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事実と偽りの中で、思考を繰り返す


 始業式の日だというのに、美咲が家に着いたのは午後5時近かった。


 この季節では、午後5時にもなると、すっかり陽が落ちている。


 玄関の鍵を開けて家に入ると、明かりの付いていない部屋は真っ暗だった。


 咲子は、まだ仕事から帰って来ていないようだ。


 美咲は玄関で靴を脱ぐと、そのまま2階に上がり、自分の部屋に入った。明かりを点けて鞄を床に放り出し、コートや制服を脱いでハンガーに掛けた。


 室内は寒い。ブルッと体を震わせると、ストーブを点け、ベッドに体を投げ出した。仰向けになり、じっと天井を見る。


 あの2人の刑事は、前原正義と原さくらと言ったか。つい先ほどの刑事の聞き込みを、頭の中に思い浮かべた。


 彼等に対して行った自分の発言には、何ら矛盾点はなかったはずだ。洋平がすでに殺されていることは口にしなかったし、六田が死んでいることも知らない素振りをした。五味が殺された際の犯人しか知り得ない情報だって、話していない。


 大丈夫だ。今のところ、自分は上手くやれているはずだ。


 正義やさくらに話した内容を思い出しながら、自分を落ち着かせるように胸中で繰り返す。


 美咲は、自分が少なからず動揺していることを自覚していた。その原因は、自分でも気付かないうちに泣いてしまったことだった。


 聞き込みを終えて教室に戻ったとき、残っていたクラスメイトに驚かれた。美咲を腫れ物のように扱い、しばらく話していなかったクラスメイトに、久し振りに声を掛けられた。


「大丈夫? 何かあったの?」


 クラスメイトに指摘されて、美咲は、そのとき初めて、自分が泣いていることに気付いた。


 正義やさくらに五味と付き合い始めた理由を話して、洋平が生きていると信じていた頃の気持ちを思い出した。途端に、胸が締め付けられるほど苦しくなった。もう、洋平はどこにもいない。その事実を再度思い知らされて、どうしようもなく悲しくなった。洋平に会いたい。また以前のように、当たり前にいつも一緒にいたい。そんなことを思っていたら、自然と涙が流れてしまった。


 正義やさくらと交わした会話に、落ち度はなかったはずだ。ただ、泣いてしまったのは失敗だった。


 彼等は、涙を流す美咲を見て、こんなことを思ったかも知れない。


「洋平が行方不明になっただけなのに──死んだわけでもないのに泣くのは、不自然だ」


 美咲の涙から、彼等は、洋平がすでに殺されていると考えるかも知れない。洋平がすでに死んでいることが知られれば、必然的に五味の存在に辿り着く。


 結果として、美咲の復讐殺人という可能性について考え出す。疑い始める。


 美咲の心の中に、焦りが生まれた。必死に走りながらも、逃げ場のない袋小路に追い込まれてゆくような感覚。


 刑事が動き始めたことで、美咲の心理は、疑心暗鬼に近い状態となっていた。本人にその自覚もなく。


 胸に手を当てて、美咲は大きく深呼吸をした。自分を落ち着かせるように。落ち着け、と何度も心の中で繰り返す。


 自分では、少しずつ冷静になっているつもりだった。疑心暗鬼になり、必要以上に考え過ぎているという自覚はなかった。


 そんな心理状態のまま、美咲は思考を続けた。


 本当に疑いを掛けられたなら、自分に残された時間は、それほど多くない。捕まる前に、残りの2人を殺さなければならない。


 急ぐ必要がある。しかし、焦ってはいけない。焦ってボロを出したら、残された時間をさらに縮めてしまう。


 落ち着いて考えろ。美咲は再度、自分に言い聞かせた。刑事達の聞き込みの前にも、考えたはずだ。自分は、疑われて当然の立場にいるのだと。だからこそ、疑われている前提で発言し、行動する必要があると。


 自分は、疑われている。刑事達の前で泣いてしまったせいで、その疑いが強まったと考えるべきだろう。


 それならば、まずは刑事達から向けられている疑いの目を逸らしつつ、次の標的──七瀬を殺す準備をすべきだ。


 では、七瀬をどうやって誘い出し、殺すべきか。五味や六田のときのように、自分の体を餌にして誘い出すか。


 ううん、駄目。


 美咲は、頭に浮かんだ単純な策を、あっさりと否定した。七瀬は、自分より立場の強い者に媚びることで、上手く生きている男だ。それはつまり、自分自身にはあまり自信がないことを意味している。自信がないからこそ、他者に媚びるのだ。


 そんな自信のない人間が、五味の彼女という立場の美咲に誘惑されて、簡単に落ちるだろうか。


 答えは否だ。七瀬は、五味や六田のような、無駄に自分に自信のある人間とは違う。


 下手に体を使って誘惑すれば、間違いなく警戒される。そんなことをすれば、むしろ、美咲の真意に気付かれる可能性もある。美咲は、洋平の仇を討つために五味に近付いたのではないか、と。そうすると、五味を殺したのは美咲だという事実に、辿り着いてしまう。


 七瀬は、自分自身にはあまり自信がなく、立場の強い者にすり寄って生きている。ならば、その心理を上手く利用できれば……。


 そう考えたとき、美咲の頭の中でひとつの案が浮かんだ。そうだ。七瀬の心の中に不安を募らせ、煽ればいい。その不安から守れる立場に、美咲自身がなればいい。


 七瀬に「美咲が俺を守ってくれる」と思わせれば、簡単に彼を誘い出せるはずだ。


 行動の方針ができ上がると、簡単にその手段が思い浮かんだ。


 美咲はベッドから降りると、部屋にある姿見の前に立った。七瀬に見せる表情を練習するために。

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