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64.ルキア編:『光に伸びる影』 その2



 まるで王宮の舞踏会に立つ清らかな令嬢のように、完璧な挨拶を見せるグレイス。


 けれど、その声はどんな氷より冷たいものだった。

 ルキアの喉が震えるように動く。


「アレクの、妹……? だ、だけど、アレクに妹はいなかった、はずだ。それに君の所属は、ルノアール孤児院、で」

「はい。ですが私の本当の出身は、エルミナ孤児院です。アレク兄さんは私の本当の兄ではありませんが、小さい頃から一緒に育ったので、家族と言っても差し支えありません。だから知ってるんですよ。……アレク兄さんが、あなた達三人にどんな負荷をかけられたのか。孤児院に戻ってきた彼が、どんな状態だったのか」


 グレイスはそっと腕を伸ばすと、ルキアの首元に指を置く。

 ドクドクと太い血管が脈打つのを感じながら、彼女は続ける。


「アレク兄さんはとても優しい人でした。あんな扱いを受けて尚、悪いのは期待に応えられなかった自分だって。だからこそ、私はあなた達が許せなかった。――アレク兄さんを壊したことになんの罪悪感も抱かず、未来へ向かおうとすることに。アレク兄さんは、その未来を奪われたっていうのに」


 グレイスが置いた指の力を強める。


 彼が抵抗すれば、簡単にほどけるグレイスの細い指。

 けれど引き剥がせないのは、ルキアが恐怖で動けないからだ。


 それでもルキアは震える声で、尋ねる。

 

「それ、じゃあ、君が、この学園に、やってきた、のも」

「はい。アレク兄さんへの罪を自覚させるため。そして――同じように、あなた達を壊すために、です」

「っ!」


 ルキアはようやく全てを理解したように、グレイスを見る。


 グレイスが生徒会に入ったことも。

 彼女が優秀な成績を見せたことも。

 ルキアにはにかむように笑いかけてきたことも。

 

 ルキアを惑わすための演技。


 ――それもこれも全て、復讐のため。


「だ、だけど、壊す、といっても、本当に、僕は何もしていない! 僕はただ、期待しただけだ! それを裏切ったのは、アレクの方じゃないか!」


 自分は間違っていないと、そう言いたげにルキアは反論をする。


「僕は正しい未来を作りたい! 平民でも、弱き者でも、有能であれば、望むなら上へ行ける――そんな理想の未来だ。アレクはそんな未来を導く光になれたはずなんだ。僕の言う通りに……僕の期待に全て応えられていたら!」

「素晴らしい理想ですね、ルキア様」


 グレイスは機械的な笑みを浮かべて頷いた。

 ルキアの瞳がわずかに揺れる。肯定の言葉をもらい喜んでいるかのように。

 

 しかし、彼は気付いていないのか。

 そこに矛盾が生じていることに。


「ですが、あなたはその理想を掲げながら、一度踏み出して倒れた者を切り捨てましたよね?」

「え……?」

「あなたの言う理想は、弱い者を押し上げるものなのでしょう? それなのにあなたは、才能ある人間が潰れたら、挽回する機会すら与えず、失望し、切り捨てましたよね?」

「そ……れは、違う……僕は、僕は……!」

「違う? ではなぜ、アレク兄さんを切り捨てたのですか? 王太子の理想に届かなかったから? 期待に応えられなかったから? アレク兄さんは間違いなく有能でした。この学園に、彼の功績が残っています。あなた達に潰されさえしなければ、アレク兄さんはもっと上にいけた人間です」

「っ、ならば言ってくれればよかったんだ! 僕からの期待が重いと。そうすれば僕だって配慮して……」

「彼はあなたのいうところの、弱き立場の人間です。そんなことを、アレク兄さんが言えると思っているんですか? あなたはアレク兄さんが辛そうだと分かっていながら、見て見ぬふりをした。本物の光ならば、こんなところで潰れはしないと」

「っ……っ……!」

「――矛盾していますよ。何度でも言ってあげます。あなたは弱き者を救うと言いながら、真っ先に弱者を切り捨てました。勝手にアレク兄さんを押し上げ、試し、選別し、失望して捨てたのです」

「……!」


 否定の言葉を吐きたいのだろう。だがルキアの喉からは空気の漏れ出る音しか出てこない。

 

 グレイスは更に指の力を強める。

 ルキアの喉がひくりと震え、金の瞳が恐怖で曇った。


 ――このまま更に締めて息の根を止めてしまえれば、どんなにいいことか。

 けれど、グレイスがしたい復讐は、ルキアの命を奪うことではない。


 彼のもっとも大切にしている尊厳を奪い、壊すことだ。

 

 だから殺意は胸の奥に落とし、変わらぬ口調でルキアに語りかける。


「ねえ、自覚して下さい。壊したのはあなたです。他ならぬあなたがアレク兄さんという光を脅かし、壊し、落としたのです」

「ぼ、くは」

「それに、私、まだ知っていることがあるんです」


 ここでグレイスはルキアからそっと手を離すと、ルキアが犯してきた自覚なき罪を突きつける。


「覚えていますか? あなたが十二歳の時についた政治学の家庭教師、レオ・バルシュ。平民出身で、王侯貴族の誰よりも優秀だった青年です」

「あ、ああ、勿論だよ。彼は優秀だった。平民でありながら豊富な知識と才を持っていて……」

 

 彼は若くして政治学に精通し、特例採用された史上最年少の家庭教師だった。


「あなたは彼の才能を認め、自身の理想的な世界を作るために必要な政治案考えることを彼に要求しました。彼は夜遅くまでそれに取り組み、けれど提出された物を見たあなたはより完璧な物を求め続けた。期待しているから、信じているから、君のような人間がもっと活躍できる場を作りたいから、と」


 その後彼は半年で職を辞す。


「だけど、それは一身上の都合だと……」

「そう聞かされていたんですね。……本当は心身を壊したからです。あなたが無理をさせたから。けれどあなたに申し訳ないからと、事実を伏せるように言ったのは他ならぬ彼です」


 ルキアの目に、わずかに影がかかる。

 それを確認したグレイスは、淡々と続ける。


「そして今度は、シェナ・メルティス。彼女の歌声は比類なきもので、平民ながら王宮の演奏会に招待されるほどの人でした。あなたは彼女の歌声を絶賛し、自身の理想の世界を象徴する光となるだろうと彼女に期待した」


 だが、ルキアは更に理想の光となるよう、彼女に期待という名の重圧をかける。

 もっと弱者を救う音が出せるはずだ、君なら未来への希望を混ぜた完璧な音を出せると。

 

 彼女は精神的に追い詰められ、声が出なくなり、二度と歌えなくなった。


「嘘だ……。彼女が声が出なくなったのは、風邪をこじらせたからだと」

「彼女もあなたが罪悪感を抱かないように、そう周囲に説明していたんです。彼女もまた、あなたの期待に応えられなかったことを心から恥じていました」

「なぜ、君はそのことを……」

「簡単な話ですよ」


 グレイスは唇の端をわずかに上げて笑う。


「私が最後に所属したルノワール孤児院のある街は、その二人が療養のために現在住んでいる場所なんです」

「そ、んな偶然……っ、いや、ま、まさか」


 ルキアはここで更に恐怖で目を見開く。


 そう、偶然などではない。


 ルノワール孤児院に転院を決めた理由。

 表向きはルノワールの人手不足解消のため。

 真の目的は、アレクとの関係性を悟らせないため。


 そしてもう一つは、彼らに話を聞きに行くため。


 偶然を装い二人に接触し、そこから彼らと交流を持ち、彼ら自身の口から聞いたこと。


「あの二人は、体は何とか回復していました。ですが以前のようなことはもうできないと。ただ共通しているのは、彼らはアレク兄さんと同じく、あなたのことをまったく恨んでいないということです。それだけ彼らが善良で純粋な光だった、という証明になりますね。……あなたと関わらなければ彼らは間違いなく、あなたの理想の礎となれたでしょう」


 夕日が赤く、ルキアの顔を焼く。


「っ、なら、彼らの光が、落ちたのは……」


 彼の瞳の影が、また濃くなった。


 ……ようやく、ルキアは気づいてくれた。


 グレイスは、静かで、それでいて鋭い声で真実を告げる。


「ルキア様。あなたはずっと光を求めてきました。けれどアレク兄さんだけじゃない、輝く光に手を伸ばしては、あなたはそれを育てず、試し、壊し、捨てた」


 グレイスはルキアの耳元まで唇を近づける。


「本物の光ならば、倒れはしない。ルキア様は以前そう言いましたよね」


 風が吹いた。

 夕陽が沈みかけ、光と影の境界が揺れる。


 そしてグレイスは己の罪を自覚させるように、一言一句はっきりと、ルキアの心を揺るがす言葉を告げた。


「もうお判りでしょう。あなたこそが、『光を壊す影』なんですよ」


 その瞬間、ルキアはその場に崩れ落ちた。

 足が震え、膝が床に当たり、信じてきた光が崩れるように、残った力が抜けていく。


「……僕が、光を……壊す……影……?」


 否定ではなく、理解してしまった者の声。

 

 グレイスはその様子を、ただ無表情で見下ろした。

 慰めも、蔑みも、軽蔑すらない。

 まるで、塵を見ているかのように。


 ルキアは、光を導くものではなく、壊すもの。

 まるで影のように光にまとわりついて、その光を壊してしまう。


 皮肉な話だ。

 誰よりも光を求めているのに、ルキアがそれに近づけば光が影に染まる。


 それはルキアにとっては、もっとも重く、残酷な事実だ。


「ぼ、僕は……光を……手に、入れられないのか……」


 その言葉は、誰にも届かない独白。

 グレイスだけが聞いた、王太子の絶望。

 

 地面に落ちた白いバラは、光を受けて尚美しかった。

 けれどその上に落ちたルキアの影だけが、どうしても消えなかった。

 

 ――まるで、ルキアの罪のように。



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― 新着の感想 ―
ルキアは「光」にこだわってたけど「光」があるところに「影」もあるはずで「影」も必要なこともあるのに、それを受け入れることが出来ないなら大物ではないな
ようやく、自覚しましたね。 自分が『無自覚に壊す者』だということを。 光を讃えたければ、自分はより遠く離れなければいけない。 究極のジレンマ・・・グレイス嬢、お見事です。
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