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手を汚す準備をして、でもそれは、怒りではなくて


 1月28日。午後8時。


 自宅の自室で、美咲は、スマートフォンを手に取った。電話帳アプリで、1人の人物の情報を表示させる。


 七瀬三春。

 電話番号とメールアドレスが表示された。


 電話番号の隣にある通話アイコンをタップして、電話を架けた。5回目のコールで、七瀬が応答した。


『えっと……もしもし』

「もしもし、私。美咲。今、大丈夫?」

『あ……ああ、大丈夫だけど。何かあったのか?』


 七瀬の声には、はっきりと怯えが混じっていた。昨日、美咲が送った、LOOTでのメッセージの効果だろう。


『まだ公表されてないけど、洋平の死体が見つかったみたい。私の家に、刑事が聞き込みに来た。あんたも気を付けて』


 そんな事実は、もちろんない。七瀬を精神的に追い詰め、美咲を頼らせるための嘘だ。

 その効果は、美咲の想像以上だった。


『もしかして、刑事が俺のことを聞きに来たのか? 俺のこと、何か言ってたのか?』

「大丈夫。落ち着いて。刑事がまたウチに来たけど、あんたのことは何も聞かれてないから」


 優しく、反面力強い口調を意識して、美咲は言った。このような話し方やそれに似合う表情を練習するために、10日も費やした。その成果は確実に出ていると、美咲は自負していた。


 七瀬は、美咲の思惑通りの反応を示した。


『なあ、笹森。どうしよう。村田を殺したのを手伝ったのがバレたら、俺、どうなるんだよ? やったのは五味君で、俺は手伝っただけなのに。それでも、俺も殺人犯になるのか?』


 七瀬の言葉を聞いて、美咲は心底呆れ、溜息をつきたい気分になった。こいつは馬鹿だ。自分がやったことの重さを、まるで理解していない。そんな気持ちが口調に出ないよう、必死に自分をコントロールした。


「落ち着いて。昨日、言ったよね? あんたは私が絶対に守ってあげる、って。大丈夫だから。あんたは、絶対に捕まらない」


 この言葉は、半分は本当で半分は嘘だ。当たり前だが、美咲に七瀬を守るつもりなどない。しかし、彼が刑事に捕まることもない。


 七瀬は今夜、死ぬのだから。


「いい? パニックにならないで、落ち着いて聞いて。私ならあんたを守れるから、心配しなくていいから。だから、今の状況を正確に理解して」


『今の状況?』


 七瀬の声は、涙声に近かった。強者に守られていない状況では、何もできない。自分で切り抜けようとする意思も気力もない。こんな男が洋平殺害に加担したのだと思うと、ただ虚しくて、ひたすら悲しかった。


 こんな男が洋平の人生の幕を引いた1人だなんて、悲しすぎる。


 美咲は、呼気がスマートフォンのマイクに入らないよう、静かに深呼吸をした。七瀬に落ち着けと言いながら、自分も落ち着かせる。


「いい? まず、今日、ウチに来た刑事に聞かれたのは、洋平と五味の関係性について。刑事は、五味を洋平殺害の犯人として断定しているのかも知れない。この場合は、五味自身が死んでいるわけだから、五味が犯人だっていう証拠を集めるために、五味の周囲の人間に聞き込みが行われるはず。もちろん、五味の周囲の人間の中にはあんたもいるから、そう遠くないうちに、あんたの家か学校に刑事が来るはず。五味の死体が見つかったときみたいに」


 電話の向こうから、息を飲む音が聞こえてきた。


『なあ、どうすればいいんだよ? 刑事に何か聞かれたら、どう答えたらいい? 俺、嫌だよ。五味君に言われてやっただけなのに、捕まりたくねえよ』


 美咲の胸が痛くなった。この感情の正体は何なのか、自分でも分からなかった。五味に対して抱いていた怒りとも違う気がする。


 その気持ちを、美咲は、五味に対してのものとは違う怒りだと判断した。こいつら全員を殺さなければ収まらない怒り。洋平を奪われたことに対する怒り。


 そうだ、と自分を納得させるように胸中で呟く。七瀬は、五味や六田と同じように、洋平の命を奪ったことに対して何の後悔も反省もない。あるのは保身だけだ。五味だけを洋平殺害の犯人と捕らえ、自分には何の責任も罪もないという発言をしている。そんな彼に対する怒り。


「言ったよね? 私があんたを守ってあげるって。だから心配しないで。私の言うことをよく聞いて、私の言う通りにしていれば、絶対に大丈夫だから」

『本当に、絶対に大丈夫か?』

「本当に、絶対に大丈夫」


 力強く、美咲は告げた。自信に満ちた声と口調。何度も練習した話し方。


『じゃあ、俺は、どうすればいいんだ?』

「洋平が死んだ日は、ちょうど、私も外出していたの。1人でね。だから、その日は、私もアリバイがないことになる。だから、あの日は、私と一緒にいたことにしなさい。ただし、あの日の私の行動を完璧に記憶して、口裏を合わせる必要がある。だから、メモに書き出して渡すから、今から出てきなさい」

『……わかった』


 七瀬は、美咲の指示に一切反論しなかった。


「私は今から、あの日に出かけた先と行動をメモに書き出すから。結構細かく書くけど、メモを見なくても暗唱できるレベルで覚えて。遅くとも明日中に」

『……ああ。で、俺は、どこに行けばいいんだ? お前の家か?』

「私の家に直接来たら、口裏合わせがバレるかも知れないでしょ? だから駄目。そうだね……五味の家の会社がやってる、会社のビルの建設予定地に来て。あそこなら、現場の中に入れば、誰にも見つからずに話しができるから。場所は……」


 美咲が指定したのは、六田を埋めた建設予定地だった。当然、六田と一緒に七瀬も埋めるつもりだった。


「私は、今から急いでメモを書き出すから。急いで書くから字が汚くなるけど、文句は言わないでね。時間は……9時半頃に着くようにして」

『わかった。頼む……』

「任せて。じゃあ、後で」


 美咲は電話を切った。


 七瀬に渡すメモは、すでにもう書き上げている。すぐに家を出て、8時半頃に待ち合わせることも可能だった。時間に余裕を持たせたのは、最終確認をしたかったからだ。


 七瀬を信頼させるための表情の練習。五味の家から持ってきたスタンガンの動作確認。絞殺のためのロープが切れていないかどうかの確認。


 咲子はすでに帰宅しており、1階のリビングにいる。彼女に聞こえないように、鏡の前で表情を作り、声や口調の練習をした。問題ない、と思えた。焦り、怯え切っている七瀬を騙すには、十分な演技だ。


 スタンガンの動作もチェックする。スイッチを入れると、バチバチッと音を立てて青白い光が走った。


 このスタンガンは、洋平を殺したときに使った物だろう。彼ほどのアスリートを行動不能にするのだから、七瀬を行動不能にするくらいは簡単にできるだろう。


 それでも、一抹の不安はあった。だから美咲は、七瀬殺害の計画を立て始めてから、3回ほどこのスタンガンの威力を試した。


 自分の体で。


 スタンガンを体に当てた瞬間、全身に引きつるような痛みが走り、筋肉が思うように動かせなくなった。体が自由を取り戻すまで、10分以上はかかったはずだ。さらに、完全に筋肉の引きつりが消えるまで、丸1日ほどもかかった。


 ロープが切れていないかも、細かくチェックする。ビニール製のロープは締め上げる際に手が滑るので避けた。麻縄のロープ。表面がザラザラしていて、思い切り締めても手が滑らないだろう。もっとも、そのぶん手が擦れそうなので、軍手も持って行く。


 七瀬に渡すメモも鞄の中に入れた。このメモをに書いたあの日の美咲の行動は、まったくの嘘だった。あの日は、ずっと家にいた。洋平が暴行され、殺されているとも知らず。何も知らずに家にいた。


 洋平は、美咲を守ることだけを考えていたのに。


 胸が痛む。もうどこにもいない洋平の姿を思い浮かべる。優しくて、努力家で、何よりも美咲を大切にしてくれた洋平。


 洋平のことを考えると、胸の痛みが強くなった。苦しくなった。


 この痛みや苦しみは、洋平を失ったことに対する悲しみと、彼を殺したクズ共に対する怒りだ。少なくとも美咲は、そう自覚していた。


 だから殺す。仇を討つ。


 五味に買わせた黒のコートを着て、美咲は鞄を持った。1階に降りて、咲子にコンビニに行ってくると

告げて、家を出た。


 胸の痛みの原因は、怒りではない。かつて怒りも含んでいたもの、だ。


 けれど美咲は、自分自身のその気持ちに、まだ気付けない。

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