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30.【嫉妬と陰口】



 特待生として慕われ始めたグレイス。

 だが、光が強くなればなるほど、影も同じだけ濃くなる。


 そこで起こるのが、他生徒からの嫉妬と陰口である。



 最初にそれを感じたのは、学年問わず【希望者のみが参加する講義に出席する】ため、特別教室へ続く廊下を進んでいる時だった。


「ねぇ……最近のグレイスさん、ちょっとすごすぎませんこと?」


 背後で交わされる、聞こえるか聞こえないか分からないほどの大きさのひそひそ声。

 称賛の響きをわずかに含みながら、しかしそこに混じる棘をグレイスは聞き逃さない。


「確かに優秀ですけれど……なんだか、全部完璧というのは逆に怖くありませんこと?」

「分かりますわ。特待生だからと張り切りすぎではと、私も思っていたんですの。生徒会の仕事も、全部自分でできますからという感じですし」

「ルキア様に気に入られてるんですのよね。見るからに善良で、頑張り屋の生徒、ですもの。あれはやはり計算なのかしら」

「計算に決まっていますわ。本当に、ルキア様の好みそうな人格ですこと」

「それにしたって調子に乗りすぎですわよね?」

「ええ。ルキア様はお優しいから何も仰いませんけれど」


 グレイスは胸の奥で小さく息をつく。

 予想していた。

 どれだけ善意があっても、嫉妬は必ず芽生える。


「グレイスさん、いくら相手が二年の先輩だからっていっても、あんなの気にしなくていいからね」

「そうそう、自分たちには出来ないからって嫉妬してるだけだからっ!」


 しかし、グレイスの両端にいたクラスメイトが、すかさず後ろの彼女たちに聞こえるように大きな声でそう言ってくれた。

 そうすると、悪口を言った本人たちは気まずそうに俯くと、そそくさと特別教室へと入る。 


「ありがとうございますお二人とも。でも、私、気にしていませんから」


 ここでも彼女は優等生の顔で、けれどわずかに陰らせた顔で微笑めば、周囲の他の生徒たちもグレイスを庇うように声を上げる。


「あれだよね? あの子たちって確か、ルキア様の自称親衛隊」

「なんだよそれ、本当にただの嫉妬じゃないか!」

「大丈夫、私たちはちゃんと分かってるから!」

「皆さん……」


 グレイスは顔を上げる。

 微笑む前、ほんの一瞬だけ表情が、何も色のない無に沈んだ。けれどその刹那の影に気づく者は、誰もいない。

 グレイスにはすぐに作り物の柔らかな笑顔が戻る。


「ありがとうございます。皆さんの優しさが、私、本当に嬉しい!」


 この笑い方、この言葉で、彼らのグレイスへの好感度は更に跳ね上がったのが分かった。


 しかし心の中では、グレイスはイベントの予兆を感じ、静かに微笑んでいた。


 嫉妬が起こるのは必然だ。

 そしてこれこそが、グレイスの待ち望んだ状況。


 彼女たち二人は、後のルキア攻略に欠かせない人材だ。

 その二人を利用する形で、ルキアの心を揺らがせることになるのだから。



 翌日の昼食終わり。

 

 【中庭で読書をする】を選択したグレイスは、ゲームと同じく噴水近くのベンチに腰を下ろすと、持ってきた本を読み始める。


 すると予想通り、少し離れた席からグレイスのことを話す生徒の声が聞こえてきた。

 昨日とは別の生徒だが、その声にはやはり同じような嫉妬が混じっていた。


「ねえねえ、そういえばさ、また生徒会で褒められたんだって」

「もしかしてグレイスのこと?」

「そうそう! あのセヴラン様が昨日も、『グレイス嬢は優秀だ』って褒めてたって」

「なにそれ。私たちには何も言ってくれないのに、グレイスばっかり」

「……でもさ、あれって本当に実力なのかな。孤児院出身の子が、そんなに優秀って……ちょっと出来すぎじゃない?」

「じゃあもしかして、色仕掛けでもしてるとか?」

「セヴラン様相手に?」

「彼、ああいうのが、意外とタイプなのかもよ」

「だから私たちには靡かないのかもね。雑草みたいな子が好みだったら、薔薇や百合には心躍らないし」

「むしろセヴラン様がお綺麗な顔立ちだから、美しいものは見飽きてるんじゃない?」

「だけど、セヴラン様は完璧なお方なの。だから選ばれるのも完璧な子じゃないとおかしいわ」

「言えてるわね! あんな地味な子が隣に立ってるなんて、似合わなすぎるもの!」


 そう言って、二人は楽しそうに笑い合う。

 そして彼女たちのやりとりを聞いていたグレイスも、心の奥でふっと笑った。


 あの二人は確かセヴランのファンで、中でも過激派と呼ばれる人たちだ。

 冷たく無機質なセヴランを慕う理由が分からないが、確かに顔だけでいうのならば理解できなくもない。


 乙女ゲームの攻略対象なだけあって、三人ともすこぶる見た目はいいが、中でもセヴランは完璧すぎるほどの美麗さが際立っていた。


 しかし、これでセヴランルートがまた一歩前進した。

 彼女たちもまた、必要な存在だ。


 今は存分に好き放題言っておけばいい。

 そう思いながら、グレイスはもう用はないとばかりにパタリと本を閉じると、そっと席を立った。



 その日の夕方。


「なあグレイス、寮まで送ってってやろうかー?」


 生徒会室での仕事を終え、最後まで一緒に残っていたロアンが、グレイスにそう声をかけてくれた。


 ここで、ロアンの言葉に【嬉しそうに頷く】を選ぶと彼の好感度が5上がるが、十分好感度は満たしている。断っても下がることはない。


 それに今からはもう一つ、別のイベントを見る必要がある。


 だからグレイスは、【申し訳なさそうに手を合わせて謝罪する】。


 好感度が上がった気配はないが、ロアンが気分を害した様子もない。


 そのままロアンとは別れ、少しだけ生徒会室の書類の整理――時間稼ぎをした後、グレイスは部屋を出る。


 すると廊下を曲がる直前、二人の女子生徒が小声で話す場面に遭遇した。


「ねぇねぇ、私、さっきロアン様に会っちゃった! ロアン様、いつも私みたいな平民にも気さくに話しかけてくれて、超感激なんだけどっ!」

「やっぱロアン様半端ないわ。かっこいいし優しいし話しやすいし、推せるー」

「でも最近あの孤児院上がりの子とよく一緒にいるよね」

「あー、グレイスでしょう? ……生徒会会計だか知らないけど、何様って感じ」

「やっぱり? あんたもそう思う?」

「ロアン様って誰にでもあんな感じだから、勘違いしちゃったんじゃない? あの女、異性関係慣れてなさそうだし」

「逆に慣れてたりして。ほら、ああいう出自の子ってさ、知らないおじさんと……ってよく聞くじゃん?」

「ギャッハッハ! それ最高! 言われてみればそれっぽいわ! ウケる!」


 品性の欠片もない会話に、思わずグレイスの表情が歪む。

 彼女たちもまた、先の悪口を言っていた二人組と同じ。ただ推しているのは、ロアンという違いがあるが。

 

 このイベントを見るために、グレイスは好感度上昇の選択肢を蹴ってまでここにいる。

 後々、さらなる大きな好感度上昇イベントに繋がるのだ。+5など惜しくない。



 これで、三人それぞれのファンから悪口を言われる【嫉妬と陰口】イベントの導入部分が終わった。


 彼女たちはこれから、グレイスの舞台装置となる。

 たが、別に断罪される、もしくは退学させられる、ということはない。

 あくまでも彼女たちがグレイスの悪口を言っている、その場面を利用させてもらうだけ。

 

 そしてここから始めるイベントは、三人の恋愛段階を一つ進めるうえで欠かせないものだ。失敗するわけにはいかない。


「さて、ではまずは前哨戦。あの三人を軽く誘いましょうか」


 ――甘い奈落の入口へ。


 誰もいなくなった廊下で、グレイスは声にならない呟きを胸の内に落とし、まるで乙女ゲームのヒロインのように小さく微笑んだ。



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