2.始まりを告げる一通の手紙
その知らせは、ひどく風の強い日の、ひときわ大きな音と共に訪れた。
「グレイス! グレイス、どこにいるんだ!?」
薄くなった絨毯の廊下を、ばたばたと走る足音。
窓ガラスを揺らす風の音に混じって、聞き慣れた声が響いた。
「はいはい。そんなに叫ばなくても聞こえてるってば、アレク兄さん」
グレイスは抱えていた洗濯物の籠を床に下ろし、くるりと振り返った。
息を弾ませて駆け寄ってきたアレクは、頬を上気させて息を荒げている。
普段は落ち着いた色合いの深い青の瞳が、いつもより少しだけ輝いて見えた。
「聞いてくれ、グレイス。……決まったんだ!」
「なにが?」
「王立学園だよ! 特待生として入れるってさ!」
アレクは、くしゃりと手紙を掲げた。そこには蝋で押された学園の印章が押されている。
――ルクシア王国、王立ルクシア学園。
三年制のこの学園は、ルクシア王国の中でも最高峰の学び舎とされており、貴族だけでなく、才能があれば平民でも通うことができる。
中でも特待生になれるのは一握り。
それに選ばれたのがどれほど特別なものなのか、世間に疎いグレイスでも知っていた。
「……え、嘘、それ本物!?」
「本物だよ!」
「じゃあ、本当にあの学園に行けるの?」
「だからそうだって言ってるだろう!?」
「す、すごいっ!」
グレイスは、ぱあっと顔を輝かせた。
アレクとはグレイスが孤児院に引き取られてから、ずっと一緒に育ってきた。
血は繋がっていないが、彼女にとってアレクは、間違いなく兄のような存在で、けれど少しだけ異性として気になる存在だった。
そんなアレクが自分の手で掴んだ輝かしい未来だ。嬉しくないはずがない。
「やったね、アレク兄さん! 特待生って、あの、授業料とかも全部出るやつでしょ?」
「うん。衣食住も……全部面倒見てくれるらしい。勉学に励めるようにだってさ」
アレクは照れくさそうに後頭部を掻いた。
「僕みたいな境遇でも、やればできるもんなんだね」
「『僕みたい』とか言わないの。アレク兄さんが頑張ったからでしょう? 毎日寝る間も惜しんで勉強してたもんね」
彼が夜遅くまで図書室で本を読んでいたことも、文字が読めない子どもの面倒を見ながら自分の勉強も続けていたことも、全部知っている。
「何言ってるんだよ。グレイスだって僕に付き合ってくれただろう?」
「それはそうだけど、実際に学園に合格しただけじゃなくて特待生の枠を勝ち取れたのは、兄さんの努力の賜物だよ」
「ううん、僕だけじゃきっとできなかった。……グレイスが隣でいつも応援してくれていたからだよ」
ここでアレクはふっと真面目な表情になると、グレイスの名前を呼ぶ。
「グレイス」
「なぁに?」
「僕はもうすぐ、ここを出て学園に行くけど……いつかさ、君を必ず迎えに行くよ。ちゃんとした仕事をもらって、グレイスにも楽をさせてあげられるようにして」
その言葉に、グレイスの胸がドキリと高鳴る。
けれど彼女はそれを隠すように、アレクの肩をバシッと叩いてあえて茶化す。
「なにそれ、まるでプロポーズみたいじゃない!」
「ち、違うって!」
グレイスの言葉に、アレクの顔が真っ赤になった。
その反応が嬉しくて、同時に頭の先からつま先まで見たことがないくらいに赤く染まっていたので、グレイスは声をあげて笑う。
「冗談だよ、冗談。でも、アレク兄さんが幸せになるのが一番なんだからね。迎えなんていいから、自分のことを――」
幸せにしてね、と言いかけた言葉は、強い風にさらわれた。
その時のグレイスは、信じて疑っていなかった。
アレクの未来が、この王国のどの貴族の子息と並んでも胸を張れるものになると。
そして、彼の優しさや真面目さが、きちんと報われる世界だと。
――その信じたものが、どれだけ残酷な形で裏切られるのかも知らずに。




