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36.ロアン編:【差し伸べられた黄昏の庇護】



 その日の下校中。

 夕焼けが塔の影を伸ばす頃、グレイスは一人寮へ向かっていた。


 寮の脇には背の高い植え込みがあり、学生同士がこっそり話すには丁度いい薄暗さがある。

 そこへ差し掛かった時だった。


 いきなり誰かに腕を掴まれ、グレイスは小さな悲鳴を上げながらその植え込みの前に引きずり込まれていた。


「えっと、あなた達は……?」


 グレイスはロアンルートに順調に入ったことを知り、一瞬小さくほくそ笑む。


 が、すぐに怯えた少女の顔になり、びくっとした様子で二人の女子生徒たちの顔を見る。


 予想通りロアンの信望者。

 あの、品のない言葉を放っていた二人組だ。よく似た顔立ちなので、双子かなにかだろう。


 彼女たちはグレイスの問いかけに、鼻を鳴らして答える。


「あんたに名前を教える義理なんてないわ! それより、最近さぁ……あんた、ちょっと調子乗ってない?」

「姉様の言う通りよ。マジでロアン様と一緒にいること多すぎんだけど。距離も近すぎだし」

「ただ生徒会手伝ってるだけの一年が、ロアン様の隣に立つとか、ちょっと意味分かんないんだけど?」


 笑っているのに、その目は刺すように鋭い。


 グレイスは相変わらず顔には怯えたような表情を貼り付けつつ、ゲームの彼女通り、唇をわななかせながら弱々しく声を上げる。


「け、けっして、そ、そんなことは……」

「へぇ、否定するんだ? じゃあさ、どうしてあんたばっかりロアン様に構われてるわけ?」

「……」

「ねぇ答えてよ。黙ってると余計ムカつくんだけど」


 ぐっと肩を押され、背中が植え込みに当たる。

 逃げ道がない。


「返事は? 一年のくせに、黙ってれば許してもらえるとでも思ってるの」

「……ごめんなさい」


 小さな謝罪がグレイスの口から溢れ――そして、その時が来た。


「あれぇ? グレイスの忘れ物届けに来たら、とんでもねぇもん見ちまったなぁ。……で、なんの話してんだ?」


 明るい声が、暗がりを裂いた。

 ふと彼女たちが振り返ると、夕日を浴びたロアンが立っていた。


 制服の上着を肩から半分落とし、手をポケットに突っ込んだまま。

 いつもの柔らかい笑み……だが、その奥にある瞳だけが鋭い。


 彼の言葉を真実だと裏付けるように、ロアンの手には、グレイスが予め生徒会室の机の上にあえて忘れてきた、ペンケースがあった。


「もしかしてもしかしなくとも、グレイスの悪口か? ……やめとけよ。気分悪ぃからさ」

 

 言葉は軽く。

 けれど声音は、まるで別人のように冷え切っていた。


「ロ、ロアン様っ……! ち、違うんです! 私達、ただ……」

「ただ楽しく話してた? それ、グレイスの顔見て言えんの?」

 

 女子が慌てて、助けを求めるようにグレイスを見る。だからグレイスは無理やり顔を歪めて作り笑顔を浮かべる。

 しかし、ロアンはその無理をした笑みをひと目で見抜いた。

 

「これが? お前らには笑ってるように見えるって? ……俺には、無理やり笑わせてるようにしか見えねぇけど」


 ロアンは歩いているだけなのに、植え込みに影が落ちるほど気配が鋭かった。

 淡々とした声が、植え込みの暗がりを震わせる。


「最低だな、お前ら」

「っ……!」

「ロアン、様……」

「さっさと行けよ。んで俺の視界から消えろ。今すぐ」


 軽く笑っているのに、それは怒りを隠すための薄紙のようだった。

 女子たちはその一言で血の気が引き、逃げるようにその場から消えた。


「……おい、グレイス。大丈夫か?」

 

 その途端、ロアンが近づいて、グレイスの顔を覗き込む。

 彼の表情は、さっきの冷えた光とは違う――心底心配している、本物の優しさ。


「へ、へへ……だ、大丈夫……だよ……」


 笑おうとするが、喉の奥が震えて声にならない。そういう演技をする。両膝もかすかに震わせる。


「お前……顔、真っ青じゃねぇか」

「だ、だいじょ……ぶ……」


 言い終える前に、ぐらり、と身体を傾かせる。

 ごく自然に。


「あっ……」

「おいっ!」


 ふらつく一歩は、計算された弱さ。

 それでもロアンには本当に崩れ落ちたように見えただろう。

 ――まるで誰かを彷彿とさせるような。

 

 ロアンは素早く腕を伸ばし、倒れ込むグレイスを抱きとめる。

 胸板に触れた瞬間、彼の心臓がどくん、と強く跳ねたのがわかるほど近い。


 そんな彼の熱を求めるように、グレイスは【顔をロアンの胸に押し付ける】と、ヒロインとしての感情を小さく吐露する。


「……本当はね、怖かったんだ」


 ぽつりと落ちる本音。

 だが次の瞬間には、またあの作り笑顔を浮かべる。


「でもでも、ロアン様が来てくれたから……平気、だよ?」

「……バカ」


 掠れた声でつぶやいた直後、ロアンはグレイスを強く抱きしめた。


「ちょ、ちょっとロアン様!?」


 腕に入る力は、本気で守ろうとする者のそれだった。

 温度が高く、息づかいが荒く、必死で。


「あいつら……ファーヴェル家の双子、ミレナ とミリナ姉妹だったな。後で俺がきっちり言っとく。二度とお前に手ぇ出さねぇように」

「だ、大丈夫っ! 本当に、それは大丈夫だから!」

「けどよ」

 

 ロアンの声が、少し震えていた。


「俺は、お前にこんな……怖ぇ思い、させたくねぇよ」

「このくらい、次は自分で対処できるから!」

「今だって出来てなかったろう! なのに次なんて」

「こ、今回はちょっと油断しただけだから! 本当に大丈夫だって! だって私は……【こんなことで、壊れるわけにはいかないから】」


 それは、ロアンの心に最も刺さるだろう言葉。

 同時にグレイスの胸も刺す言葉。


 ――それでも、言わなければならない。


 これは、ロアンの守れなかった……俺が原因だったんだ、という構造を本人に思い出させるために最適なのと同時に、彼の好感度を上げる選択肢。


「……っ!」


 ロアンは衝動のまま、さらにグレイスを抱き寄せた。


「ちょ、ロアン様! 痛い! 苦しいっ!」

「うるせぇ……今は黙ってろ」


 掠れた声に、彼の本気が滲む。


 今度こそは、何があっても俺が守る。

 この俺が。

 俺だけが。

 ひとり言のように、ロアンはグレイスを抱きしめながら、そう呟いた。


 グレイスは知っている。

 守りたいと思っていながら、彼は明日にはまた、何食わぬ顔で書類の束を押しつけるのだ。

 それがどれだけの負荷を与えるか、一度経験しているロアンは知ってあるはずなのに。

 

 この男は無意識に壊そうとする。

 守るべき己の腕で。


 だからこそアレクはロアンに最も心を許し、許したが故に最も彼に深く心を刺された。

 ならばお返しに、私も刺してあげる。この手で直接。


 そしてグレイスは彼の胸の中で静かに嗤う。


 これで三人目――。

 知らない間に、彼らはより深く、嵌っていく。



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