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5.見えてくる真実

 


 アレクの部屋を出たグレイスは、一人、孤児院に併設された庭へと出ると、小さなベンチに座る。


 空に浮かぶ星々を見ながら、グレイスは思い出した記憶と、あの後もアレクから聞いた三人の話を統合する。


 グレイスは悟っていた。

 この世界は、あの乙女ゲームの世界で。

 自分は、その主人公になってしまったのだと。


 本当なら、半年後に王立学園に入学して、彼らと出会って、恋をして、各々の過去の傷を癒やしてハッピーエンド

 ……そういう物語が、用意されているのだろう。


 けれど――。


 グレイスは、先ほど触れた、ベッドに横たわるアレクの手を思い出す。


 かつて自分を引っ張ってくれた温かい手は、今は氷を纏っているように冷たく。

 薄茶色の髪を梳いてくれたささくれの残る、けれど美しい指は、小枝のようにやせ細っていて。


 グレイスは思わずぎゅっとこぶしを握り締める。


 グレイスは、彼らが表向きにはどんな罪を抱え、そして、ヒロインに救われた結果どんな未来を送るか知っている。

 

 ルキアは、努力さえすればどんな立場でも認められる世界を作りたいという、理想を抱いていた。

 その崇高な理想を証明するために、特待生であったアレクに能力以上の期待を押しつけてしまった。

 だがグレイスによってルキアは背負った罪を受け入れ、再び理想を掲げて、偉大な王になる未来へ一歩踏み出す。


 セヴランは、無駄のない完璧な合理が国家運営に最も必要なことだと信じていた。

 その正しさを証明するため、誰より正確に仕事をこなすアレクに膨大な負荷を積み重ね、追い込んだ。

 だがグレイスと出会ったことにより過去を乗り越えたセヴランは、やはり自身の合理主義こそ世界を導くべきだと、迷いなく突き進む。


 ロアンは、頼られ、誰かを助けようとすることで、騎士でいられることを実感していた。

 だが、アレクに苦手な仕事を助けてもらうという名目で任せるようになり、代わりに困ったことがあったらいつでも助けるからと軽く言い放ち、アレクの辛さがロアンのせいだと気づかず、無意識に依存と負担を積み上げていた。

 しかしグレイスと触れ合い、騎士であるのに守れなかったアレクの分までグレイスを守りたいと強く思い、騎士としての誇りを胸に歩きだす。


 彼らがアレクに何をしたかは、事細かには描かれていなかった。

 だが、ゲームをしていた時、彼らは過去を悔いているように見えた。

 だからこそ救済の乙女としてヒロインが彼らに手を差し出し、未来へ進んでいくストーリーは、非常に美しく、心打たれるものだった。

 

 けれど今のグレイスは、全部分かっている。

 

 ゲームをしていたからこそ、彼らの性格を。

 アレクから、三人がどう彼に接していたかを聞いたからこそ、彼らの行動の裏側にどんな感情が渦巻いていたのかも。


 このままいけば、罪を犯した三人は、ヒロインとともに、それぞれの道を誇らしげに歩いていくのだろう。

 理想のために、正しさのために、騎士として誰かを守るために。


 だが、それは誰の犠牲の上に積み上がった幸福なのか。


 ――『僕が弱かったからだ』


 あの震える声が、耳の奥で何度も反響する。


 違う、弱いのはアレクではないのに。


 彼は強かった。

 三人の与える負荷を半年も耐えられるほどに。

 だからアレクを弱くしたのは、責任を押し付けたあの三人に原因があるのに。


 なんて残酷な世界なのか。

 まるであの三人を輝かせるために、アレクという生贄が用意されていたかのような。


 そして救われなかった者はどこにもいないことにされ、その心は語られることすら許されず、過去は成長の糧として都合よく磨かれていく。


 ゲームの中でのハッピーエンドを迎えた三人の笑顔を思い出す。


 ――アレクは笑顔を奪われ、未来を閉ざされ、苦しんでいるのに、まるでそんな過去は、なかったかのように。


「なんで……っ」


 爪が食い込んだこぶしの上に、ぽたりと涙が落ちる。


「なんでっ、アレク兄さんが、っ、こんな目に……!」


 誰にも聞こえない、嗚咽の混じった小さな呟き。

 けれど一度出てきた音は、決壊を失った堤防のように噛みしめた歯の隙間からこぼれる。


「っ――!」


 彼が、一体何をした。


 優しくて、真面目で、努力家で、孤児院の皆から慕われていて、こんな扱いをされる理由なんてどこにもないはずなのに。


「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ――!」


 たまらず下を向いて掌で口を押さえ、叫び出したい衝動を堪え、声を押し殺してグレイスは慟哭する。

 

 脳裏にアレクの在りし日の優しい笑顔が浮かぶ。

 涙が記憶のアレクに滲み、彼の顔がぼやける。


 グレイスが大好きだった笑顔が。

 アレクと笑いあった日が。

 共に過ごした時間が。

 いつかやってきたであろう彼との未来が。


 その全てが、グレイスの中で黒く、黒く塗りつぶされていく。


 そして――彼女の視界も、思考も、頭も、心も。

 

 ――何もかもが全て、光の届かない闇へと落ちていった。



 グレイスは口元から手を外すと、ゆっくりと顔を上げる。


 涙は既に止まっていた。

 そして、その顔に浮かぶ表情は、もうこれまでのグレイスのものではなかった。


 グレイスは空を見上げる。

 

 空には特に輝く星が三つ。

 その隣を朽ちた星が一つ、落ちていく。


 ヒロインならばあの星をずっと輝かせ続けるのだろう。

 そして、ヒロインが導けば、もしかしたら三人は更生できるのかもしれない。

 

 ――だが。


 現実のヒロインは、大切な人を踏みにじられた。

 他ならない、あの三人に。


 許さない。

 絶対に。


 ならば、グレイスがすることは一つ。


 彼らに与えよう。

 ――気が狂いそうなほどの絶望を。

 

 そう決意しながら、グレイスは唇を噛みしめる。

 唇を割った痛みが遅れて走り、鉄の味が舌に広がる。グレイスは逃さず、ゆっくりと呑み下す。


 それは苦く、重く、底のない味がした。



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