41.灯りの影に積もる想い
学園祭まで、あと二週間。
授業は全てなくなり、校舎中が準備に沸いている。
生徒会室はもちろん、廊下も体育館もどこもかしこもが作業場だ。
その中をグレイスは、両腕いっぱいの資料を抱えて駆け抜けていた。
彼女が現れれば、明るく気さくに呼び止める声が途切れることなく降ってくる。
「グレイスさん! 忙しい中ありがとう。昨日の集計、本当に助かった!」
「ありがとうなグレイス嬢! 説明分かりやすかったし、次からはちゃんと一人でするから」
「期限切れの書類通してくれてサンキューな! もう迷惑かけないから!」
そして言葉以外にも、
「生徒会、お疲れ様……少し休んで。はい、差し入れ!」
そう言って差し出されるのは、冷たい飲み物や小さなお菓子。
グレイスは驚いたように目を瞬かせ、遠慮がちに微笑む。
「え、そんな……お気遣いなく。でも、嬉しいです。ありがとうございます!」
グレイスは彼らの善意を、笑顔で丁寧に受け取る。
彼女は生徒会会計であり、特待生として模範的なグレイスを演じているだけだ。その方が都合がいいからと。
それなのに気付けば、こうして皆から言葉をもらい、何かを与えられてしまっている。
――あの三人とは違う。
ルキアも、セヴランも、ロアンも。
彼らはグレイスに期待し、頼り、使い倒すことを当然だと信じている。
けれど、一般の生徒達は違った。
「頑張ってるんだから、少しくらい甘えてよ」
「いつでも手伝うよ。言ってね?」
「グレイスさんの負担が大きすぎたら、困るし……」
そう言われて、断る隙すら与えられず両手いっぱいの荷物を奪われ、グレイスの負担軽減のために他にも彼らのできることを積極的にしてくれている。
彼らの言動からくる困惑と感謝の間で迷うように、グレイスはその度に笑みが深まる。
「ふふ……ありがとうございます。心強いです」
きっとここは優しい世界。
けれどその優しさは、どこか懐かしく胸を締めつけた。
その温度は――アレクが受け取るはずだった温度。
それを証明するかのように、廊下の端で二年生の女子生徒たちが小さく言葉を交わしているのが、グレイスの耳に届く。
「……本当は、アレクさんも助けたかったよね」
「いつも『大丈夫』って笑うから……信じるしかなくて」
「……やっぱり手を伸ばすべきだったのかな。そうしたらアレクさんは」
「だけどルキア様達も、アレクさんに期待してるからできるだけ彼にさせるようにって言ってたし」
「それでも……」
その言葉は、誰にも届かない後悔の吐息を溢しながら、今更風のように空へ流れていく。
――懺悔のような告白。
アレクの性格はグレイスもよく分かっている。
彼はいつも無茶をしてしまいがちだ。
全て一人で抱え込んで、しかもそれができてしまう人。
その上、助けを求めるのが苦手な人。
けれど、ほんの僅かでも――アレクを知っている人達は、少なくともアレクのことをちゃんと知っていて、想っていた。
それでもグレイスは、歩みを止めない。
資料を抱えたまま、ただ静かに目を伏せた。
気づいてもらえなかった努力。
届かなかった優しさ。
報われるはずだった光。
――アレクは、孤独のままこの学園を去った。
でも今、かつての彼のことを覚えてくれている生徒達が、傷ついている。
それはまぎれもなく、アレクがここにいた証だ。
少しだけ、胸の奥の冷たい炎が揺れる。
悲しみ、ではない。
まして喜びでもない。
けれど、ほんの少しだけ、痛みが和らぐ。
アレクの存在は全て消されていたと思っていた。
だけど彼の努力は、決して消えてなどいない。
だからこそ、グレイスは今日も笑う。
希望の象徴として。
学園が望む、模範的な特待生として。
「じゃあ、次のところへ行きますね! 早く進めなきゃ!」
「頼りにしてるよ、グレイスさん!」
「無理しないでね!」
「はい。皆さんの、それに偉大なルキア様たちの期待に応えたいから――大丈夫です!」
そうすれば自然と、蒔いた種に水を上げる人が現れ始める。
「期待って……よくよく考えたら仕事振りすぎじゃない?」
「さすがに可哀想、だよね?」
「三人も忙しいのは分かるけど、まだ一年だぞ?」
「しかもグレイスさんの成長のためにってあまり手を貸さないって……」
「それってアレクの時と同じ……?」
「でも、あのルキア様たちだし、まさか悪意じゃ……ないよな?」
「それはないって!」
まだ種の段階。
誰も気づかない。
だが、発芽は近い。
グレイスは振り返らず、軽やかに歩いていった。
笑顔で、燃える意志を隠したまま。
芽が地上に出るまでまだ少しかかる。
それでいい。
グレイスの攻略速度に合わせて、最後は見事な大輪の花を咲かせることだろう。
アレクの代わりに受け取った光と、アレクが置き去りにした影を抱えて。
その日、無邪気な善意に包まれながら、グレイスはまた一つ復讐の準備を整えた。




