第五十六話 憎悪
ヴィルヘルムスはカルペラ公爵と会う機会を早々に作ってくれた。
王宮内の一室で現れたのは、茶髪で貴族の恰好をした中年男性である。神経質そうな風貌に、背筋を伸ばして歩く姿は仕事の出来る男の雰囲気だった。
カルペラ公爵は私を見てきっちりと腰を折って挨拶した。
「セレナ様。本日はよろしくお願いいたします。カルペラ・ライネリオと申します」
「カルペラ公爵様。ご協力いただきありがとうございます」
私の言葉に少し眉を寄せた気がしたが、彼は直ぐに真顔に戻り淡々と機密書類を机の上に並べ出す。
場を和ます雑談など一切せず、彼は自分に課せられた仕事の説明に入った。
「両国間での交流は少なくなっておりますが、全くない訳ではありません。このアリストラ国内には竜の信者が一定数おります。彼らの巡礼の為に、少人数が今もヨナーシュ国に受け入れられています。彼等に混じり、入国して下さい」
アリストラ国では最初の七人の神族への信仰が厚いが、同じように獣人達は竜を信仰している。そして信仰の対立はない為、聖職者同士の交流があるようだった。
カルペラ公爵は机の上に広げた地図の上を指さす。ヨナーシュ国の首都から離れた田舎の村のようだった。
「入国してから、この村の竜の神殿を目指して下さい。降臨した竜が獣人と最初に接触したとされる場所です。神殿の他には何もない場所ですが、宗教上重要な神殿です。人間であるセレナ様が向かおうとしても、違和感はないでしょう」
「何故この場所に?」
首都から離れた場所で、どうやって王のカシュパルと出会えるのか分からず首を傾げる。するとカルペラ公爵は真剣さを増した低い声で説明した。
「……二か月後、バルターク・カシュパルがこの神殿に現れると情報を得ました。最小限の随従のみで、極秘だそうです。この他に接触する機会はないでしょう」
よくぞそんな情報を手に入れられたものだ。
私はカルペラ公爵の手腕に舌を巻く思いだった。人種の違う国で、これだけ内部の情報を入手するとは。
しかし二か月後か。ならば時間は殆どない。直ぐにでも出発の準備をしなければならないようだった。
必要な品を算段する私を、カルペラ公爵がじっと見つめた。それに気がついて視線を合わせれば、彼の冷静な表情が何か大きな感情を押し殺しただけである事に気がつく。
私に何かを訴えかける強い目だった。
「何か?」
「……私には娘がいました」
静かな口調で話された内容が唐突で、また彼が私に私的な交流を持ちたいようにも思えず目を瞬かせる。
「娘は肺が弱かった。それで、遠くの地に静養に行かせたのです。近くで成長を見守りたい気持ちもありましたが、彼女が生きてくれているだけで良い。そう思って」
彼の目が過去の自分を後悔するように細められる。私は話の先が良くない雰囲気を感じたが、逃げる事は出来なかった。
「娘を見送り暫くして私が知ったのは、最愛の娘の馬車が獣人の野盗共に襲撃されたという情報でした」
想像通りで私は下を向く。カルペラ公爵の静かな怒りを前に、一体何を言えるだろう。
彼の目に獣人に会いたいと言う私が、どう見えているのかが恐ろしかった。
声を荒げる事はない。けれど視線を外される事もない。
痛々しい沈黙が部屋に降りて、どうしようもない時間が延々と過ぎた後に、漸くカルペラ公爵の感情を堪える様な溜息が聞こえた。
「獣人達の本性は正に獣です。どれだけ取り繕っても。セレナ様、貴女はバルターク・カシュパルの知人であるそうですね」
まるで尋問を受けているような問いかけだった。ただの確認だけなので、頷く以外に方法はない。
「……ああ」
カルペラ公爵は机の上に短剣を置いた。非常に薄く出来ており、鞘自体に体に止められるように革紐がつけられている。服の下に隠して使う、暗器の類だった。
出された意味など聞かなくとも分かる。
「バルターク・カシュパルは非常に用心深いです。厳重な警備を常に敷き、信頼出来る者しか傍に置きません。国民の間でも熱狂的な支持者が多く、獣人達から離反者を見つけ出す事は容易ではありません。そして、それらを潜り抜けてバルターク・カシュパルに辿り着いたとしても、本人自身が類稀なる強さを持っている」
如何にもカシュパルらしい能力の高さだった。紅盾の時でさえ、あれ程人の心を掌握していたのだから。
カルペラ公爵は暗殺者を送り込んで成功する可能性が殆どないと伝えているのだ。
「知人という話が本当ならば、貴女だけが彼の懐に入り込めるのでしょう」
静かな部屋の中、カルペラ公爵の声だけが冷たく響く。憎しみを込めて、私を逃さないように鋭い眼光を私に向けながら。
「……殺してください。この国の為に」
誰かにカシュパルの命を求められるのは、二回目だった。
私は両手を握りしめた。奥歯を噛み締めてカルペラ公爵を見返したが、視線が外れる事はなかった。
喉が渇いて仕方なくなり、机の上にあるコップの水を酒のように一気に飲み干す。そして勢いよくコップを机に置けば、部屋に反抗的な音が響き渡った。
「説得してみせる」
カルペラ公爵に対峙するように言い放った。
例えカシュパルがどれだけ変わってしまっていようとも。幼少期からの絆が、愛が、必ず彼の胸の内に存在する筈だ。
それらを呼び起こし、必ずカシュパルをこの国に攻め入らせない。
カシュパルを信じている。私に全てを捧げた、カシュパルの愛の強さを。だから私は彼の依頼を受ける訳にはいかなかった。
カルペラ公爵は苛立たし気に私を睨みつけていた。けれど再び溜息を吐いて眉間の皺を解き、短剣を私に近づけて言った。
「では、せめて持って行って下さい。刀身に溝が彫られ、毒が流し込まれています。どんな相手であっても殺せるでしょう。護身用にするか、暗殺用にするかはセレナ様に任せる事に致します」
頑迷に暗殺の任務を押し付けてくると思ったので、意外な反応に拍子抜けする。
間抜けな顔でカルペラ公爵を見ていたのか、ほんの少しだけ口の端を緩ませた彼は言った。
「どうせ、あちらの国に行かれてしまえばセレナ様に無理強い出来る状況ではなくなりますし。ただその場合、この国に戻れなくなるとは思って下さい」
投げやりの様でいて、きちんと警告してくれる気遣いを感じた。甘くはないが、冷たいだけの人でもないらしい。
私はヴィルヘルムスが彼を信頼している理由が分かった気がした。
「獣人は敵です。力任せで、野蛮な獣です。貴女がヨナーシュ国へ行った時、理解出来る事を望んでいますよ」
カルペラ公爵はそう言うと極秘資料を纏め、振り向きもせず部屋を出て行った。
私は一人残されて机の上の短剣を見つめる。よく作られていて、非常に実用的だった。
これをカシュパルに使う事はないだろう。けれど単に捨ててしまうのも勿体ない。
神殿への道中に盗賊や魔物と戦う危険性は存在するのだから、彼等に使うつもりで受け取ろう。
私はそう思い、短剣を左腕に装着してみる。袖を降ろしてしまえば見えなくなり、外から全く見えなくなった。
ある程度の力を込めないと刀身が抜けないように出来ているので、鞘から落ちてしまう事もない。
どんな目的で渡されたとしても、道具は所詮道具だった。
「しかし、時間がないな」
私は直ぐにこの場所を発たなければならない。けれどその前にどうしても会いたい人がいて、彼女に会う予定だけは外さないつもりだ。
「エイダ先生は、お元気だろうか」
彼女にとっては前回顔を見せてから然程間が空いていないだろうが、私にとっては随分と久しぶりの再会である。
懐かしささえ感じる程の期間だ。再会の喜びを前に、私は少しだけ口元を緩ませた。




