第五十話 魔物退治
カシュパルはまともに成長し始めてから、技能を取得する時に苦労というものをした事がない。どんな事も出来ないのは一瞬で、出来るのが当然だった。
寧ろこんな簡単な事が、どうして周囲の者がそれほど出来ないのかが不思議なぐらいである。だから同時に上達の喜びを知らない。
勝手に憧憬を抱き理想を押し付けてくる者に対して、何の感情も持った事がなかった。けれどぞんざいに扱えばセレナが悲しむだろうと思い、適当に相手をしてやっただけだった。
時に命さえ預けてくる者に対してもそのようにしか思えなかったのだから、カシュパルは人であれば生まれ持っているべき共感力が明らかに欠如していた。
彼女と出会う事がなければ、例え過酷な幼少期を生き延びられたとしても世界は灰色だったに違いない。
カシュパルは人生で初めて、完全に充足した日々を送っていた。カシュパルは遂にセレナの愛を手に入れた。
長年の夢と現実との差に失望する事は全くなく、寧ろ漸く失われた手足を再び得る事が出来たかのような満足感に満ちている。
セレナの恋人になってから、今まで自分が不完全で歪な生き物だった事を自覚した。恐らく彼女は、自分が生まれる前に失った魂の半分なのだろう。
他人に賞賛される自分の能力の高さは、彼女の苦労を背負う為に違いない。だから頼まれたサラマンダーの討伐も、漸く正しい力の使い道を得られたというぐらいにしか考えていなかった。
先端を尖らせた鉄の棒を両腕に抱え、カシュパルは焦げて黒くなった灰と炭ばかりの森を歩く。
全てを焼かれた木々の死体しか周囲にはないので、随分と見晴らしは良かった。熱気が立ち込めてそのままでは十分も生きていられないような状況だったが、冷気の魔術を使用したカシュパルは平然と足を進め続ける。
その内に黄色と橙色のマグマが見え、サラマンダーの全貌が露わになった。
本来サラマンダーは炎を纏う、大型犬程の大きさの蜥蜴の魔物でしかない。けれど今目の前にいるサラマンダーは、小山程もあるマグマに全身を覆われて本体が何処にあるのかも分からないような有様だった。
そして周囲には有鱗守護団がマグマに向かって攻撃している姿があった。人の居ない場所へと誘導しようとしているらしいが、マグマの表面を少し削るだけで大した損害を与えられているようには見えない。
ラウロの姿を見つけ溜息を吐くと、向こうもカシュパルを発見して馴れ馴れしく手を振って近寄って来た。
「カシュパル!」
セレナと引き離される原因となったラウロをカシュパルは嫌っていたが、かといって成人するまでの間惜しみなく技術を与えてくれた事には確かに助けられた。
だから眉間に皺を寄せながらも無視はしないでおいてやる事にする。
「……ああ」
「その顔も、久しぶりだと嬉しいもんだな! 元気にしてたか?」
全く堪えた様子がないのもこの男らしかった。
「していたさ。ラウロに会うまではな」
「って事は、彼女に会えたのか?」
カシュパルの纏う空気が急速に冷えてく。カシュパルは獣が相手の出方を見極めようとするように、静かに緊張した視線でラウロを見つめた。
「あの人の事は探るな」
意図せず地雷を踏んでしまった事に気がついて、ラウロは慌てて弁明する。
「悪い、そういうつもりじゃなかった」
十年前の出来事を思い返せば、ラウロに対してセレナの事を慎重になるのは当然だった。
どうやらただの会話のつもりだったらしいので、カシュパルも息を吐いて話題を変える。
「それで? 半年も討伐出来ていないらしいな? 有鱗守護団が」
「そう言うなよ。これでも大分大きさを削ったんだ。元は倍ぐらい大きかった」
「何がそんなに苦労しているんだ」
「マグマの中で本体が逃げ回るから殺せないんだ。だからマグマをどうにかするしかないんだが、冷気系魔術でいくら攻撃しても表面を少ししか削れねぇ」
「そうか」
呆れた内心を隠し、カシュパルはラウロの言葉に相槌を打つ。それからサラマンダーの方へと近づけば、他の有鱗守護団と共に攻撃していたもう一人の知人であるベンヤミンがカシュパルの姿を見て手を止めた。
「何をするつもりだ」
「俺は魔物狩人だ。倒す以外に何がある」
そう言うとカシュパルは手に抱えていた大量の鉄の棒を地面に降ろし、一本を手に取った。
それから剛腕でマグマに向かって投げ飛ばせば、深々とそれが突き刺さる。
間を置かずに一本。更に一本と狙いを定めて突き刺し、あっという間に円状に六本をマグマに差し込んだ。
「おい、そんな針みたいなのでやっても無駄だって……」
ラウロがカシュパルの行動が理解できずに声を上げたが、直ぐに黙る事になる。
完璧な位置に打ち込まれた棒に刻まれた文様魔術が発動し、棒の円の内側にあるマグマを丸ごと凍結させたのだ。
「は……」
広範囲のマグマさえ凍らせる凍結魔術。それは込められた魔力が莫大な量である事を示していた。
しかも文様魔術を発動させるには完璧な位置に棒を打ち込まなければならず、時間をかければ鉄は飴の様に溶けだしてしまう事だろう。
精密な投擲の技術と、独創的な文様魔術と、竜人の中でも一二を争う魔力。
全てを兼ね備えた者の狩りを、大陸中に名を轟かせる有鱗守護団の面々は唖然として見るしかなかった。
半年間、討伐する事が出来ず被害が拡大しないように移動させるしかなかった魔物が、目の前でみるみる弱体化していく。
最後はマグマを失い逃げ場を失った本体が焦ったように地表を駆けようとしたのを、脳天を棒で突き刺して終わらせた。
本体は普通のサラマンダーよりも二回りも大きく、歪な角を幾つも生やしている。どれだけの瘴気を貯め込めば、こんな見た目になるのだろう。
しかしカシュパルはその死体に目もくれず、討伐が終わったとみるや踵を返して帰ろうとする。
ラウロがその背中に慌てて問いかけた。
「お、おいカシュパル、お前が倒したんだろ。持って行かないのか?」
この死体が討伐の証明だった。また、それ自体も売ればかなりの金額になるだろう。魔物狩人としてカシュパルの当然の権利である。
けれどカシュパルには大金よりも一刻も早く、手にしたい物があった。
セレナの安堵する顔。労ってくれる声。何よりもその安全を。
少なくともヨナーシュ国に二人で入るまで、離れる時間は限りなく少なくしたい。サラマンダーの死体を現金化する時間さえ惜しかった。
周囲が熱気に包まれており、セレナが耐えられないという事情さえなければこの場に連れて来たいぐらいである。
「……金を貰った依頼ではなかった。多少でも恩に思うならば、俺を追うな」
カシュパルはそう言い残し、未練も見せずにその場を立ち去った。残された有鱗守護団の面々は思わず顔を見合わせる。
ラウロは取り付く島もないカシュパルの相変わらずの態度に頭を抱えてしゃがみこんだ。
「あー! なんだよアイツ! 前よりも強くなってるじゃねぇか!」
その強さを当然のような顔をして、ラウロの自信を砕いてくる。数百年生きて手にしたラウロの強さは、カシュパルの天性の才能を前に圧倒された。
それなのに何なのだ。金にも栄誉にも頓着しない理解出来ない淡白さは。同じ竜人でありながら、別の生き物の様にさえ思えてくる。
もしもあの男が獣人の王を望んだならば、力を惜しまず協力しただろうに。肝心のカシュパルはアリストラ国の魔物狩人としていつの間にか有名になってしまった。
この状況でヨナーシュ国の王となるには、英雄になれるような逸話を二個も三個も必要とするだろう。
因みにこのサラマンダー退治も十分、国中の栄誉を受けるべき業績である。カシュパルが有鱗守護団の所属であれば、これだけで次代の王として名前が上がるに違いない。
ベンヤミンがラウロの隣に立ち、カシュパルの去って行った方向を静かに見つめた。
「恐ろしいな」
何にも囚われないという事は、どんな言葉でさえカシュパルを説得できないという事である。
そんな男が足早に戻ろうとする理由。ベンヤミンはかつて目にした人間の女を思い出しつつ、祈るように呟いた。
「……堕ちるなよ。同胞」
その時止められる者は誰も居ないだろうから。
熱気が薄れ、生ぬるくなった風がベンヤミンの顔を不吉に撫でて行った。




