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46.ロアン編:【悪夢の再来 誓いの口づけ】



 その日、珍しくロアンは生徒会室の机の前に座っていた。

 

 今仕上げようとしている報告書は、どうしても彼自身で終わらせなければならない。

 明日の朝までにできていなければ学園祭自体参加させないとセヴランに言われてしまえば、従うしかない。セヴランが本気なのはよく分かっていた。


 と。


「ロアン様、そこ、文章のこことここ入れ替えて、あとここの部分の内容も、被ってる単語削って改行したらすっきりまとまるよ」


 彼の背後から声が降ってきた。


 誰の声か振り向かずとも分かる。

 ロアンが彼女の言うように修正すると、あっという間に報告書が完成した。


「おーっ! さすがグレイスだな。俺絶対夜までかかるって思ってたのに、もう終わったぞ!」


 満面の笑みでロアンはグレイスを振り返る。

 きっといつもみたいな明るい笑顔を浮かべてこちらを見ているんだろうと思いながら。


「よかったよかった! ロアン様の役に立てて」


 確かに彼女は笑っていた。


 だが、顔が青い。

 笑顔がわずかに引きつっている。

 目の下にははっきりとクマ。

 声はいつもと同じく明るかった……いや、よくよく聞けば、わずかに震えがある。


 その姿が、かつて守れなかった友と怖いほど重なった。

 もう二度と見たくなかったはずの光景が、目の前に蘇る。


「アレ、ク……」


 はっと口を押さえて言葉を飲み込む。

 違う、ここにいるのはグレイスだ。アレクではない。

 それにアレクはもうここには……。


「ロアン様ー? どうしたの? というかアレクって……」

「なんでもねぇ! って、それよりお前、自分がどんな顔色してるか自覚あんのか!? 目の下のクマだってすごいし、ちゃんと寝てるのか!?」

「あー、仕事がね、終わらなくて。【ロアン様に褒められたいし、頑張んないと】って思ってるんだけど、まあ、どうにも……」


 その時だった。

 グレイスの体がふらりと後ろに倒れかける。 


「グレイス!」

 

 頭で考えるより先に、体が動き、倒れる前にその体を抱きとめた。

 腕の中に落ちてきたグレイスは、あまりにも軽すぎた。

 

 息が浅く、指が震えてる。


 それが悪夢を思い起こさせる――守れず壊した、愚かな己の姿を。


 グレイスをとりあえず生徒会室のソファへ運び、そこへ彼女の体を横たわらせる。

 なのに倒れたばかりのグレイスは、すぐに起き上がろうとする。


「お、おい、まだ立つなっ!」


 怒鳴った自分の声が震えているのが、自分でも分かった。


「だけど、まだ、仕事、終わってなくて」

「お、まえっ……」


 ロアンは、この状態でも立ち上がり責務をこなそうとするグレイスに、驚きと同時に希望を見出す。


 アレクとは違う。

 彼は、そのまま倒れた。

 

 だがグレイスは、今、こうして弱さを見せているが、彼女の瞳には強い意志が宿っている。

 それはこんなことでは壊れないと、証明しているようだった。


 ロアンはちらりと散らばった書類を見る。


 それらはロアンが、グレイスに代わりにとお願いしていた仕事だ。

 その全てが既に彼女の手によって完璧なものに仕上がっている。

 

 ……ああ、手放したくない。

 グレイスはロアンの苦手なところをすべて補ってくれる。

 彼女ならどんな状況になっても、壊れないだろう。

 だからこそ――守りがいがある。

 守る価値がある。


 けれどアレクの時と同じことにはさせない。


 今のグレイスにこれ以上無理はさせられない。

 そんなグレイスを守る。それがロアンの役割だ。


「今日はもう何もするな! 休め!」

 

 叫んだ。

 情けないくらい必死で。


「え……?」

「大丈夫、お前なら今無理しなくったって、後で挽回できる! お前が無理しないように守るのも俺の役割だ。俺に守らせろ。守らせてくれよ、なぁ……頼む」


 何も守れなかったロアンのままでは嫌だ。


「俺、もう戻りたくないんだ、あの時みたいに何もできずに見てるだけの自分には……。お前を守れるなら俺は……俺でいられるんだ。だから……」

 

 頼むから、騎士でいさせてほしい。

 誰かを守る騎士に。


 そんな思いを込めながら、ロアンはグレイスの額にそっと唇を押し当てた。


 この行動にグレイスは一瞬戸惑ったように彼を見つめる。

 けれどその後すぐにふっと表情を和らげた。


「……じゃあ、ロアン様の言う通りにしようかな」


 その言葉に救われた気がした。


◆翌日︰【救えた明日】

 

 翌朝。


「おはようロアン様! 昨日は休めって言ってくれてありがとう!」


 グレイスは驚くほど元気になっていた。

 書類を片手に軽やかに動き回っていたグレイスが、ロアンの顔を見ると、いつも通りにっこりと笑って見せる。


 それを見ていると、胸が熱く満たされる。

 

 アレクの時は守れなかった。

 傷付き倒れる彼に、何もしてあげられず、守れなかったどころか己の行動が彼を壊す一端になった。

 

 けれど今回は違う。

 ロアンは壊す側じゃない、守る側だ。

 

 女子生徒にけなされていた時も、木箱が降ってきた時も、彼女が倒れそうになった時も。

 この笑顔を守ったのは、他ならぬロアンだ。

 

 それに、昨日手つかずだった業務も全て終わっている。

 グレイスはやはり強い。

 この程度では潰れない。

 

 ここでロアンは、ようやく少しだけ、己にまとわりついていた影が薄くなった気がした。

 

「あ、そうだ! 昨日のお礼に……今日のロアン様の分も手伝おっか?」


 そう言われ、一瞬、彼女がまた倒れそうになったらどうしようかという不安が頭をよぎるが……。


 考えてみればアレクの更に上を行く仕事量を完璧にこなし、それでもグレイスは、軽く睡眠不足になった程度だった。

 むしろ自分が助けることで、彼女は更に力を発揮できるのではないだろうか。

 なら、やはりロアンが頼るのは問題ないだろう。 

 何よりこれは彼女から自分へのお礼だ。


「じゃ、この辺全部頼むわ! 俺、他行って手伝ってくるからさ!」

「もうっ、ロアン様! 全部って調子乗りすぎ! でもまあいいよ」


 その笑顔に、ロアンの胸がまた熱くなる。


 ……やっぱり守りてぇわ、この笑顔。


 グレイスが傍にいれば、騎士としての誇りも近い将来完全に取り戻せる。

 

 そんな予感を胸に、ロアンは意気揚々と生徒会室から出て行った。


 歪に形作られたその騎士としての誇りが、近い将来粉々に砕け散ることも知らずに。



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