父と母のなれ初めについて
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「三番目のお嬢様も無事に良い所に嫁がれて、アデス公爵もさぞお喜びでしょう」
「そうですわね。……でも、二番目のお嬢様はまだ嫁ぎ先どころか、婚約相手すら見つかっていないらしいわよ」
「まぁ、そうなのですの? じゃあ、妹様が先に嫁がれてしまったのですか?」
「そのようですわ。なんでも、二番目のお嬢様は他のご兄妹のように社交的でないうえ、お顔立ちもきつめでなかなか貰い手が見つからないとか」
「でもそろそろいいお年でしょう? このままいき遅れになってしまいますわね」
「そうなのよ。ですから、アデス公爵もかなり焦って、いま必死にお相手を探しておられるとか」
「公爵家のお嬢様がいき遅れてしまうなど恥もいい所ですものね。アデス公爵様も大変ですわね」
「本当ですわね」
そう言うご婦人たちの声には嘲りが滲んでいる、私は彼女たちに気が付かれないようにそっとその場を離れた。
私はミリディアナ・アデス、アデス公爵家の二番目の娘だ。
本日、アデス家では三番目の娘、すなわち私の妹の結婚記念パーティーが開かれている。
沢山のお祝いの言葉が飛び交う中、先ほどのご婦人たちが話していたような話も所々で囁かれていて、私にはだいぶ居心地の悪い場所になっている。
社交的な兄妹達とは違い人見知りが強くておまけに顔立ちもきつくて、よく陰で『お高く留まっている』と陰口を叩かれる私には、下の妹に結婚が決まった今でさえ、婚約者すら決まらない。
家が公爵家という地位にあるため、婚約者はそれなりの身分の相手でなくてはならないと父が探してきてくれた相手は……私より器量良しで愛想もよい他の姉妹たちに心を移してしまうのが常だった。
そんな私だが、決して家族に邪険にされているわけではない。むしろとても大切にしてもらっている。
母や兄妹達は悪く言われる私を庇ってくれるし、父であるアデス公爵は今も私のために必死になってよい相手を探してくれている。
そんないい家族であるため、ますます自分の駄目さが嫌になってしまうのだ。
もっと姉妹たちのように愛想よくできたら、うまく笑うことができたら……。
そんな風に思うとますます萎縮してしまう自分がいた。
そのため、今日のようなパーティーもとても苦手だ。ここの会場にいるだけで、もうとてもいたたまれない気持ちになってしまう。
これがいつも私を庇ってくれていた大切な妹のためのパーティーでなければ、気分が優れないと言って欠席してしまいたい所だった。
「はぁー」
私はそっとため息を吐いて、会場の隅へ隅へと移動していく。
出来るだけ人目につかない隅で、終わりまで存在を消していよう、そんな風に思った時、会場がにわかに騒がしくなった。
ざわついている場所に目をやれば、一人の男性が見えた。
おそらく遅れて、今やってきたばかりなのであろう、到着したてという雰囲気だった。
ざわつきは、そんな彼を見ているご婦人たちから起こっていた。
なんだろう? と好奇心に駆られ隅から少し移動して、その人物の方へと近づく。
ようやくその人の顔が確認できる所まで行くと、私はご婦人たちがざわついていた意味を理解した。
その人は、それは見目麗しい男性だった。
会場の灯りをうけてキラキラ輝く金色の髪、青い瞳のまるで御伽話に出てくるような王子様のような人。
あまりの素敵さに、ざわつくご婦人たちと同じように、私も頬を赤くして彼に見惚れてしまった。
「なんて綺麗な方なのかしら」
「ええ、本当になんていう方なのかしら」
「あら、あなたご存じありませんの? あれはクラエス公爵家のルイジ様ですわよ」
「え! あの方がルイジ様なのですか」
ざわつく周りのご婦人たちの話で、私は美しい彼の正体を知った。
クラエス公爵家の跡取りのルイジ・クラエス。
社交界が苦手でほとんど参加せず、友人も少ない私でさえも知っているほどの有名人だ。
見目麗しい容姿に、社交的で明るい性格、学問にも秀で、身体能力も高い。
そして公爵家の跡取り息子。
今、社交界の独身令嬢達の間でもっとも結婚したい男性だと話題の人物だった。
その美しさに思わず見惚れてしまったが……その正体がルイジ・クラエスとわかれば、身分はともかく……愛想もなく嫁の貰い手もみつからないような自分とはあまりにも違う世界の人間だと感じた。
私は彼に惹きつけられそうになる目をなんとかそらして、もう一度、会場の隅へと戻ろうと足を運び始めた。すると、
「ミリディアナ」
突然、通る声で呼ばれた。振り返れば、会場の真ん中で、父であるアデス公爵が満面の笑みで私を見ていた。
そして、なんとその隣にはルイジ・クラエスが立っているではないか!
驚愕して思わず固まった私を父が『こちらにきなさい』と手招いた。
正直、あんな会場の真ん中、それも女性たちの視線を一身に集めるルイジの傍になど行きたくはなかったが……だからと言って振り向いてしまった手前、気が付かなかったと去ることもできず、私はしぶしぶながら父の元へ向かった。
「これが二番目の娘のミリディアナだよ、ルイジ」
父はそう言ってルイジ・クラエスに私を紹介した。
「はじめまして、ミリディアナ・アデスと申します」
私は淑女らしくていねいにお辞儀をした。
「はじめまして、ルイジ・クラエスと言います。アデス公爵にはとてもお世話になっております」
ルイジはそれはにこやかな笑顔でそう返してきた。
そのさわやかな笑顔に周りの女性から感嘆のため息が漏れる。そしてその笑顔を向けられた私には冷ややかな視線が向けられる。いたたまれない……。
だけど、近くで見るルイジ・クラエスは遠目でみるよりもさらに美しくて……その青い瞳で見つめられると頬に熱が上がってくる。それに、
「ミリディアナ様は本当にお美しいですね」
なんてみえみえのお世辞にまで、うっとりしてしまいそうになるのだから恐ろしい。
結局、なぜかその後パーティーが終わるまで私はルイジとともに過ごすことになった。
きっとルイジからしたら世話になっている父への恩返し的なものだったのだろう。
主催者の娘がぽつんと一人で壁際にいたなんて外聞が悪いから。
ずっとルイジを独占する私に彼目当ての女性たちからはそれは恨みがましい視線を向けられ初めこそいたたまれない思いを感じていたが……次第にどうせ今だけだからと開き直った。
このパーティーが終わればもう彼の目に私が映ることなどないだろう。
ならば今だけ素敵な王子様との時間を楽しもう。
そして、私は普段の私では考えられないくらいに、にこやかに浮かれて彼との時間を楽しんだ。
「ミリディアナ様、今日は本当に楽しかった。また次の機会にはぜひご一緒に」
分かれ際にそう言って微笑んだ王子様に、私はうっとりしながら『はい』と答えた。
もう次など無いことは分かっていたけど……。
そう、次など無かったはずなのに……
「……い、いまなんとおっしゃったのですか? お父様」
私は茫然としながらも、なんとか父に聞き返した。
「だから、お前の婚約者が決まったのだよ、ミリディアナ。求婚してきたのはあのルイジ・クラエスだ。申し分ない婚姻だろう」
「……ルイジさま……」
浮かれる父をどこか遠くに感じながら、私は現実味のなさすぎる話をまるで他人事のように聞いていた。ルイジが、私に求婚? 婚約者に? あんなに素敵な人がなぜ私に?
現実が受け入れきれずに茫然とする私を置き去りに、婚姻の話はすごい速さで進んでいき、やがて気が付けばもう式の日取りまで決まっていた。
なんで、どうして? と思いながらも、私の元にやってきて優しく声をかけてくれるルイジにすっかり心を奪われていた私に真実を教えてくれたのは社交界の女性たちだった。
「ルイジ様はアデス公爵にとてもお世話になった見返りに、あまっていた娘を引き取らされたのですわ」
「あの方は義理堅い方ですからね、アデス公爵が困っていたのを見過ごせなかったのですわ」
「あんなに素敵な方なのに、余り物を引き取らされるなんて勿体無い」
彼女たちの言葉に、私の疑問は解消された。
ああ、そうかルイジは父に恩を返すために……私を。
そう言えば最初に会った時に恩があると言っていたじゃない。
……そうか、私は義理で引き取られていくのか……。
そうして真実がわかっても、育ってしまった気持ちを消すことはできずに……私は複雑な気持ちを抱えながらルイジ・クラエスの元に嫁ぎミリディアナ・クラエスとなった。
ルイジはとても優しくしてくれたが、義理でひきとった嫁のためかどこかいつも一線引いている感じがあった。
私はルイジを愛している……でも、彼は違う、彼は私を好いてなどいない。
彼に優しくされ、その魅力に惹かれれば惹かれるほどに私の胸の痛みは強くなった。
彼との間に娘を一人産んでも、私たちの仲は変わることがなかった。
しかし……産んだ娘が八つになり、義理の息子を引き取った時に起きたある事件をきっかけに、今まで私が真実だと思っていたことがまったくの誤解だったと知ることができた。
ルイジは私を義理で引き取ったのではなくずっと愛してくれていたのだった。
私の長年の胸の痛みはすっと消えていった。
そうして、彼との間の誤解が解け、私たちははじめて本当に心から夫婦となることができた。
今、私は本当に幸せだ。
『よっこらせー』
ルイジは誤解が解けてから以前より積極的に愛をささやいてくれるようになり、私はまるで新婚のように甘い日々を過ごしている。
『どっこいせー』
引き取った義理の息子はとても賢く聡明に育っている。
『よっこらー』
……うるさい。
穏やかな午後にお茶を飲みながら昔を思い出し、今の自分の幸せを噛みしめ、とてもよい気分になっていたのに……先ほどから庭から響く掛け声に気分はぶち壊しだ。
由緒正しき公爵家の庭でこんな声をあげる人物の心当たりなどただ一人だ。
私は、飲んでいたお茶をそっとテーブルに戻し席をたち庭へと続く扉へと向かう。
扉から庭に出て声の方に目をやると、やはり予想通りの人物が、予想通りの格好で鍬を振り回していた。
かの人物のお蔭で、それまでそれは美しいと評判だったクラエス家の庭はすっかり、農村の民家の庭へとなりつつある。
「よっこらせーのどっこいせー」
私は庭へと踏み出し、ご機嫌に畑を耕すその人物に向けて声を張り上げた。
「カタリナー!!」




