65.ルキア編:揺らぐ光を前に
翌朝、王太子ルキアはいつものように学園に姿を見せた。
立ち居振る舞いは、変わらず完璧な王子そのもの。
――ただ一つ、瞳だけ、昨日の色を完全には取り戻せていなかった。
そこには、ほんの小さな影が落ちていた。
誰にも気づかれない程度の薄い影。
それでも一度生まれたら、二度と消えない種類のもの。
ルキアは廊下でグレイスを見ると、わずかに肩を揺らす。
それでも彼は王子としての笑顔を作り、声を上ずらせながら声をかける。
「お、おはよう……グレイス」
グレイスは先日の告白で見せた、清らかな乙女の仮面を再び貼り付ける。
「おはようございます、ルキア様! 今日も素敵な朝ですね」
幸福なヒロインの微笑み。
その笑顔を見ただけで、ルキアが一拍だけ呼吸を忘れたようにグレイスを凝視する。
瞳にははっきりと、グレイスへの恐怖が滲んでいた。
グレイスは確信していた。
――彼は、きっと言わない。
昨日の真実も、グレイスの正体も、復讐の意図も。
グレイスがアレクの復讐しに来たと言えば、ルキアが復讐されるほどの罪を犯したと公表することになる。
そうなると、アレクを壊した王子、つまりルキア自身が築き上げてきた『弱きものを尊ぶ王太子像』が崩れてしまう。
理想的な未来を語る王太子に、そんな真似ができるはずがない。
しかしルキアの心は完全に壊れたわけではない。
まだ半分。
まだ折れ切っていない。
王子として日常生活を送ろうとする今のルキアが、その証拠だ。
昨日グレイスが告げた真実は、『光を壊す影』という種をルキアの心臓の奥に埋めただけ。
その種は腐臭を放ちながら、王子の存在を内側から侵す。
今は、まだその時ではない。
ルキアを完全に壊すのは、三人の中でも一番最後だ。
グレイスはヒロインとしての朗らかな顔で、ルキアの後姿を見送った。
◆
それからしばらくして、グレイスの背後から、硬質な声が響いた。
「グレイス。時間があるなら放課後、生徒会室へ来てほしい」
いつもと同じ、冷静な灰色の瞳。
「勿論です」
「ではまた後で」
次の罪人が、自ら進んで罠の場所へ足を踏み入れる。
これから手をかけるのは――感情を知り、形だけは人間に近付いたあの男だ。
グレイスは微笑みを整え、まっすぐに伸びた背中を見つめながら静かに時が来るのを待った。




