あなたに出会えて
三十一話と三十二話を更新させて頂きましたm(__)m
日が沈み薄暗くなってきた部屋の中、ベッド横の椅子に腰掛けていた私は、もう何度目かわからない不安感に駆られ、ベッドへと駆け寄った。
そして、眠るその人の呼吸と体温を確認し、ほっと息を吐く。
学生寮の一室、ベッドの上で静かに少女は眠っていた。
私、アン・シェリーのこの世で一番大切な人――――カタリナ・クラエス様。
まるで身動きもせずに、深く眠り続けるカタリナ様。
呼吸が止まっているのではないか……
もし、身体が冷たくなっていたら……
数十分おきにそんな不安に駆られ、その呼吸と体温を確認し続ける。
カタリナ様がこのようになってしまってから、もう二日が経とうとしている。
そんなカタリナ様に付き添い続け、私はまったく眠っていない。食事もほとんど喉を通らない。
同僚のメイドが『付き添いを代わるから休んできたら』と何度か言ってくれたが、とてもそんな気にはなれなかった。
そうやって離れている間にカタリナ様に何かあったらと思うと……とても傍を離れることなどできなかった。
眠るカタリナ様の手を握り、その顔を見つめる。
その活発な性格からか、寝ている時ですらよく動き、何度も布団を蹴り飛ばしていたカタリナ様が、ほとんど身動きもせずに眠るその姿は―――この状態が正常なものでないことをまざまざと感じさせた。
どうして……このようなことになってしまったのか……
学舎の中庭で倒れていたというカタリナ様が、寮の自室に運び込まれてきたのは、二日前、日がだいぶ西に傾いた頃のことだった。
ジオルド様から聞いた話では、朝から具合が悪く医務室で休んでいたというカタリナ様を、昼休みに迎えにいったところ『もう、教室に戻られた』と教えられた。
そして、行き違いになったのだろうかと教室に戻るも、その姿はなく慌ててその行方を捜すと、中庭の片隅で一人、倒れていたのが見つかったのだそうだ。
しかし、いくら呼びかけても反応を返さず、すぐに医務室に運び込み、医師に診てもらうが『ただ、眠っているだけだ』と言われたそうだ。
だが……その後、どんなに呼びかけても、カタリナ様は目覚めなかったため、寮の自室に運び込んだのだ。
そして再び、医師に診てもらったが、やはり『眠っているだけだ』との診断であった。
それでも一向に目を覚まさないカタリナ様の様子に、業を煮やしたジオルド様が王子の権力を駆使し、国の名高い医師を呼び寄せてくださった。
立派な口髭を蓄えた初老の医師は、王族の方々の診察も担当しているという、国でもトップクラスの医師だということだった。
この方なら、なんとかしてくださるのではないか、そう期待したのだが……
「正直、まったく原因がわからん。身体をいくら調べても問題はないのだ。すぐに目を覚ますかもしれんし、このまま目を覚まさんかもしれん」
「このまま目を覚まさなかったら、どうなるのですか?」
ジオルド様が険しい顔でそう問うと、医師は沈痛な面持ちで答えた。
「……このまま、ずっと眠り続けるのならば……水も取れず、食事もできない……そうなれば、やがて命を落とすことになるだろう」
『そんな!?そんな馬鹿なことって!』普段は冷静なキース様が我を忘れ、必死に医師に詰め寄っていた。
『ドン』と激しい音がしたほうに目をやると、基本的には笑顔しかみせず、声を荒げたこともない、ジオルド様がその拳を壁にたたきつけていた。
メアリ様は真っ青な顔色でガタガタと震えており、今にも倒れてしまいそうだ。
アラン様の顔も今までに見たこともないくらいに、ひどく強張っている。
ソフィア様はただ立ち尽くし、声ひとつあげずに、その大きな瞳から涙を流している。
ニコル様の拳はその色が変わってしまう程に、強く握りしめられている。
そうやって皆さんを見渡す私自身も、気を抜けばその場に倒れてしまいそうだった。
カタリナ様が命を落とす……
突き付けられたあまりの事実に、激しい絶望を感じた。
その後、他の沢山の医師にも診てもらったが、やはり原因はわからず、カタリナ様を目覚めさせることはできなかった。
時には、癒しの力を持つ国でも一握りしかいない光の魔力保持者の方にも来てもらったが……結果は同じだった。
一日が過ぎ、こうして二日がたっても……カタリナ様に目覚める気配はない。
私を人に使われる道具から、人間へと変えてくれた人。この世で一番、大切な人。
あなたの傍でずっと、生きると決めたのに――
お願いです。カタリナ様、どうか、どうか、私をおいていかないでください。
私は、眠るカタリナ様の手を強く握りしめた。
★★★★★★★★
「いえいえ。ジオルド様こんなかすり傷、気になさらないで下さい。だいたい、額の傷なんて前髪でぱぱっと隠せるのでなんの問題もございませんわ」
そう言って、彼女が僕に笑いかけた日からもう七年の時が流れた。
僕の大切な婚約者、カタリナ・クラエス。
王宮で存在を忘れられ、退屈な日々を過ごしていた僕の前に現れた可笑しな少女。
その可笑しな言動と行動に興味をひかれ、彼女と過ごすうちに――
灰色でつまらなかった僕の世界が、鮮やかな色であふれていた。
退屈、つまらないといった感情しかわからなかった。
嬉しいも楽しいも、何もわからなかった僕に、カタリナはすべてを教えてくれた。
嫉妬や、切なさも……きっとカタリナに出会わなければ知ることはできなかっただろう。
出会って共に過ごし七年、僕はもうカタリナのいない、あの灰色でつまらない生活に戻ることなんてできなかった。
初めは打算的に申し込んだ婚約だった。
しかし、気が付けば、カタリナ・クラエスという存在をこの世の誰よりも愛おしいと思うようになった。
天性の人タラシであるカタリナを慕う者はだいぶ多かったが……
決して誰にも渡すつもりなどなく、必ず、手に入れて絶対に離さないつもりだった。
それなのに……こんなことになってしまうなんて……
カタリナに危険が迫っていると知っていたのに……守ることができなかった。
強い後悔と自責の念に駆られた。
カタリナがあのようになった原因は、闇の魔法であるかもしれない。
そう思い、光の魔力保持者にも来てもらったが……結局、何もわからなかった。
『光の魔力が高い者ならば、何かわかるかもしれない』と言われたが……
唯一、その者より高い魔力の持ち主であろうマリア・キャンベルの行方も未だにわからぬまま……
事態は一向に改善しなかった。
自分の無力さが悔しくて仕方ない……壁に強く打ち付け、腫れあがった拳を強く握りしめた。
★★★★★★★★
「キース、私たちは姉弟になったのだから、私のことは姉さんと呼んでいいのよ」
そう言って、笑顔で手を差し伸べられたのは、もう七年も前の話だ。
それでも僕は、あの日をまるで昨日のように思い出す。
化け物と罵られ、暗い部屋で膝を抱え、一人ぼっちで生きていた。
そんな僕に差し伸べられた暖かい手。
『ずっと一緒にいる』と微笑んで、僕を暗い部屋の中から明るい世界に連れ出してくれた。
大切な義姉、カタリナ・クラエス。
その暖かな笑顔と優しさに姉弟以上の感情を抱くようになっていた、僕のこの世で一番、大切な人。
ずっとずっと一緒で、これからだってずっと一緒にいるつもりだった。
婚約者であるジオルド王子にだって渡す気はさらさらなかった。
必ず、この手で守ると誓った。
そのために、必死に剣と魔力を学び、貴族としての振る舞いを覚えた。
すべてはこの手でカタリナを守るために。
それなのに……
どうして、こんなことになってしまったのか……
なぜ、あの時、一緒にいなかったのか……
必ず、守ると誓ったのに……
後悔が押し寄せてくる。
クラエス家の養子になった八歳の時から、つらい時はいつも姉が傍にいて、優しい笑顔を向けてくれた。
今、無性にあの優しい笑顔がみたい……
カタリナを失いたくない……
僕は震える身体をぐっと押さえた。
★★★★★★★★
「メアリは植物を育てる才能にあふれた特別な手を持っているのよ。緑の手をもつあなたは特別で素晴らしい存在だわ」
そう言って彼女が両手を強く握ってくれた日を、私はまだしっかりと覚えている。
臆病で弱虫で、いつも俯いて逃げてばかりいた。
自分が大嫌いだった。
そんな私をカタリナ・クラエスは、特別だと、素晴らしい存在だと言ってくれた。
すごくすごくうれしかった。
姉たちに『汚らしい』と罵られ、嫌いだった赤褐色の髪に瞳も――
カタリナが好きだと、綺麗だと言ってくれたから好きになれた。
カタリナの隣に並んで立てる、立派な令嬢になるために、たくさん努力を重ねた。
正直に言えば、何度も何度も、めげそうになった。
でも、カタリナが一緒にいてくれたから、私を好きだと、大切だと言ってくれたから、頑張ることができた。
今のメアリ・ハントがいるのは、すべてカタリナ・クラエスが傍にいてくれたからだ。
そして、これからだって、ずっとずっと傍にいたかった。
それこそ、婚約者からだって奪ってしまいたいほどに、大好きで大切な人。
それなのに……
また、あのまるで死んでしまったように、静かに眠るカタリナの姿が頭によぎり、目の前が暗くなりそうで、必死に気を引き締める。
こんな風に……気を遠くばかりしていられない……
私はカタリナ・クラエスの親友、メアリ・ハントだ。
そこら辺の軟弱な令嬢とは違うのだ!
カタリナのためにできることをしなければ……姿勢を正し、私は顔をあげた。
★★★★★★★★
「アラン様にはアラン様の得意なものがあるのでしょうから、向き不向きがあって当たり前ですよ」
ずっと、双子の兄と比べられて、すっかりやさぐれていた俺にあいつはそう言った。
水色の瞳をまっすぐに俺に向け、決して勝負に手を抜かず、猿のように木に登る可笑しな少女、カタリナ・クラエス。
陰口にのまれ、勝手な妄想に囚われていた俺を正気に戻してくれた。
カタリナに出会い、俺はずっと肩に張っていた無駄な力を抜くことができた。
いつも真っ直ぐで、嘘のないカタリナの傍はとても居心地がよかった。
だから、当たり前のようにずっと彼女の傍に居続けたのだ。
それが……こんなことになってしまうなんて……
カタリナを失ってしまうかもしれない……
そう考えた時、今まで味わったことのないほどの恐怖を覚えた。
そして初めて気が付いた。
俺にとってカタリナが、とても大切な存在になっていることに……
それこそ……ずっと傍にいたいと思ってしまうほどに……
俺はなんて鈍いんだ。
失いそうになってから、はじめて自分の気持ちに気が付くなんて……
相手は兄の婚約者だ……この思いが叶うことはない。
でも……それでも許される限りまだ傍にいたい。
ここで、失ってしまうなんて耐えられない。
なんとかして、カタリナを助けたい……
★★★★★★★★
「ご両親はあんなに素敵で、妹さんはあんなに可愛くて、ニコル様は本当に幸せ者ですわね」
そう言って微笑んだあの日の彼女を、俺はずっと忘れることができない。
大切な家族の存在を俺の不幸だと決めつけて、同情してくれる人々……
『俺は幸せなのに』といくら言ってもわかってもらえない思い。
ずっとわかってもらえないと思っていた……もういいと諦めていた思い。
そんな思いをカタリナ・クラエスはわかってくれた。
わかってもらえない悔しさであふれていた胸の中を、暖かさで包んでくれた。
あの日から、カタリナは俺の特別な人になった。
あまり人と関わるのが得意ではないためか、視線を逸らされることもよくあった。
しかし、カタリナはいつでも水色の瞳で真っ直ぐに俺を見て、そして太陽のような明るい笑顔をみせてくれた。
彼女の傍はとても心地よかった。
幼馴染である第三王子の婚約者であるカタリナ。
どんなに思っても、ずっと一緒にはいられないことはわかっていた。
それでも許される限り、その傍にいたいと思っていたのに……
『優秀だ、次期宰相候補だ』などと周りに担ぎあげられていても、肝心な所で役にたたない自分が嫌になる。
大切な人、一人も守れないで、何が次期宰相候補だ……
再び、強く握りしめた拳、爪が食い込んだ手のひらから血が滴り落ちた。
★★★★★★★★
「私は、ソフィア様のその絹のような白い髪も、ルビーみたいに赤くキラキラした瞳もとても綺麗だと思います」
気味が悪いと、呪われていると言われ続けた、人とは違う私の容姿。
それを『綺麗だ』と言ってくれた彼女は、その後『私とお友達になってください』とその手を差し出してくれた。
初めは、都合のいい夢をみているだけだと思ったのに……その夢は覚めなかった。
生まれて初めてできた友達、向けられる優しい笑顔。
カタリナ・クラエスという少女に出会って、私の世界は大きく変わった。
ずっと籠っていた部屋から飛び出し、明るい太陽の下へ。
部屋の中で、ずっと夢に見ていた幸せな日々を私は手に入れた。
こんな日々がずっと続けばいい。そう願っていたのに……
なんで……なんでこんなことになってしまったの……
この二日間、少しでも気を抜くと涙が溢れてくる。
泣きすぎて、もう身体中の水分がすべて出てしまったのではないかと思うのに……それでもまだ涙はあふれてくる。
カタリナが突然、倒れてから、もう二日が経とうとしている。
何度も部屋を訪れ、呼びかけたが、まったく反応を見せずに、眠り続けるその姿に胸が締め付けられた。
本当は、ずっとカタリナの傍についていたい。
しかし『そう言う訳にはいかない』という兄に寮の自室まで引っ張ってこられてしまった。
でも、こうして離れていると、今この瞬間にも、カタリナを失うのではないかという強い不安感に駆られるのだ。
この二日、色んな医師に診てもらったが、眠り続けるカタリナを目覚めさせる方法はみつからなかった。
このまま眠り続ければカタリナはその命を落とす……
初めこそ、あまり実感のわかなかった、突き付けられた事実。
どんな医師に診せても、芳しい答えは返ってこないまま二日を迎えたことで、段々と現実味を帯びてきていた。
このままでは、本当にカタリナを失ってしまう……もう二度とあの笑顔を見ることができない。
そんなの、絶対に耐えられない!失いたくない!
そう強く強く思った。その時だった。
『そうよ!耐えられない!また失うなんて絶対に嫌!』
その声はどこからか、突然、聞こえた。
聞いたことがない声、それでいてどこか懐かしい声。
驚いて、辺りを見回すが、召使にもさがってもらった自室には自分以外の人影はない。
『せっかくまた出会えたのに……もう失うのは嫌!……今度こそ、あの子を助けてみせる!だから、こんな所でめそめそしてないで、私をあの子の元に連れていって!』
まるで、私自身の中から聞こえているような不思議な声。
そんな不思議な声に導かれ、私は立ち上がり、カタリナの元へ向かう。
「ソフィア様!?こんな時間にどうされたのですか!?」
カタリナに付き添っていたメイドが、突然の私の訪問に驚きの声をあげる。
それもそうだろう。もう夜も深くなっているこんな時間に突然、ちゃんとした了承もなく乗り込んだのだから。
普段なら、絶対にしないであろう非常識な行動。
それでも、どうしてもしなければいけないと思ってしまったのだ。
そうしてと、不思議な声が訴えてくるから。
「……カタリナ様」
ベッドに近寄ると、その手を両手でしっかりと握りしめる。
そうしていると、私の非常識な行動が伝わったらしく、兄が迎えにやってきた。
「ソフィア、落ち着きなさい」
そう言って私の肩に手をかけ、部屋に戻るように促されるが……私はそれを拒絶した。
そんな私達の様子が伝わったのか、いつの間にか、部屋にはジオルド、キース、メアリ、アランと皆が集まってきたようだった。
それでも私はカタリナの手をしっかり握ったまま、この場を動かない。
そして、握った手に額をつけて目を閉じると『どうか、お願いします。カタリナ様を助けてください』と強く願った。
すると瞼の裏に見覚えのない少女が映った。
黒い髪に瞳、見覚えはないはずなのに、どこか懐かしく感じる不思議な少女。
『わかっているわ!必ず、連れ戻してくるから!あなたはここでカタリナを呼び続けて!』
強い意志を宿した瞳でそう言うと少女の姿は消えた。
★★★★★★★★
闇の魔法を使いカタリナ・クラエスを眠らせてから、二日たった。
彼女のナイト達は必死に、色々な方法でカタリナを起こそうとしているらしいが、それは叶わないことだ。
闇の魔法はかけた者にしか解けない。
カタリナはこのまま、眠り続けそして命を落とすだろう。
それこそ、僕の望んだことだった。
それなのに……
なぜか、胸が落ち着かない。
このまま、カタリナが命を落としてしまうと思うと……胸が締め付けられるように苦しい。
……嫌だ、彼女を失いたくない……
闇の魔法など解いてしまいたい……
『何を馬鹿なことを言っている!』 もう一人の僕が僕を怒鳴りつけてくる。
『あの女は復讐の邪魔になるんだ!復讐の邪魔をする者は消していくしかない!』
……でも……
迷う僕にもう一人の僕はさらに声を荒げる。
『お前が生きているのは復讐のためだ!お前の母親の命を奪い、お前を道具にした奴らを地獄に突き落とすことがお前の生きる意味だ!忘れたのか、お前の母親の最後の言葉を!』
……そうだった……
大好きだった母の最後の言葉――『……どうか、仇をとって……』死にゆく母の口から放たれたその言葉こそ僕の生きる意味だ。
復讐のためだけに僕は生きなきゃいけないのだ。




