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45.セヴラン編:【悪夢の再来 乱れる鼓動】



 まもなく夕方に差し掛かろうとする頃。

 生徒会室には、セヴランとグレイスだけが残っていた。


 紙の束が積み上がり、筆記具の音だけが静かに響く。


「急ぎの訂正がまだある。こちらですぐに処理する。それを元にもう一度作成を。明日までに仕上げるように」


 淡々と告げながら、セヴランは隣で作業をするグレイスに書類を差し出した。

 グレイスは頷き、すぐに作業へ移る。


 ――しかし、その指先が、少し震えていた。

 細い揺れ。

 ……これは一体、何からくるものなのか。


 その時セヴランの脳裏に、以前にこの部屋で倒れたアレクの記憶が蘇る。

 彼と全く同じ、あの微細な震え。

 

 ではこれは――アレクのように負荷からくるものか。


 灰色の瞳に一瞬迷いが生まれ、セヴランの口から無意識に、躊躇いがちな声が零れた。


「グレイス嬢、……その手、は……」

「大丈夫です。集中しているだけです」


 しかし手は、静かに震え続けている。止まる気配はない。


 セヴランの胸に、嫌悪にも似たざわつきが走る。

 また、例外が現れたのか。


 いや、違う――彼女はアレクとは違う。

 グレイスに渡している仕事は適正の量だ。だから彼女が彼のように倒れるわけがない。

 セヴランは決して間違わない。

 自身の判断が誤りのはずがない。


 そう言い聞かせ、さらに資料を渡す。


「次にこの分も」


 セヴランが隣に書類を手渡し、彼女が受け取ったその瞬間、グレイスの腕が限界を迎えた。

 

 グレイスの白い指から書類が滑り落ちる。

 見ると彼女の顔色は青ざめ、視界が揺らいでいる。


 そのままグレイスはセヴランの方にふらつくように倒れ、彼の肩に頭を預ける形になる。


「体勢が……わずかに崩れました。すぐに戻しますので」


 グレイスが元の位置に戻ろうと体を起こそうとしたが、それを止めたのはまさかのセヴランだった。


「……いい。そのまま寄りかかったままでいろ。今動くと、筋肉の緊張で倒れる可能性がある。それに……顔色が悪い。指先の震えも止まっていない。息もわずかに荒い」


 するとグレイスの体から、細い震えが伝わる。


「……申し訳、ありません、セヴラン様」

「なぜ謝罪する?」


 掠れた声。

 その言葉は、まるでアレクの時の再現だ。


「すみません……大丈夫ですから……」


 セヴランの呼吸が、訳も分からず乱れる。

 しかし原因を探らなければ。


「説明しろ。どういう状態だ」

「……ただの、寝不足です。私が自分で自分の睡眠時間を管理できなかった故に起こった、事態です」

「……私が君に任せた業務は、適正量のはずだ」


 ……自分の判断に誤りはない。

 そう思っているのに、まるでそれが本当に正しいか確かめるように、グレイスにこぼすセヴラン。


 すると彼女はすぐにそれを肯定した。


「はい。セヴラン様は正しいです。ただ、私の予測では、寝不足とはいってもほんのわずかに作業速度が落ちるだけで、倒れるほどでは……」

「だが君は今、倒れかけている。この状況をどう証明する。……目測が甘い」

「……はい」

「普段の君ならこのようなミスは侵さない。なぜこのような事態を招いた」

「……仕事を任せてくれたセヴラン様に、失望、されたくなくて。【セヴラン様に評価されるのは、嬉しくて】。信頼に応えたいという思いから、少し、無茶をしました」


 言っていることはアレクと大きく変わらない。


 彼の時は簡単に切り捨てた。

 嬉しいという感情のために非効率的な行いをすることは、愚かなことだ。

 

 それなのにグレイスに言われると、胸の鼓動がドクリと大きく鳴る。


 不可解だ。

 非効率的だ。

 感情に振り回されるのは愚かなことだ。

 同じ言葉が頭の中を何度も駆け巡る。


 それでも鼓動が収まることはない。


 セヴランはじっと、己でも気付いていないであろう熱の籠った瞳でグレイスを見つめる。


 グレイスはまだやれる。

 今の状態でも渡した仕事は確実に、完璧に終わらせられる。

 彼女は――壊れない。

 

 そう思うのに彼の口から出たのは、異例の言葉だった。


「……今日は作業を終わりにする」


 それどころか、グレイスの前に水の入ったグラスを置く。

 グレイスは驚いたように目を瞬かせた。


「セヴラン様……?」

「このまま作業を続けた方が非合理的だと判断したまでだ。今日は休んで、明日に遅れを取り戻せ。君ならそれができる」

「私はまだやれます」

「君は私の下した判断が間違っていると?」


 そう言えば、グレイスは観念したように唇を噛むと、


「分かりました」


 と答えた。


◆翌日︰【感情の揺らぎ】


 翌朝。

 セヴランが生徒会室へ足を踏み入れると、既にグレイスはいた。

 背筋を伸ばし、普段と変わらぬ速度でペンを走らせていた彼女は、ふと顔を上げた。


「おはようございますセヴラン様」

「おはよう。体調に問題はないか」

「はい。通常通り、問題ありません。セヴラン様、先日処理しきれなかった分を全て終わらせたものを机の上に置いていますので、確認お願いします」


 セヴランも席に着き確認する。

 全て問題ない。


 彼の思った通りだった。

 彼女ならこの程度の負荷には耐えられる。そして、多少の遅れも問題なく取り戻せる。

 彼女に対して感情の乱れを生じさせたが、昨日の判断は、間違いではなかった。


 だが、一つ確認したいことがあった。


「グレイス嬢。顔を上げてくれ」


 彼の言葉に書類から隣のセヴランに顔を向けたグレイス。

 セヴランは彼女の前髪をそっと払うと、


「状態を確認し、判断の誤りがないか検証する」


 そのまま自身の額を彼女の額と合わせる。

 

「熱はないな。顔色もいい。クマも消えている。本当にただの寝不足だったようだな。これからは気を付けるように」


 己の正しさを確認できた彼は、そう言ってグレイスを離す。


 と。


「……セヴラン様、どうしてそこまで近づいて確認を? 体調を確認するだけなら他の方法もあったかと」


 グレイスからのほんの些細な疑問。

 だがその一言に、セヴランの呼吸がわずかに乱れた。


「……必要な検分だ。体調の確認には接触の方が――効率的だからだ」


 瞬きひとつせず、淡々と答える。

 だがその声音のどこかに、微かな揺らぎがあった。

 本当はただ触れたかったが、必要だから触れた――そんな言い訳めいた声色が滲み出ている。


 それに気づいたセヴランは、思わずグレイスから目を逸らしかける。


 その時、彼女の頬がわずかに紅潮していることに気づいた。


「……顔が赤い。急な発熱か?」


 しかし。


「セヴラン様。そっくり同じ言葉をお返しいたします」


 言われて気が付いた。

 自身の頬に触れれば、普段よりも幾分か熱がこもっている。


「……理由はなんだ」

「私は羞恥と、セヴラン様に心配され、触れられた喜びです」

「……そうか」

「セヴラン様はどうですか」

「……分からない。だが、おそらく君の熱が私に移ったのだろう。確かに平素の私より0.5度ほど上がっているようだ。一時的なものだ、と思うのだが。……グレイス嬢は、どう考える」

「そうですね。……それが私への好意からくる可能性も、否定できないかと」

「そうか。君がそう言うのならそうなのかもしれないが……やはり判断する材料が足りない。……今の私に分かるのは、それだけだ」


 けれど答えながら、心臓が再びドクリと大きく鳴る。


 その意味を彼が知るのは、もう少し先のことだった。

 そしてそれは、彼の正しさの根幹を狂わしかねない揺らぎでもあった。



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― 新着の感想 ―
『グレイスに渡している仕事は適正の量だ。セヴランは決して間違わない』 そうかもしれませんね。 グレイスがセヴランの与えた仕事だけをしているならね。 ルキアも適正な量を、ロアンまでも適正?な量をそれぞれ…
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