け加えた。

「無理はするなよ」

「はい。……あの、」

 何か尋ねたい様子だったので顔を見返すと、人間の文官は意を決した様にオレクに尋ねた。

「あの方は、昔からこうだったのですか?」

 カシュパルの事を聞いているのだろう。彼の傍で辣腕を見た者は、信奉者になるか畏怖するかのどちらかになる場合が多い。

 昔から飽きる程見て来たオレクは、静かに首を縦に振って答えた。

「ああ。子供の頃からな」

「……そうですか。はは、成程。どうしてあの方でなければとヴィルヘルムス様が託したのか、よく分かりました」

 彼はそう言ってオレクに頭を下げ、すれ違って行った。オレクも足を進め、元の目的地を目指す。

 獣人しかいなかったこの場所に、人間が普通に同僚として仕事をしている光景にももうすっかり慣れた。

 最初こそどんな扱いをされるかと怯えていた人間達だが、カシュパルが本心から人間も獣人も区別ないのを肌で感じ、今や気にせずに職務に邁進している。

 というより気にしていられない程の激務で、カシュパル周辺に限定すれば戦友の様な連帯感さえ漂っていた。

 執務室の扉を開くと、平然とした顔つきで黙々と書類を書いているらしきカシュパルがいた。

 カシュパルは人を使うのが上手い。膨大な仕事の各々を、適任者を見定め的確に割り振る。だから先程すれ違った人間の役人も、余裕は全くないかもしれないが潰れはしないだろう。

 そしてその上で、カシュパル自身こなす仕事量はオレクを含めた臣下の者達のそれを遥かに上回る。

 ヴィルヘルムスがこの男にしか救済出来ないと言った訳は、今の状況を見れば一目瞭然だった。

 カシュパルはオレクが入室したのに気がつき、顔を上げて手を止めた。

「オレクか」

「はい、陛下。魔物狩人支部の件で、資料をお持ちしました」

 カシュパルが差し出した手に乗せたのは、新設する魔物対策組織の書類だった。

 オレクはセレナの逃亡に手を貸した罪により職を左遷されたのだが、蓋を開けてみれば魔物狩人として働いた自分にはうってつけの仕事を割り当てられていた。

 いずれ来る魔物への備えとして、全ての魔物狩人の組織を国有化して各地に支部を置く。

 言うのは簡単だが、それがどれだけ大変か。地域色の強いそれぞれの組織をまとめ上げ、獣人と人間も混成して派遣するのだから。

 同時に魔物の知識を集積させ研究施設を作る案もあって、オレクも罰としての労役と思えば納得出来る程に存分に忙殺されていた。

「……東部支部は三地域を含めて河川を境界線にしろ。各首長の調整は……」

 流れる様なカシュパルの指示を、オレクは忘れないように頭に叩き込んでいく。

「かしこまりました」

 カシュパルはちらりとオレクに視線を向けて、軽い調子で声をかけた。

「他に誰も居ない。気楽に話せ」

 そんな言葉をかけられたのは彼が王になってから初めてだった。昔の距離感が戻って来たかのようで懐かしさに襲われる。

 カシュパルから以前あった様な目元の険しさが幾分も和らいでいた。人前に立つ間の王としての威厳は変わらないが、過剰な程の緊迫感は薄れている。

 支配者から指導者へ。それは繊細で、大きな変化だった。

 不眠症もなくなったと聞いたし、あの日のオレクの選択は間違っていなかったのだろう。

「……そうさせてもらう、カシュパル」

 それから暫く仕事の会話を続け、今後の方針が決まった所で渡した書類をカシュパルから返される。それと同時にカシュパル自身も片づけを始めたので、思わず眉を上げてオレクは尋ねた。

「もう今日は終わるのか?」

「ああ」

 カシュパルは問いに答え、視線を窓の外へと向ける。その先が誰のいる方向であるのかを察し、オレクは今日の彼女の予定を思い出した。

「そうか、今日はヴィルヘルムス様が来る予定だったな」

 この忙しい最中に仕事を止めてまで行こうとするとは。カシュパルが利用された事に恨みを彼に抱いている様子はなかった。ならば男女関係が理由だろうか。

「嫉妬か?」

 もしもそのような本能的な理由からだとすると、今後の国家運営に悪影響が出そうだと不安になり思わず聞いてしまう。カシュパルはその心配を一笑した。

「いや。彼等が互いに家族として見ているのは理解している。ヴィルヘルムスに対して過去の蟠りがある訳でもない。……けれども、彼女が心揺らす時には傍に居たいと思っているだけだ」

 全くこの男らしい理由で、だからこそ決して無視できない。セレナの為ならば世界を滅ぼす事も救う事も出来る男なのだから。

 諦めの溜息と共に、話題に出た彼女の事を思う。

「セレナさんも久々に息抜きが出来ていればいいが」

「そうだな」

 最近のセレナは忙しい。あの奇跡に至るまでに彼女がどんな戦いをしてきたのか、興味を持たない者はいなかったからだ。

 神官や貴族達や、地域の有力者。会いたがる者達の数は選別をした後でさえも手に負えない多さである。

 それでも可能な限りの時間を使ってセレナが対応をしてくれるので、カシュパル達はそちらの方面に注力しなくて済み随分と助けられていた。

 彼女の話は後世で神話の一節の様に語り継がれる事になるだろう。しかし当人に自覚は然程ないらしく、その事をオレクが言うと困ったように笑うのだった。

 驕らないのがセレナらしいが、もう少し胸を張ってもいいだろうに。

 無茶をしていたとは思うが、それで今の結果につながったのだから、やはり彼女も奇跡の人である。

「よろしく言っておいてくれ」

「ああ、分かった」

 変革の空気は国全体に及んでいる。不安を抱く者も多い。けれど、希望を胸に一丸となって前に進めるのは間違いなくカシュパルとセレナの影響に違いなかった。

 恐らく、カシュパルが恐怖で支配するよりも余程円滑に進んでいるだろう。

 多忙の身なのでオレクは部屋を出て行こうとしたが、その前にふと気になっていた事を聞いてみる事にした。

「カシュパル。怖く思う事はないのか? お前の失敗は全てを壊す。獣人も人間も、未来さえもだ」

 その疑問をカシュパルは鼻で笑った。

「だが俺以外に誰が出来る」

 その通りだ。ならば無駄に悩む事などしないという事か。明快な答えに彼らしいと思っていると、カシュパルは更に零す様に付け加えた。

「それに……悪くない。自分が唯一というのは」

 世界の存亡を楽し気に話すその精神が理解出来ない。けれどどれ程の期待と責任を背負っても、軽々とこなしていく様を見続けてきたオレクである。

 少し呆れて確かにこの王以外に出来る者はいないと納得したのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] おおアリーシュ、なるほど〜!しっくりくる! 今のカシュパルならセレナが願っていた人間と獣人の平和な国を作っていけるんだろうなあ。 そして対魔物のこれからのことを考えると、アリストラでセレナ…
[良い点] 憑き物が落ちたようなカシュパル [気になる点] オレグ、懲罰対象。に見せての、適材適所かな。 全面戦争なくなったとか丸く収まったから、咎めなしとはならないか。そこは、ハッキリと別なのだ…
[気になる点] 過去に飛べたセレナは王族の血を引いた孤児だったってことでしょうか? [一言] セレナがカシュパルとヴィルヘルムスをさくっと殺していたらこの未来はなかったんですねぇ…。 もしそうしていた…
2023/06/04 16:00 退会済み
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