第1話 聖女との出会い
排煙で空がくすんだ晴れの日。突如として都市の上空に現れた巨大な魔法陣。
街行く人々は物珍しさから誰もが足を止めて空を見上げた。
しかし、次の瞬間には好奇が絶望へと変わる。
魔法陣から吐き出される無数の巨大なクリスタルが街へ襲いかかる。
逃げ惑ってももう遅い。
人も家畜も家も城壁も何もかも。大質量に押し潰され原型を無くした。
点在する鍛冶屋からは炎が上がり、優美なガラス細工を溶かして街を蝕む。
生き残った人々は生きるために歩き続ける。
「デルカニア王国なら、我々を受け入れてくれる」
そう、信じて。
━━━━━━━━
緑豊かなデルガニア王国と鉄鋼業で栄えるゲートランド都市王国の国境沿い。両国の交易の要所となるこの地を治めるのはヴァスリドス子爵家の長男であり赤い髪の毛が特徴的なテレント・ヴァスリドス。
彼の元に、デルカニア王国貴族院から一通の報告が入った。
『ゲートランド都市王国が魔女に襲撃され、壊滅した模様。即座に難民の受け入れ体制を整え魔女の流入を阻止せよ』
押し寄せてくる難民を受け入れて同時に魔女の侵入を阻む。
無理難題であることは報告書を受け取ったテレントだけでなく読み上げられる内容を聞いていた内政官たちも感じていた。
魔女による襲撃はデルガニアでも10年前、テレントが14歳の時にとある魔女が王国を襲撃し、民衆貴族関係なく多数の被害をもたらした。
テレントはそのとき目の前で家族を全員失った。それ以来子爵領の人々と共に後ろ盾なしでここまで家を再興させたのだ。
王国が魔女の流入を嫌うのも無理はない。
そしてテレント自身、魔女の侵入を許す気など毛頭なかった。
「これは我々にとって大きな試練である。必ず、王国を魔女の手から守り抜くぞ」
父と母の無念。繰り返させるものか......
テレントは騎士たちを鼓舞し、自らの襟を正した。
翌朝。テレントは多数の騎士と従者を連れてゲートランドとの国境に陣を張る。
最初に目を疑ったのは山を超えて立ち昇る眩い炎と暁を隠してしまうほどの黒煙だった。
そして、ゲートランドとデルガニアを結ぶ街道にはこちらへ向かって歩いてくる途切れることのない難民の列。
「怪しい者は即座に追い返せ!」
テレントは配下の騎士に命令を出し、自らも怪しい人物の捜索にあたる。
「......怪しい者とは言ったが、特徴もわからない魔女をどうやって見つけ出せと」
雪崩れ込んでくる途方もない数の人々。
炎に焼かれ火傷を負い、服がひしゃげ、誰かに担がれ、もう少しのところで倒れてしまう者も少なくない。
それでも怪我人は命のある限り手当を続け、治療のためのキャンプを設置した。搬送担当や治療担当に人を持っていかれ、検問に割ける人員はどんどん減っていく。
「テレント様、怪我人の搬送も治療も間に合っておりません。魔女の捜索だって......どちらかを諦め、専念すべきです」
近寄ってきた内政官は、額の汗を拭いながら苦言を呈した。
テレント自身もそのことはわかっている。しかし、手当すれば生き延びられる人々を見殺しにはしたくない。
「検問にあたる人員を減らしてくれ。1人でも多くの難民を救う」
驚く内政官に一瞥し、テレントは片足を引きずる老夫を自らの馬へと乗せた。
向かう先は治療キャンプ。
簡易的なテントが二重三重の輪のように並べられており、領地中から集めた医師や助手が怪我人の治療にあたっている。
それでも収まりきらないほどの怪我人。血を流し包帯に巻かれ、中には既に動かなくなっている者もいた。
「安静にしていてください。すぐに医者が来ます」
「あぁ......すみませんのぉ」
老夫を木陰に座らせ、テレントはすぐに踵を返す。
道中、小高い丘から果てしなく続く難民の列を見渡した。
「父様、俺の判断は正しかったのでしょうか」
雲ひとつない天を仰ぎ、幼き日の約束を思い返す。
『いいか...テレント。迷いに目を曇らせてはいかん。決めたことを......成し遂げるのだ』
息を整え、両頬を2度叩く。
今は難民を1人でも多く救うのが責務だろ。
気持ちを改めるテレントへ近づいてくる小さな影。
「あの、もしよければ私も手伝います! 母から治癒魔法を教わっているので!」
テレントに話しかけてきたのは、意外にも少女であった。ローブを纏いフードを被っているため髪型や体形はわからない。まだ幼さを残す顔は可愛らしく、輝く金色の瞳からは強い“何か”を感じる。
ローブが焦げつきどこの教会所属かはわからなかったが、きっと修道女だろう。
人手は1人でも多いに越したことはない。そう勝手に納得したテレントは怪我人で溢れかえっているキャンプへと彼女を案内することにした。
「ありがたい。とにかく後ろへ乗ってくれ」
手を差し伸べ少女を馬へと乗せる。
手綱を引き馬が歩き出すと、少女は慌ててテレントの腰元を抱きしめた。
移動中、テレントは少女に話しかける。
「聞き忘れていた。名前は?」
「えっと、......セシリアです。セシリア・アラディアです」
まだ緊張の取れないような、ぎこちない声。それ以上ふたりが言葉を交わすことはなく、手の足りていないキャンプへ着く。
「ではセシリア、回復魔法を頼んでもいいか」
歩み出したセシリアは輪中心に立ち、そっと手を組んだ。
透き通るような声で祈りを捧げる。その場にいた誰もがその声に耳を傾け、彼女の姿に注目する。
セシリアを中心に地面へ魔法陣が組み上がり、光を発し出した。さらにそこから浮き出てきた青緑色のオーブが負傷者の傷口へと集まり傷を癒す。
みるみるうちに怪我が治った人々は、彼女を囲んで騒ぎ立てた。
「聖女だ!」「我らが聖女様!」
「う、動くと傷が開いてしまいますよ!」
沸き立つ人々とその中心で宥めるセシリア。
目の前で起きた本当の奇跡に、テレントはこの局面を突破できる可能性を見出した。
「キャンプ地への怪我人の搬送は辞めだ。難民の列へ近づき、負傷者を見つけ次第聖女セシリアの治癒魔法をかけてもらうぞ!」
声を張り上げ従者へ命令する。即座に動き出す騎士たちを尻目にテレントは跪き、セシリアにそっと手を出し申し出た。
「聖女様の力、お借りしてもよろしいでしょうか」
セシリアも応えるように白く繊細な手をテレントに預ける。
「はい! 私でよければ喜んで」
*
テレントはセシリアとふたりで馬に乗り、怪我人の元を次々と回った。
はじめはフードが脱げてしまわないようテレントを掴んでいない方の手で必死に押さえていたセシリア。だがいつしかその手もテレントの腰へ添えられ、美しい銀色の髪を風で靡かせていた。
彼女に命を救われた人々は口々に聖女様だと騒ぎ合い、セシリアに握手を求める。
治癒魔法を得意とし、圧倒的な魔力量を保有するのは聖女のそれに類似している。
しかし、あまりに都合のいい聖女の出現はテレントの心に疑念を生み出した。
――セシリアは魔女ではないのだよな?
目の前で楽しそうに従者と話しているセシリア。
いや、一国を滅ぼすような魔女が人を助けるような真似をするとも思えない。修道女が聖女となった逸話はいくつもあるわけで、きっと彼女もこの一件で力が発現したと見るべきだろう。
テレントはそう結論づけた。
しかし、どちらにせよセシリアを野放しにしておくのはいささか不安が残る。であれば......テレントは談笑しているセシリアを呼び出した。
「セシリア。君は難民向けのキャンプ地ではなく、我が館でしばらく過ごしてほしいのだ」
首を傾げるセシリア。彼女にテレントの真意はわからない。一方のテレントは、黙り込むセシリアに対して断られるのかもしれないという漠然な不安に襲われていた。
「いやその、お礼もしなければいけないし、明日以降も力を貸して欲しいし、小さいが礼拝堂もある――」
「お邪魔でないのなら......ぜひ」
にっとはにかむセシリアに、テレントは顔を背けてしまった。
ヴァスリドス子爵家の館はお世辞にも広いとは言えない。それでも子爵家としては破格の石造りの堅牢な城砦を構えられているのは、ヴァスリドス子爵家がその昔武力で権勢を誇ったヴァスリドス公爵家の末裔だからである。
公爵家としての家格はテレントの12代も前に魔女狩りの失敗で失われ、その後も魔女狩りをするたびに戦費がかさみ侯爵、伯爵と順調に力を削ぎ落とされてきた。
「本日だけで子爵領の備蓄食料のうち5分の1を消費しています。医薬品やその他必需品も、明日以降何日持つかわかったものでは......」
内政官の報告に、テレントの表情が苦しくなる。
「王国からの支援も順次到着する。それに、5日後には王国騎士団も魔女の捜索に協力してくれるそうだ。もう少しだけ辛抱してくれ」
テレントは王国からの簡素な書状を伏せ、大広間を後にした。そして向かった先は城砦の西にある塔。この塔の根本にセシリアの部屋があるのだ。
コンコンコンコン
「ど、どうぞ!」
整理整頓された部屋のすみ。椅子に腰掛けたセシリアは出会った時のローブ姿ではなく、白いドレスを着て腰まで伸びた長く美しい銀色の髪を、丁寧に櫛でとかしていた。
「何か不満はあるか? 部屋でも服装でもなんでも言いつけてくれ」
「いえ! とんでもありません。自分のお部屋なんて初めてで感動しております」
そうか、修道女は集団生活だから個室は与えられないのか。テレントはセシリアの嬉しそうな顔を見て満足した。
「それはよかった。それで、明日からも回復魔法を使って欲しいのだが大丈夫か?」
「はい! お役に立てるよう頑張りますね」
テレントは微笑みかけられ思わず目を逸らす。
「あ、ああ」
それからふたりは、しばらく話をして解散した。




