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憎悪の深さが、守ってきたものすら捨てさせる


 午後10時。


 飲み会を終えて家に帰ると、美咲は、咲子にもう少ししたら寝ると告げ、2階にある自分の部屋に足を運んだ。


 ドアを開ける。


 明かりは点けていないので、当然ながら部屋は暗い。カーテンを閉めていない窓から、街灯と月の光が差し込んでいた。


 微かな光に、部屋の中が照らされている。洋平がいなくなってから、部屋の掃除など一度もしていなかった。彼がいた頃は、いつでも招けるように、ほぼ毎日、掃除をしていたのに。


 部屋の明かりを点けないまま、窓際にあるベッドに座った。外は暗い。


 美咲の部屋の窓からは、道路を一本挟んで真向かいにある、洋平が住んでいた市営住宅が見える。市営住宅の5階。


 窓から洋平の家を見上げた。カーテンの向こうにある部屋には、明かりが点いていた。洋平の母親──洋子は、家にいるようだ。今日は夜勤ではないらしい。


 洋子は、洋平が行方不明になってから、みるみる痩せていった。もともと小柄で太ってなどいなかったのに。今の姿は、見ているだけで痛々しい。


 美咲は、何ひとつ疑うことなく、洋平と一生一緒にいるものだと思っていた。高校を卒業し、大学に進学し、就職し、結婚する。そんな未来が当然のようにあるものだと思っていた。


 そんな美咲にとって、洋子は、いわば義理の母親だ。昔から知っている人だし、家族連れで遊びに行ったこともある。将来はこの人の孫を産むのだと、信じて疑わなかった。


 そんなもう1人の母親とも言える人も、苦しんでいる。美咲と同じように。あるいは、美咲以上に。


 それは誰のせいか。

 先ほどまで一緒にいた、下衆共のせいだ。


 美咲の心の中で、沸々と怒りが沸き上がってきた。まるで沸騰した熱湯のように、泡が浮かび、熱を帯びている。


 あいつ等は、自分だけではなく、自分の母親も、自分の義母も傷付ける行為をしたのだ。自分の欲求を満たすためだけに。


 死ぬべきだ。あいつ等は、生きていていい人間じゃない。だから殺す。


 胸中は、収まり切らないほどの憎悪で満ちている。それでも、美咲は冷静だった。


 本当は、あいつ等の手足を拘束して、あらん限りの拷問の末に殺してやりたかった。だが、現実的に考えて、そんなことは不可能だとはっきりと理解していた。


 それだけではない。人を殺せば殺人犯として警察に捕まるだろうということも、美咲は理解していた。


 警察の中には、怠惰な者や下衆な者もいるだろう。だが、組織としては、決して無能ではない。4人も立て続けに殺せば、必ずどこかで美咲の尻尾を掴み、逮捕まで持っていくだろう。ドラマや小説のような名探偵など現実にはいないのと同様に、誰の目も欺けるような殺人トリックも、現実にはないのだ。


 自分はあいつ等を殺す。単純で、かつ、現実的な範囲で、可能な限り残酷な方法で。警察は、近代科学と人海戦術で捜査を進め、殺人犯となった自分を追い詰めてゆくだろう。


 結果として、いつか自分は捕まる。


 それが分かっているからこそ、美咲は、今日の飲み会を開いた。


 殺人を行えば、いつかは必ず捕まる。もしかしたら、4人全員を殺す前に──2人目や3人目を殺した時点で捕まるかも知れない。だからこそ、殺す優劣をはっきりとつけなければならなかった。彼等の人間性と、洋平を殺したときの役割の大きさを知る必要があった。


 美咲は、今日の飲み会で語られた洋平を殺したときの状況や、それを話す彼等の人となりを頭の中で再生した。顔には作り笑いを貼り付けながら、それでもしっかりと彼等を観察していた美咲の頭の中には、彼等の話の内容がはっきりと記憶されている。


 最初に殺すのは五味だ。これは、殺人を決意した時点で、すでに決定事項だった。美咲を自分の女にするために、夜の建設現場に洋平を呼び出した張本人。4人で洋平を囲み、決して手を出さなかった洋平をスタンガンで行動不能にし、凄まじい暴行を加えた主謀者。たとえ他の3人を殺せなかったとしても、あの男だけは確実に殺す。


 次の標的も、美咲の心の中では決まっていた。六田祐二。自己顕示欲が強く、自分がいかに優れた人間かを酒臭い息で語っていた。洋平殺害時に暴行も加えていたようだし、洋平のことを小馬鹿にもしていた。


 先ほどの飲み会で、六田は、自慢気に自分が女にモテる話をしていた。


「女を上手く口説き落とすコツは、タイミングなんだよ。寂しいとか言ってくる女がいたら、そのタイミングで、100パーセント落とせる」


 そんな、女性が聞くと不快感しか覚えないような六田の話を聞きながら、彼を殺す算段を明確に考えていた。


 美咲が悩んだのは、三番目に殺す人物と最後に殺す人物だ。七瀬と八戸。どちらを優先的に殺すべきか。


 七瀬は、五味や六田の腰巾着だ。学年で立場の強い彼等に付き従うことにより、彼等の傍らで他の生徒に大きな顔をしている。虎の威を借る狐、という言葉をそのまま体現しているような男だ。人に媚びるのが上手く、五味や六田も彼を気に入っているようだ。


 実際に、先ほどの飲み会でも、五味や六田の機嫌を良くするような発言を、何のわざとらしさもなく口にしていた。


 七瀬も、洋平殺害に関わった1人であることには変わりないが、自発的に行動したわけではない。彼は、もし学年に五味や六田よりも取り入るべき人間がいたら、洋平殺害には関わっていなかっただろう。


 八戸も、4人の中において、洋平殺害の罪の大きさという意味では、七瀬とそう大差はない。彼は気が弱く、五味や六田に従っているだけだ。彼等の話によると、八戸は、五味や六田に言われて野球部を退部したらしい。彼等の使い走りをするためだけに。自分より強い者に逆らえず、抵抗する考えすら持てない小心者。強い者の庇護のもとで、強い者の言いなりになることでしか生きられない臆病者。


 七瀬と八戸の人間性を考えて、美咲は決断した。七瀬を三番目に、八戸を最後に殺す。


 七瀬は五味達に言われれば容赦なく洋平に暴行を加えただろうが、八戸は、彼等に言われても恐る恐るという程度にしか暴行を加えられなかっただろうから。


 五味、六田、七瀬、八戸。殺す順番は決まった。


 では、どうやって4人を可能な限りスムーズに殺してゆくか。


 五味を殺す手順は、もう決まっていた。前回の飲み会で美咲自身が口にした言葉が、偶然にも布石となった。


『クリスマスまで待って』


 クリスマス・イブに、五味は、美咲と寝るつもりだ。だから、そこを狙う。自分の体を餌にして、五味を満足させ、偽りの幸せの絶頂に昇らせ、そこから地獄に叩き落としてやるんだ。


 美咲の心の中では、もう、洋平の死を知る前に抱いていた決意など、なくなっていた。


『絶対に体は許さない』


 そんな決意は、洋平が生きているからこそ意味を成すものだ。洋平が殺されてしまった今となっては、どうでもいい。自分の体を餌にして、自分自身が苦痛を味わうだけで洋平の仇が討てるのなら、いくらでも差し出そう。


 五味の未来も、彼が存在していた証すらこの手で奪えるなら、自分の体など、どんなふうにでも使ってやる。


 五味を殺したら、次は六田だ。彼を誘い出す言葉は、もう、美咲の中で決まっていた。五味を最初に殺すからこそ、効果的な言葉。自己顕示欲が強く、自惚れも強い彼ならば、簡単に騙せるはずだ。


 七瀬は、どうやって殺そうか。五味や六田ほど承認欲求が強くない彼は、その分コントロールが難しいと感じた。五味の彼女になったといっても、それだけでは、七瀬は美咲の言いなりにはならないだろう。少なくとも、五味がいない場所では。


 ──いや……。


 美咲は発想を逆転させた。そもそも七瀬が人に媚びるのは、自分自身に力がないと理解しているからだ。だからこそ、強い者に庇護される生き方をしている。


 それを逆手に取れば……。


 3人を殺せたとして、最後の八戸はどうやって殺すか。いくらあの4人の中では立場が弱いといっても、スポーツの経験もなく運動も得意ではない美咲よりは、確実に強いはずだ。


 いくら何でも、八戸が美咲にまで怯えるとは考えにくい。美咲自身も、八戸ならば力ずくでどうにかできる、とは思っていない。むしろ、臆病な分だけ警戒心が強いであろう八戸が、1番殺しにくいかも知れない。


 最後の1人である八戸は、どうやって殺せばいい?


 ベッドの上に座りながら考え、美咲は、そのまま寝転んだ。頭を使うことを放棄するかのように。

 実際に、美咲は、この時点で思考を止めていた。


 まだ、そこまで考えなくてもいいか。全員を殺せるとまだ決まったわけではない。もしかしたら、そこに辿り着く前に警察に捕まってしまうかも知れないのだから。


 自分の命に替えても殺したいのは五味。彼を殺すことだけは絶対だ。何があっても、どんなことをしても、間違いなく殺す。


 確実に殺したいのは六田。五味を殺した後始末さえ失敗しなければ、彼もかなり高い確率で殺せるはずだ。同時に、殺す必要もあった。彼は五味に付き従っていたのではなく、五味と並んで洋平を殺したのだから。


 七瀬と八戸は、殺すために全力を尽くす、という程度にしか過ぎない。だったら、今の時点で深く考え過ぎない方がいいかも知れない。ことが上手く運び、美咲の思惑通りにいけば、七瀬も殺せるだろう。八戸のことは、その後に考えればいい。


 美咲は着替えもせず、体を転がしてベッドの上の掛け布団に包まった。


 目を閉じる。


 まずは来週。クリスマス・イヴ。五味とのデートに持って行く鞄に、予め用意したサバイバルナイフを隠し持つ。鞄には細工をして、二重底にしておいた。


 五味の家に行き、彼の好きにさせてやり、彼が眠りについたところで、滅多刺しにする。


 おそらく、最初の一刺しで、眠っていた五味は目覚めるだろう。


 そこで、呪いの言葉を口にしてやるのだ。美咲を自分の女と思い込み、達成感と幸福感の絶頂にいるであろう彼を、地獄の底に叩き落としてやるのだ。


 そして、もし上手くいけば、彼を殺すだけではなく、彼の未来や存在そのものを否定することができる……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分の体も餌にする、これは凄まじい発想です。もう自暴自棄にしか聞こえない。だからこそ怒りの深さが伺えます。 人はここまで狂気出来るのかとゾッとしました。復讐は一つの正義なのに、この感情が交…
[一言] なんというか二人がプラトニックなのもあってか、守ってきたその貞操すらも殺害の道具として復讐相手に使い捨てる冷徹さには、凄まじいまでの憎悪の深さを感じさせますね……。 それだけ洋平を愛していた…
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