44.ルキア編:【悪夢の再来 光が揺らぐ夜】
学園祭を間近に控え、夜の校舎は静まり返っていた。
だが、生徒会室だけがぽつりと灯りを落としている。
窓越しに見えるその明かりに、通りかかったルキアは自然と足を止めた。
「まだ残っているのは……」
扉の隙間から見えた影は、一人。
机に資料を積み上げ、何度も手を動かしている小柄な姿。
その肩が小さく揺れた瞬間――ルキアの胸に、冷水が落ちた。
「……アレク?」
重なる光景。
同じように夜遅く、同じ部屋で、同じように震えていた少年。
――明日も大丈夫だと微笑んだまま、朽ちた光。
その記憶を振り払うかのように、ルキアは扉を押し開けた。
「……グレイス嬢」
ルキアの声に、グレイスは驚いたように目を上げる。
その瞳に浮かぶのは、いつもと変わらぬ穏やかな紫。
「あ……えっと、ルキア様!?」
「これは驚いたな。まさかこんな時間まで残っていただなんて」
「す、すみませんっ、本日頼まれていた分がまだ終わっていなくて」
「そうなんだ。だけど無理はしないでね」
その時、ルキアの目はグレイスのある変化を捉えていた。
彼女にしては珍しい、化粧をほどこされた顔。
しかし目の下だけ不自然にそれが濃い。
よくよく見ると、うっすらとしたクマがあった。
「……もしかして寝不足かな」
思わず出た掠れた声が、自分のものではないように聞こえる。
「こ、これは、今日だけなので!」
声は明るく、笑みは柔らかい。
だからこそ、ルキアの息が止まった。
震えている。
手が、紙を持つ指が。
それなのに、それを隠そうとする。
疲れているのに無理をしていると言わんばかりのグレイスの姿が、再びアレクと重なった。
ルキアの喉が、ひどく痛む。
あの時と同じなのに……。
どうしても彼の足はそれ以上動けない。
ルキアの前で慌てたように笑うグレイスは、まだ強い光のままだと思いたいから。
そうあるべきだと、もう一人のルキアが言っているから。
だからこそ、自分が理想の象徴として掲げたいと願う光が、また弱いものだったと認めるのが、怖い。
けれどそんな彼の心を知ってか知らずか、グレイスは笑って言う。
「……大丈夫です! 【信じて仕事を任せてくれた、ルキア様の期待に応えたい】んです。今日は少し寝不足なだけで、明日には元気になっていますから」
それならば。
他ならぬグレイス自身がそう言うのだ。
たとえ明らかな異変が見えたとしても、彼女の言葉を信じるべきだろうと、助けなくてもいい正当な理由を自分に言い聞かせる。
理想が揺らぐのが怖い――そんな自分を誤魔化すように。
ルキアは声が震えないように慎重に言葉を紡ぐ。
「……分かった。なら、君を信じるよグレイス嬢」
「ありがとうございますっ!」
「ただ、夜は冷える。風邪だけは引かないようにね」
震えは止まっていた。
ルキアは彼女に近づくと、着ていた自身の上着を脱ぎ、グレイスの肩にふわりとかける。
「ひやっ……!?」
しかし、驚きからか素っ頓狂な声を上げるグレイスに構わず、彼女を後ろからそっと抱きしめる。
途端に熱を帯びるグレイスの体を尚もぎゅっと腕の中に閉じ込め、今度こそこの光が消えないようにと願いを込めてから腕の力をゆっくりと緩めた。
◆翌日:【変わらぬ光】
翌朝の校舎。
昨日とは別人のように元気な声音で、グレイスは仕事をテキパキとこなしていく。
「ルキア様、昨日の資料まとめておきました! こちらを」
「……ありがとう。君は……やはり誰より強いね」
「風邪を引かないのが私の取り柄なのでっ!」
真面目な顔で放たれた言葉に、堪らずルキアは吹き出した。
「あ、あれ? 私、変なこと言いましたか……?」
「いや、違うんだグレイス嬢。……君は、そのままでいて欲しい」
ルキアの目に映るのは、理想そのものだ。
もう、昨日の震えはどこにもない。
まるで最初からそんなものなど存在しなかったかのように。
「僕の理想は間違っていない。君は……強く美しい光だ」
光は消えない。
信じれば応えてくれる。
アレクなど、もはや惜しくはない。
なぜなら本物の光は、壊れなどしない。
――そうでなければ困るのだ。
「君を信じるよ。ずっと」
救うのではなく、ただ信じる。
それがルキアにとっての『守るべき光』だった。
その信頼は、鎖のように静かに絡みつく。
けれど彼は気づかない。
光を見上げる影は、静かに、確実に彼を侵食していく。




