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57.動き出す噂と沈黙の崩壊



 学園の休日。  

 その日グレイスは頭の中で、最後の仕上げについて考えていた。  


 紙には変わらず残さない。

 万が一証拠として押さえられては困るからだ。


 これまでの出来事を一つ一つ思い返す。  

 彼らの未来を潰すための道筋は、当初の計画通りに進んでいる。  

 自らが意図的に起こした、わずかなイレギュラーも、順調に。


 ――発芽は終わった。

 今はゆっくりと、その茎を伸ばしている最中だ。


 ただし、高くなりすぎてはならない。

 まだ、目線に届かないほどに低く。

 それでも着実にそれは、成長し続けている。



 グレイスがクラスメイト達から直接声をかけられてから、彼女の周りで、生徒たちは少しずつざわめき始めた。


 昼食時、廊下ですれ違う時、授業の合間。


 小声で、誰かがグレイスの名を呼び、耳打ちする。


「グレイスさん、大丈夫? 最近、生徒会のお仕事……大変じゃないかな?」

「大丈夫ですよ! このくらいなんてことないです。たって皆さんに期待していただいてるので!」


 グレイスは、その度に変わらない笑顔で返した。  


 ルキアに頼られたことを喜び、

 セヴランに任されることを誇り、

 ロアンに支えられることに感謝している、と。


 けれどその笑顔が、ほんの少しずつ。

 よく見ていなければ分からないほどに、ゆっくりと陰り出していく。

 まるで本人も無意識だと言わんばかりの、些細な変化。


 しかし、グレイスが多大な負担を強いられていると考え、彼女に注視していた他の生徒達の中には、それに気づき始める者が出てきた。


 そうなるとますます、三人は彼女を酷使している と、生徒たちの疑惑は強まっていった。



 さらに、決定的な光景が生徒達の目に焼き付けられていく。


「何かよかったら手伝うよ、グレイス!」


 手を伸ばしたクラスメイトの前に、ルキアは微笑で立ち塞がる。


「君の善意は尊い。だけどね、これは彼女の役目なんだ。僕は信頼して彼女に任せている。光を曇らすような行為はしてはいけないよ」

「……っ、す、すみません」


 いつものように優しく、幼い子供に道理を言い聞かせるように。

 穏やかな微笑みなのに、その笑顔を見た生徒は思わず背筋が凍った。

 

 本能的に逆らえないと知る。

 同時に思う。

 それはグレイスも同じなのではないかと。

 


 またある時、グレイスの手伝いを申し出た一人の生徒。


「グレイスさん他にも任されてるよね? 今やってる仕事なら手伝えそうだから手貸すよ」


 だがセヴランが現れ、生徒の助けの手を淡々と遮る。


「私は彼女が最適だと判断して業務を振り分けている。彼女の作業を他者が乱すべきではない。分かったならここから去れ」

「で、でも……」

「聞こえなかったのか」


 セヴランの空気に圧倒され、唇を噛みながら何も言えず後ずさる生徒。

 グレイスは彼女に申し訳なさそうに視線を送る。


 生徒はこの時思う。

 最適という言葉で彼女に負担を押し付けているだけではと。



 重い荷物を運ぶグレイスに、二人組が声を掛ける。


「グレイスさん、重そうだな。持つの手伝う――」

「こいつに触んな」


 彼らの背後から降ってくる、威圧するような低い声。

 現れたロアンはグレイスの手から荷物を全て奪う。


「こいつの力仕事は全部俺が肩代わりすんだよ。そのかわり書類は全部グレイス。役割分担決まってんだ。……にしても、なんでお前は俺がいるのに他の奴に頼ろうとするんだ?」


 困ったような顔で優し気に、しかし逃がさぬ手つきで荷物を奪うロアン。

 声には歪んだ支配欲と依存の色が滲んでいた。


「ほら行くぞー!」


 スタスタと先を歩く追うため、グレイスは二人にペコリと頭を下げると慌ててロアンを追いかける。


「……なんか、ロアンさん怖くないか?」

「役割分担っていうか……でも、あれはなんか違うよな」


 そんな囁きが、小さく、じっとり広がっていく。



 人気のない校舎の裏で。


「学園祭の準備の時は手伝っても平気だったのに……」

「生徒会の仕事は、あの三人がグレイスさんを指名して任せた役割なんだって。だから勝手に手伝うと逆にグレイスさんの立場が危うくなるって噂があって」

「噂じゃないよ。……私この間見ちゃったんだよね。グレイスさん、こんなこともできないのかってルキア様に笑顔で詰め寄られてた」

「セヴラン様もそうだよ。どうして手伝わせてはいけないかって根拠を上げながら淡々とグレイスさんを責めてた」

「ロアン様なんて、俺以外に荷物運び手伝わせるとか舐めてんのかーってグレイスさんを壁際に追い詰めてたよ……」


 また、教室の端では。


「グレイスさん、ずっと笑って仕事こなしてるけど、時々倒れそうな時があるんだよね」

「でもいっつも大丈夫だって言って」

「学園祭の準備の時よりも、グレイスさん顔色悪くなってきてるよね……」

「……これ、例のアレクさんの時と一緒だよね。やっぱりさ、アレクさんも同じように」

「そういうことだったのかな」

「じゃあグレイスさんも」


 それでも――。

 グレイス本人は、三人を否定しない。


「ルキア様は、信じて任せてくださっているだけ。セヴラン様は、効率を考えて……。ロアン様は、苦手なことを私に任せてくれているから」


 肯定する度、彼女は守られるべき被害者として固まり、三人がグレイスを支配している加害者だという認識が生まれていった。

 

 だが、誰も大声では言わなかった。


 ――絶対的支配者のルキア達が、怖いから。

 ――アレクの悲劇を思い出し、怯えているから。

 ――そして何より、グレイス自身が三人を擁護しているから。


 教師に言うべきではという声も上がったが、すぐにその声はなくなる。


 この学園において、たとえ相手が生徒だろうと、王太子であるルキアの支配が及ぶ中、教師の声などすぐに握りつぶされる。


 だから生徒達は、陰ながらそっと声をかけ、助ける。

 グレイスの負担にならぬよう、静かに。


 それは保身ではなく、彼女を守るための沈黙 だった。



 そして、十分な空気が育った頃。


 グレイスは、ほんのわずかに戸惑ったような声で、クラスメイトに、初めてあの三人の中で、とある個人の名だけを出す。


「あ、えっと、本当に私の思い過ごしだと思うんですけど……実は、最近……」


 これも全て破滅へ導くための仕込み。


 ただ、名前を出したのはその一度きり。

 加えてグレイスはすぐに自分でそれを否定するようなそぶりを見せた。

 きっと自分の勘違いだと言わんばかりに。


 だがグレイスの考えていた通り、その告白は、誰もが望んでいたたった一滴の水。

 溢れ出す準備をしていた沈黙が、一気に色づいていく。


 そして、誰も気づかない。

 相談という形で台詞を口にした少女が、本当はどんな心でそれを吐いたのか。

 

 復讐の茎は、まっすぐに天へ届こうとしていた。



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