35.ロアン編:【舞台裏で交わる視線】
セヴランの庇護イベントの二日後。
その日は、学園祭で、美術部と演劇部が合同制作する劇の調整役を行うことになった。
どうも職人肌の生徒が揃う両部では、方向性の違いで現在一触即発になっているという。
本来ならルキアが担うはずの案件だったが、急な外交対応が入り、『場を和ませつつまとめられそうな人物』としてロアンが選ばれた。
そして【ロアンを手伝う】の選択肢を選んだグレイスは、ゲーム通り彼に同行することとなった。
◆
「……やれやれ、また大変な役回り任されたなよなぁー。ま、書類と睨めっこしてセヴランに怒られるよりいいけど!」
廊下を歩きながら声をかけてきたロアンに、グレイスは少し困ったように微笑む。
「ですが、それだけそういった方面にロアン様が期待されてるということでは?」
その丁寧口調に、ロアンは首をかしげた。
「ん? なんか……グレイス、距離できてないか?」
「え?」
「いや、今まで二人だけで話してた時の方が、もっと自然だったろう? いきなりルキア達の前みたいに固くなるとか……熱でもあんのか?」
――来た。
グレイスはもう一つのイベントの気配を感じ、ロアンに分からないよううっすらと笑う。
実は悪口を言っている女子生徒から庇う前段階にあたるこの小イベント【舞台裏で交わる視線】、ロアンの場合だけはもう一つ別の【特別な口調】が付随する仕様となっている。
それはこの世界でも同じらしい。
グレイスは表面では少し戸惑った表情を作る。
「……最近私思ったんですけど、ロアン様の前でちょっと肩の力、抜きすぎだったのかなぁなんて思って。あ、いや、これまでも他の人がいる前ではちゃんとした口調使ってたし、やっぱり、先輩相手にあの口調はないかなぁなんて思っちゃったりなんかして」
「グレイス、お前……」
「だから実は、ロアン様は優しくて癒えなかっただけで、本当は仲良しオーラ出しまくって気軽に話す私に迷惑だって思ってたんじゃないかって……」
「迷惑なわけないだろ!?」
グレイスのセリフに、食い気味に否定するロアン。
「むしろ俺は、気楽に話してくれるお前のこと、めっちゃいいなって思ってたんだけど!」
「でも……本当にいいの? 怒らない?」
「怒んねぇって!」
その反応に、グレイスは【恥じらいを含んだ微笑みを返す】。
その笑顔に明らかにドキッとした顔を見せつつ、ロアンはわずかに上ずった声で続ける。
「だから、さ。二人の時だけはそのままでいてくれよ。……その方が俺も嬉しいから」
「……分かった。じゃあロアン様がそう言うなら」
誰も周りにいないという理由で、【砕けた口調に戻る】を選び取るグレイス。
それだけでロアンの胸は、彼自身気づかぬまま熱を帯びていったようだった。
これで好感度はまだ上がった。
◆
美術室の前に着くと、すでにピリついた空気が漂っていた。
「背景の色味が全体コンセプトと違います!」
「コンセプトコンセプトって、さっきからそれしか言わないじゃない!」
「そっちこそ、要求が多すぎ!」
演劇部と美術部の言い合い。
どうも背景の色味をめぐって、意見が完全に割れているらしい。
そんな中、ロアンが険悪な空気をものともせず一歩前に出て柔らかく微笑んだ。
「おーいみんな、ちょっと深呼吸しようか。どっちの意見も、ちゃんと大事だろうからよ」
その声が出た瞬間。
「ロアン様っ!?」
「助けてください先輩、もう無理で!」
両部の部員たちの緊張が一気にほどけ、数名がロアンに駆け寄った。
まるで救世主を見るような目で。
なるほど……確かにロアンは慕われているようだ。
グレイスは心の中で冷静に分析する。
「背景が暗すぎるって演劇部が文句つけてくるんです! でも、この色味じゃないと舞台の世界観が壊れるんですよ!」
「そっちこそ! そのままじゃ演者の表情も動きもが完全に沈むの! 役者が見えなきゃ意味がないでしょう!?」
「世界観が崩れたら、ただの安っぽい舞台になるんです! 分かってない!」
「私たちが死んだらどれだけ動いても映えないの! そっちが分かってない!」
火花が散る勢いの言い合い。
しかしロアンは一歩前に出て、その場全体に聞こえるように努めて明るい声を上げた。
「なぁみんな、ちょっとだけ聞いてくれるかー?」
それだけで、場の全員がロアンに注目する。
「みんな、自分の良さを守ろうとしてるだけなんだよな。だからまず、お互いに責め合うのはやめないか?」
その一言で空気が一度揺れ、言い合っていた生徒たちも口をつぐむ。
それを見てロアンはにかっと笑った。
「演劇部も、美術部も……どっちも大事にしてることがあるのは分かってる。だったらさ、みんなで落としどころを探すしかないんじゃないか? 俺で良かったら……っても俺、みんな知ってると思うけどあんま頭良くないから、参考になる意見出せるか分かんねぇんだけどな」
その瞬間、場の空気が一変したのが分かった。
「もう! ロアン様、そう言うんなら、俺が最後までちゃんと考えてやるー! くらい言ってくださいよ!」
「そうですよロアン先輩。まったく、先輩は頼りになるんだかならないんだが」
「いやだから、頑張って考えてはみるって言ってんだろ?」
「いいですよ、先輩に頼むとろくな案出てこないだろうから」
「こいつ、言ったな!」
彼を取り囲む生徒達。
皆の顔に浮かぶ明るい笑顔。飾らない性格。
この飾らない性格が、ロアンを人気者たらしめている要因なのだろう。
――その内面は、本性は、それとは真逆の男だというのに。
その証拠に、先ほどロアンはちらりとグレイスへ視線を投げていた。
そこには、『お前ならなんとかしてくれるだろ?』と告げるような、無意識の信頼があったから。
けれどグレイスは感情を悟られないよううまく笑って誤魔化し、この場で最良の選択を取る。
【「あ、あの、……少し、提案があります」】
グレイスの控えめな口調に、全員の視線が集まる。
「見たところ、背景の暗さをすべて変える必要はないと思うんです。例えば、中央部分だけ少し明度を上げて、周囲はそのままの深い色を残す、というのはどうでしょうか?」
美術部がハッとする。
「中央だけ……? そんなこと、は、確かにできますけど……」
グレイスは自分の言葉に補足するように続ける。
「舞台で最も視線が集まるのは中央です。そこが少し明るければ、演者の動きも表情も沈みにくくなります。逆に、周囲が深い色のままなら、世界観は崩れないのでは、と……」
演劇部の子も、肩の力が抜けていく。
「中央が見えれば最低限なんとかなる……」
「背景の雰囲気も維持できるかも……」
と、じわり空気が変わる。
ロアンはほっとしたような笑みを浮かべ、グレイスのほうへ優しく視線を向ける。
「グレイスの案、なんか分かんねぇけどすごくいいと思うぞ!」
その声には、彼女がいてくれてよかったという無自覚な依存の色が含まれていた。
しかしそれには気づかない他の生徒たちは、次々と頷き始める。
「その案なら……うん、やれる!」
「世界観も壊れないし……演者もちゃんと見える!」
「さすが一年生にして生徒会役員に選ばれた子だ」
「そんなに褒められると、恥ずかしいです……」
「照れてるの? 可愛いのね、グレイスさんって」
ここでのグレイスは、周囲の生徒が好ましく思える謙虚で有能なグレイスだ。
ロアンは、皆がグレイスを褒める声を聞くたびに、まるで自分のことのように誇らしそうに笑っていた。
「ほらな、俺が選んだ子はすげぇんだよ」と言わんばかりに。
けれどロアンはそうではない、本当は『とっつきやすくて明るい少女グレイス』を知っている。
彼しか知らない、特別なグレイス。
グレイスはロアンを見つめ、一瞬彼にだけ見える角度で【無邪気な笑顔を向ける】。
するとロアンの瞳には、特別なグレイスを知るのは自分だけだと言わんばかりのわずかに歪んだ独占欲が見えた。




