56.静かなる収穫
芽吹いた種が陽を吸い、風に揺れながら伸びていくように、三人の心に宿った恋慕もまた、その根を深く潜らせていく。
ロアンは元からだが、この段階になると、ルキアもセヴランも二人きりの時には、グレイスのことを呼び捨てで呼ぶようになる。
だが、彼らが向ける熱は、優しい太陽ではない。
ただ盲信と執着に似た、過剰な光に過ぎなかった。
グレイスは穏やかに微笑み、その光を受け入れる。
まるで、【光の学園と救済の乙女】のヒロインのように。
◆
ルキア編:【甘美な時間】
午後の光が、学園内に併設された静謐なサロンへ淡く落ちていた。
カップに注がれた紅茶の色は、王宮の絨毯に似ているとルキアは言った。
「この香りは君に似ている。気高く、清らかだ」
グレイスが完璧な所作で淹れてみせた紅茶に対し、彼は、まるで王の祝辞のように言葉を紡ぐ。
それだけでなく、グレイスの指先一つ、呼吸の浅ささえ賞賛の材料にする。
「きちんとした所作を習い始めて、まだ一年未満とは思えないほどだよグレイス。君の努力は称賛に値する。そしてやはり君は美しい」
「ルキア様に喜んでいただけて光栄です」
「折角の二人きりだというのに、君は随分と固いじゃないか」
ルキアがグレイスの手を恭しく取り、甲に唇を落とす。
途端にグレイスは【恥ずかしそうに俯く】。
白い肌が赤く染まる様を見て、ルキアは満足げに微笑んだ。
「その愛らしいところは、誰にも見せてはいけないよ。それは僕のだけのものだ」
勿論、グレイスの内心は何も揺れない。
心の中でチェックリストの確認が、淡々と進むだけだ。
・彼の理想強化:完了
・光の象徴としての位置付け:維持
・盲目的信望の深化:良好
甘美な香りに溺れているのは、彼だけでいい。
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セヴラン編:【数字に裏付けられる感情】
「グレイスといると……感情値の変化が顕著だ」
誰もいない図書室の隅。
机の上には、グレイスといる時のセヴランの心拍・脈拍・呼吸・体温等の変化が記されたノートが広げられている。
セヴランは、無表情のままそれを見つめていた。
「では、このデータからどんな結論が導けるのでしょうか?」
グレイスの問いに、セヴランの手が一瞬止まった。
「……君と話す時だけ、脈が早まる。呼吸が浅くなる。視線を外すと、不快感が生じる」
そこで彼は、少しだけ眉を寄せる。
「嫌悪……ではない。恐怖とも違う。だが、分類に迷っている」
「迷っている?」
「ああ。今の私には、これを説明する概念が、以前より増えたとはいえまだ足りない。ただ……おそらくこれは悪いものではない」
そこでようやく、彼はグレイスを見る。
視線はまっすぐで、熱を含んでいるのに、本人はそれを理解していない。
「感情の定義はやはり、難しい。強いて言うなら……心地よい方向に変化している。これが……幸福、という状態に近いのかもしれない、とは思うのだが。……グレイスはどう考える?」
その声にはわずかな震えがあった。
恐怖による震えではなく、未知の感覚に触れた戸惑いからくるもの。
グレイスは穏やかに頷き、微笑んだ。
その瞬間、セヴランの心拍はわずかに跳ね上がる。
ノートのグラフが、静かにその変化を示す。
・感情理解:深化
・好感度:加速度的に上昇
・絶対的合理の基盤:揺らぎ始める
数字の裏側で、彼の崩壊は刻一刻と迫っている。
◆
ロアン編:【君を守るためにできること】
夕暮れの訓練場。
砂埃の舞う中、彼の剣の軌跡は獣めいて荒々しい。
「俺がお前を守る。だから、見ててくれよ!」
己の強さを、グレイスに一振りごとに見せつける。
力を振るう度に、彼は騎士としての価値を確かめる。
それを求める視線は、救いではなく、承認の欲望に近い。
グレイスが【嬉しそうに手を振る】だけで、彼は簡単に心を炎上させる。
彼女の笑顔を守る役目が、自身の存在意義になっていく。
「ロアン! カッコいいところ見せたいからって言っても少しは手加減しろ!」
「うるせぇな。四の五の言わずかかって来いよ! グレイスが見てると調子が良くて仕方ねぇんだよ!」
「だからって同級生を楽しそうな顔でぼこりやがって……」
笑いながら言い合うロアンと彼の仲間。
その様子を見つめ、グレイスは仲がいいなぁと言いつつその様子を眺める。
振り下ろすたびに舞う砂は、守るためのものではない。
そこにあったのは無邪気な破壊衝動だった。
・依存:上昇
・庇護欲:上昇
・無自覚の破壊欲求:大幅に増大
彼の本能が鎖から解き放たれる日を待つ。
◆
こうして、三人の心は確実に成熟してゆく。
それぞれが恋と誤解した執着を抱き、それぞれの形で、グレイスだけを見つめている。
グレイスは、静かな息を吐いた。
胸の内にあるのは、期待でも悔恨でもない。
ただ、終焉への計算だけ。
――復讐とは、育てるものだ。
種を植え、光を与え、水を注ぎ、芽吹かせ、そして、花が開いた瞬間に摘み取る。
その時は、もう間もなく訪れる。
この恋は、救済ではなく破滅へ捧げる貢ぎ物。
グレイスが摘むべき三つの狂気は、今、静かに花開こうとしていた。




