52.セヴラン編:【過去の後悔 静かなる推論】
「セヴラン様、こちらにいらしたんですか」
彼の文化祭中でのイベント【理論の武装】【予測不能の事件】【演劇中の小さな乱入者】などを終え、間もなく花火が上がろうとする頃。
グレイスが生徒会室の扉を開けると、中にセヴランがいた。
「間もなく花火が上がります。もう少し見やすい場所ではなくてよろしいので?」
「私は人混みが苦手だ。生徒会室は静かでいい。それにここからでも十分に鑑賞可能だ」
「では、【私もご一緒してもいいですか?】」
「……ああ」
セヴランがそう返事をしてからほどなくして、花火が夜空に咲く。
鮮烈な光が空気を震わせ、暗闇を一瞬だけ照らす。
「綺麗ですね」
「……綺麗、か」
セヴランの横顔は、花火の光に照らされてもなお、恒常的に静かだった。
「視覚的刺激としては優れている。だが、儚い」
「それは否定しません」
「すぐに消えるものに、大衆はなぜ価値を求めるのか。合理性に乏しい」
本気で理解できないという顔だった。
けれど同時に、理解したいと……そんな思いを持っているのも伝わってくる。
と、セヴランは、「儚い」という単語からゲーム通り、過去の話を始める。
「儚い……といえば、昔生徒会に優秀で、結果を残す人間がいた」
名前は出さないが、誰のことかは分かる。
グレイスは痛む胸をかすかに抑え、セヴランの言葉を聞く。
「だが、彼はまるでこの花火ように儚く、壊れた」
花火が散る。
火の粉のように、淡々と落ちる言葉。
そこにグレイス、わずかながらにセヴランの温度を感じる。
攻略を開始してから、セヴランは、日に日に人間らしくなっている。
彼の声から何かの感情が漏れているのがその証拠だ。
確かに彼は冷たい。
だがそれは、生まれ持っての性質だけではない。
代々感情の切り捨てを強いられる家に育てられたが故に、アレクに対してもあのように道具を使う感覚で接してしまったのかもしれない。
もし環境が変われば。
グレイスが、彼に感情を教えていけば――変われるのかもしれない。
三人の中の誰よりも、まともな人間に。
そして、本当はあの時、感情がなかったからアレクに何も思わなかっただけで、今の感情を掴みかけている彼なら、アレクに対して少しは思うところがあるのではないか。
そんな考えが、胸の奥をかすめる。
そんなはずはないと分かっているのに、ほんの一瞬だけ胸が揺れた。
……揺れた自分こそ、愚かだと理解しているのに。
だが浮かんでしまった思いに突き動かされるように、グレイスはここでもゲームにはない、ルキアにしたのと同じ質問を口にしていた。
「……セヴラン様は、その時、その彼に、どんな感情を抱いたんですか?」
せめて懺悔の言葉でもあれば、アレクの心も少しは報われる。
そんな淡い希望。
セヴランは、一度目を伏せる。
一拍置き、静かに語る。
「……これまで君と確認してきた材料をもとに、感情を整理してみる」
彼は苦しそうに額へ指を当てる。
悩み、悩み――結論に辿り着いたのか、ふっと顔を上げた。
「なるほど」
「何か分かりましたか?」
「ああ。……あの時私は、彼が壊れた場面を見て名前の分からない感情というものが確かに溢れた。実はそれがずっと何か、切り捨てたつもりで気になっていた」
そしてセヴランは、わずかに頬を緩め、言った。
「私はどうやら彼に苛立っていたようだ。弱かったことに。私の期待通りに動けず、私の正しさを揺らがせたことに。本来ならば私の正しさを証明できるはずの人間だったのに」
やはり、何も変わっていない。
――感情があろうとなかろうと、アレクのことはセヴランにとっては、何の価値もない壊れた道具なのだ。
するとアレクのことを語り終えたセヴランが、グレイスを見る。
その顔にはかすかにグレイスを――新しい道具を心配する表情が浮かんでいる。
それには気づかないふりで、グレイスはゲーム通り、そっと問いかけた。
「セヴラン様、私の顔を見てどうされたのですか?」
セヴランは花火の光を映した瞳に、彼女を捕らえる。
「……君は、あの花火のように儚いのだろうかと思っていた」
静かな声。
わずかに息を吐いて彼は続ける。
「最近、私は判断に迷う場面で……無意識に君の意見を探していると気づいた。感情の理解の時だけではない。それ以外でも君が答えると、それを正しいと感じてしまう」
その声音には、彼自身も説明できない迷いが混じっていた。
彼の言葉は事実である。
――どこから屋台を見回るか判断する時。
――ハニーロールクランツの分析を終えた時。
セヴランはグレイスの反応を伺っていた。
「それが何を意味するのか、まだ分からない。
だが……もし君が儚く、壊れてしまったら――」
言葉がそこで途切れる。
……これまでの彼は、判断を下す時に他者を参照する必要など一度もなかった。
迷いが生じても、自分の合理に従えば答えは一つに収束する――そのはずの男が、今は無意識にグレイスへ基準を求めているのだ。
グレイスは静かに問い返す。
「セヴラン様の見立てでは、私は壊れそうに見えますか?」
「……いや。私は君を、とても強いと判断している。だから――大丈夫だと、思いたい」
そこで、グレイスはそっと微笑んだ。
ヒロインとしての完璧な微笑み。
その裏側で、胸の奥では冷たい声で笑いながらグレイスは言葉を吐く。
――セヴラン様。あなたが恐れているのは、私が壊れることではなくて。
あなたが正しさを測る物差しとして依存し始めた私が壊れた時、自身の正しさの基盤が崩れることなのだ、と。
だが、もちろんそのことは声には出さず、グレイスは口を開く。
「セヴラン様、前にも申し上げました。私はあなたが思っている以上に強いと」
わざと、ゆっくりと、彼の心に刻み込むように。
「【私は壊れません。――だって、セヴラン様がそう判断なさったのでしょう?】 セヴラン様が判断を間違えるはずがありません」
その言葉に、セヴランの表情が揺れた。
「もし必要でしたら……私はこれからも、セヴラン様が正しい選択をできるよう、お手伝いします。そのためにここにいますから」
花火が反射し、セヴランの瞳がどこか熱を帯びた光になる。
「……君は、私の正しさを測る物差しになるというのか」
「はい。あなたが望むなら」
次の瞬間だった。
セヴランの指がグレイスの顎をそっと持ち上げた。
研究対象に触れる時のように、慎重で、しかし迷いのない動き。
「なら――この結論に至るのは、必然なのだろうな」
理性でも所有でもなく。
ただ確かめたいという、生まれたばかりの感情だけが彼を動かしていたようにみえた。
彼と唇同士が触れる。
夜空で花火が弾ける音が、遠くでかすかに聞こえた。
◆
生徒会室に残ったグレイスは、花火の残骸すら残っていない暗い夜空を見上げる。
やはりどこまでいっても、セヴランはセヴランらしい。
彼が優しくなったと勘違いしてしまいそうになる場面もあった。
だが本質は同じで、その分余計に質が悪くなったともいえる。
――孤児院に帰ってきたばかりのアレクを思い出す。
細く小さくなったあの背中に、セヴランが感じたのは苛立ちだったと言った。
グレイスのみに溺れながらも、人の皮を被り正しさだけを追求するセヴランは、悪魔とどう違うと言えるだろうか。
けれど憤っていても何も変わらない。だからグレイスはここまできたのだ。
アレクの無念を晴らすために。
彼らに己の罪を自覚させるために。




