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55.芽吹く種



 華々しく行われた計三日間の学園祭も終わり、学園内はいつもの平穏を取り戻していた。


 ただ、学園祭前と違うことはいくつかある。


 ルキア、セヴラン、ロアンの三人の恋愛段階が第三に移行し、彼らがグレイスを見つめる瞳には明らかな熱が灯っている。

 それでも、それを出すのは二人きりになった時だけ。これはゲームでも同様だった。


 三人を同時に攻略し、同じタイミングで地獄へ落すつもりのグレイスにとっては、非常に好都合だった。


 下手に第三者に見られて、何か一つでもミスをしてしまえば、グレイスの考えている計画が崩れる可能性がある。

 不安要素は何一つあってはならない。


 ゲームでのルキアは【気高き光の王子】。

 セヴランは【冷静と理性の貴公子】。

 ロアンは【まっすぐな情熱の騎士】として扱われていた。


 それぞれ違ったタイプの三人と信頼と好感度を高めながら恋に落ち、ハッピーエンドを目指すという、まさに王道の乙女ゲーム。


 けれど、まったく同じイベントを、同じ選択肢でなぞっても。

 今のグレイスには、三人すべてが狂気を孕んで見えた。


 そして、同じく狂気を抱えているといえば、救済の乙女となるべくして生まれた、グレイス自身もそうだろう。

 

 グレイスもそのことは自覚していた。


 結局自身も三人と変わらない。

 誰に頼まれたわけでもない復讐で手を汚すことを誓った少女。

 

 アレクのためだと言いながら、これはアレクへの行いを許したくない、報いを受けさせたいと願うグレイスが、グレイスの為に行う復讐である。


 それでもグレイスの心に迷いはない。

 

 それに――そろそろ学園内に埋め込んでいた種から芽が出そうな気配がある。


 グレイスの有能さ、ひたむきさは今や学園の誰もが知ることだ。

 グレイスの評判が高まることは、光の盲目的な信望者であるルキアにとっては喜ばしいことだろう。

 セヴランにとっても、ロアンにとってもそれは同じことである。

 彼らが認める、彼らが理想とするグレイスは、誰からも好かれ慕われている。


 だが、そんなグレイスが真に求め、彼女の隣にいるのは自分だけなのだと。


 グレイスへの気持ちを恋だと勘違いする三人は、グレイスに依存し所有することに悦びを覚えている。

 同時にグレイスを見出した彼らの評価も上がるだろうと、さぞ誇らしく思っていることだろう。


 だからこそ、今彼らには油断が生じている。


 普段ならば誰かが気付いていたはずだ。


 ――学園の絶対的支配者にして、皆の理想の王子であるルキアが。

 ――感情に左右されず、常に冷静な立場から俯瞰して物事を見られるセヴランが。

 ――様々なところから、色々な情報が集まるほどに慕われているロアンが。


 だが、告白前のこの時期、三人の思考は自然とグレイスに偏り、その分だけ、周囲への注意が鈍っていた。


 そう、この時期だからこその油断。


 加えて意図的に水面下で動いていたことで、彼らの目と耳がそれを捕らえることはなかった。


 そして――遂に種は芽吹いた。



 いつもの昼食時。


 肌寒い季節ではあるが外で食べたいと、グレイスは強引にクラスメイト達に連れ出された。

 冷たい風が髪を揺らしても、クラスメイト達は気にする様子もなく笑っている。


 そんな中、グレイスが購入したパンを口に入れていると、ふと深刻な顔でその中の一人が名前を呼んだ。


「ねえ、グレイスさん。最近、その、困ってることとかはない?」

「困ってることですか?」


 グレイスはこてんと首を傾げる。

 そして考え込むようにパンに入ったレーズンをじっと見つめ、あっ! と短く声を上げると、


「そろそろ冬服が欲しいなって思っているんですが、一人だとどんなコートがいいか決められなくて困っています!」


 その答えに、クラスメイト達は顔を見合わせると、小さく笑った。


「そっか。じゃあそれは今度皆で一緒に見に行こう」

「いいんですか? 助かります! 皆さんセンスがいいから、参考にしたいなって実はずっと思っていたので」


 無邪気にそう言えば、彼女達が嬉しそうに頬を緩める。

 だがすぐに表情を引き締め、周囲に人がいないことを確認してから小声で囁く。


「そうじゃなくてね。例えば……生徒会の仕事が多くて大変じゃないかな、とか」


 何かを含んでいるような言い方。 

 純粋にグレイスのことを気にかけている――その裏にあるものは。


「……実は、ルキア様達、ちょっとグレイスちゃんに押し付け過ぎなんじゃないかなって、最近思えてきて」


 ――グレイスは心の中で笑った。

 これまでそう言った声を上げている生徒は少なからずいた。

 だがすぐに誰かが、そんな訳がないと否定していた。


 ありえない。あのルキア達に限って。まさか。


 そこで話は止まり、グレイスに直接問いかけてくる人間はいなかった。

 これまでは。

 

 ――それが、崩れた。


 グレイスと比較的近い距離にいるクラスメイト、という関係性だからというのもあるだろう。

 それでもこの質問を投げかけてくるということは、彼女達の中に、もはや拭いきれない疑惑が生じた証拠だ。


 グレイスが夜遅くまで一人で仕事をしていたことを、彼女達は知っている。

 その傍らで、グレイスが特待生として勉強にも手を抜かず、未だに上位の成績を保っていることも知っている。

 それでもグレイスは弱音を吐かず、困っている人がいれば手を差し伸べていることも知っている。

 

 そして――。


「ほら、前に生徒会にいて体崩して退学しちゃった人がいるって言ったでしょう? あれもね、その人と同じクラスだった先輩に聞いたら、結構無理をさせられてるように見えたんだって言ってて。だから……グレイスさんは気丈に振舞ってるけど、もしかしたらって」


 彼らが貶めたアレクが。

 勝手に壊れたと三人に思われ、過去の遺物と思われているアレクの存在が、彼らを揺るがす刃になる。


 だが、まだだ。

 ここで簡単にそれを認めてはいけない。

 

 種が芽吹けば、花になるのはあっという間だ。

 もう少し時間が欲しい。


 もっと彼らへの不信感を、他の生徒達の中に刷り込ませなければ。


 ここでグレイスは、一片の曇りのない笑顔を彼女達に向けた。


「皆さん、心配かけてしまってごめんなさい。だけど大丈夫ですよ。確かにたくさん仕事を私に任せてもらっていますけど……。『仕事量はかなり多いとは思うけど、それだけ期待しているってことだからね』ってルキア様達には言われました。だから私は、三人の期待に応えたいんです!」


 何の変哲もない、いつものグレイスらしい言葉。


 しかし何人かは気が付いた。

 ルキア達は、グレイスに大量の仕事を振っているという自覚があることを。


「待って、グレイスさん、それって……」


 わずかに震える声を上げるクラスメイト。

 しかしグレイスは変わらず、無垢な笑顔を浮かべた。


「? どうしましたか」


 その顔に、皆が何も言えなくなり、続きを飲み込んだのが分かった。


 だが、これで彼女達を起点に、少しずつ三人への不和が広がっていく。

 そしてグレイスが、三人が望むような強力な光として学園内で評価を上げれば上げるほど、皮肉なことに彼ら自身の影を深くさせることになるだろう。


 まずは一段回目、発芽の完了だ。

 


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