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6.復讐のための準備



 グレイスは、乙女ゲームのヒロインとして完璧に役割を果たすため、準備を始めた。


 アレクの手伝いをしていたこと、前世の記憶を思い出したことにより、勉強面に関して問題はなさそうだった。

 前世のグレイスは勉強が得意で、効率のいいやり方も知っている。


 だが、試験に合格したとしても問題はあった。

 アレクとグレイスは同じ、このエルミナ孤児院の出身。

 調べられればすぐに二人の関係性は知られてしまう。


 ゲームでは、アレクの出身がどこかすら三人は興味がなく、だからこそグレイスがアレクのことを知っていた、という事実に気づかなかった可能性はある。

 むしろ、あの三人の本性を考えれば、それが最も正解に近いだろう。

 それでも、万に一つも失敗する可能性となりうる芽は摘み取っておきたい。


 それ以外にもやるべきことは多々あった。


 グレイスは密かに三人のことを調べ始める。


 同時に彼らの攻略イベントを全てノートへと書きこむ。

 攻略ルート、イベント発生条件、好感度上昇の選択肢、その他必要な情報を事細かに記載していく。


 死ぬ間際にやっていたからなのか、それとも彼女の想いが強すぎるからだろうか。

 細かい会話の内容までできる限り思い出し、一心不乱に文字に書き起こしていく。

 そうすると、ヒロインのグレイスとしての役割をより深く理解できるようになった。


 そのうちに、ルキアへの切り札として使えるとある情報を入手する。


 有益な情報の鍵を握る人物のいる場所、グレイスとアレクが同じ孤児院であるという今の状況を変える方法、院長の性格と人脈――。


 全てを加味した上で、グレイスはついに動く。



 アレクから真実を聞かされた数日後。

 

 孤児院には、アレクがボロボロになって戻ってきた緊張がまだ残っていた。

 子どもたちもどこか元気がなく、重苦しい空気がそこら中に漂っている。


「大丈夫、アレク兄さんは元気になるから」

「……本当に?」

「うん! だってあのアレク兄さんなんだよ? 優しくて頼りになって、でもどこかポンコツでいっつもパンを真っ黒に焦がす、そんな兄さんが、そのうちきっと戻ってくるって!」


 そう言って子どもたちを励まし、グレイスは変わらない笑顔をみんなに見せていた。


 その日も子どもたちを元気づけたあと、グレイスは院長室を訪れる。


「どうしましたか、グレイス」


 柔和な笑顔を浮かべた院長は、何十年もこのエルミナ孤児院で院長を務めている。

 まさに聖母のように優しく、いつも大きな愛で子どもたちを包み込んでくれる存在だ。


 ペンを置き、彼女の顔を見つめる院長は静かにグレイスに席を勧める。

 グレイスは席に座ると、大きく息を吸い、決意を込めて告げた。


「院長先生! あの……私、決めたんです!」

「何をですか?」

「私……アレク兄さんが行った王立学園の特待生を目指したいんです!」


 院長の瞳がわずかに揺れた。


「……本気で言っているのですか?」

「はい。……だって兄さん、悔しかったと思うんです。すごく努力してたのに、あんな形で終わってしまって……。だから私、兄さんの代わりに頑張りたい。兄さんが届かなかった場所に、私が行きたいんです!」


 その言葉に嘘はない。

 ただし、それがすべてではない。

 実際の目的は――三人の未来を奪うことも含まれている。


 だが今のグレイスは、純粋で健気な少女を完璧に演じていた。

 院長はしばらく黙した後、深く息をついた。


「……あなたは優しい子ですね。自分のためではなく、アレクを思って学園の入学を目指したいと」

「はい。……兄さんには前みたいに、笑っててほしいから」


 すると院長はグレイスに向かって優しく微笑んだ後、その表情に悲しみの色を浮かべる。


「あなたの気持ちも、よく分かります。私もアレクがあのような状態になって……あの子ならばその才をもっと発揮できていただろうと。もしくは、私が止めていたらよかったのかと」


 これまで、アレクやグレイス、他の子どもたちの前では決して見せなかった院長の、悲痛な想いや後悔が伝わってくる。


「でもね、グレイス。学園には……色々と事情を聞きたがる人たちもいることでしょう。アレクがどんな状態で戻ってきたのか……詮索されたり、噂にされたりしたら……アレクも、あなたも、傷つくかもしれません」

「っ……それは、嫌です」


 グレイスはまるで今そのことに気づいたかのように、大きく肩を落とす。

 本当はここまで想定済みだったが、それを悟らせるわけにはいかない。


 だが、彼女がここでグレイスの望みを切り捨てる人間でないことを、グレイスはよく知っている。


 院長は腕を組み、しばらく考え込んだあと一つの案を出した。


「……ではグレイス。あなたを半年ほど、ルノワール孤児院へ預けるというのはどうでしょう」

「えっと、それって、転院ってことですか?」

「ええ。実はあちらは今、働き手が不足しているようでしてね。ルノワールの院長から相談を受けていたんです。ですから『手伝いに行かせる』という名目で、あちらは受け入れてくれると思います。半年間そこに所属すれば、学園にはルノワール孤児院出身の少女として映ります。アレクとは無関係の子、ということになりますよ」

「でも、それって……いいんでしょうか」


 すると院長はグレイスを安心させるように、優しく微笑む。


「あなたの出自に嘘をつくわけではありません。それにこうすれば、アレクのことを詮索される心配もありません。何よりこれなら……誰も傷つかないでしょう」


 完璧だった。

 院長がこの提案に至る可能性は高いと予想していた。


 ルノワールの院長は、彼女とは旧知の仲。

 そしてこちらから誰かを手伝いとして送ることになるかもしれないと、シスターたちが話していたのをグレイスは聞いていた。


 しかもルノワール地方には、グレイスの会いたい人がいる。

 

 想像通りの道を示されたことに、グレイスは胸の奥で静かに笑う。


 これなら、完璧に彼らに気づかれずに学園へ行ける。

 準備が着々と整っていく。


 だが、院長を裏切ることに、ほんの少しだけグレイスの胸が痛む。


 院長は慈悲深い。彼女の優しさは本物だ。

 グレイスのために、アレクのために、院長は新たな道を提示してくれている。

 

 けれどグレイスは決めたのだ。


 彼女がしようとしていることは、院長の優しさを裏切るよりも、もっと残酷なことだ。

 それでも止まれない。

 賽はもう、投げられているのだから。


 だからグレイスは、感謝の意を示すように何度も頭を下げると、院長に飛びついた。


「院長先生……本当に、ありがとうございますっ!」

「いいんですよ。私にできることはこのくらいですから。あなたの未来が明るいものになることを、私も願っていますよ」

「はい! 試験に受かってアレク兄さんと同じ特待生になって……私だけじゃない、アレク兄さんのためにも、私……絶対に頑張りますから!」

「ええ、あなたならきっとできます」


 何も知らない院長は、グレイスを優しく抱き締めると、慈愛に満ちた顔で微笑んだ。



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