27.ロアン編【胸に宿る小さな灯火】
今日もロアンは、決められた時間に生徒会室へ向かわなかった。
……やっべぇな、そろそろセヴランに殺されるかも。いや、最悪返り討ちにすれば……と考えながら、そっと扉を開ける。
生徒会室は静かだった。紙を束ねる規則的な音だけが響いている。
中にいたのは、グレイス一人だった。
壁面のボードには、
『セヴラン・ルキア 本日家の事情で不在』
と書かれている。
あ、なら今日来なくてもよかったのか。
そう思いかけたが、同時にグレイスと会えた事実に胸が温かくなり、自然と声をかけていた。
「グレイスー! まだ残ってんのか?」
すると彼女は振り返り、【ふわりと柔らかく笑う】。
その瞬間、胸の奥がじんわり熱を帯びた。
「うん。もう少しだけ頑張ろうかなって」
「そっか! いやぁ……ほんとお前すげーな! 俺なんて全然うまく出来ねぇってのに」
するとグレイスは肩をすくめ、冗談めかしながら言う。
「ほんとそれ! ロアン様の机に積まれた山、邪魔すぎなんですけどー。 あまりにも邪魔だったから、一個山減らしちゃったよ」
「マジ!?」
慌てて自分の机を見ると、確かに昨日まであった書類の山が一つ消えている。
「え、あの量、終わらせたのか? 一人で?」
「うん」
「た、大変だったんじゃねぇか?」
ロアンなら、一週間かけても半分も終わらない量だ。
それを、目の前の少女は一日で片付けている。
「……なんか悪ぃな」
バツが悪そうに頭を掻くロアンとは対照的に、グレイスは本当に気にしていないような笑顔で言った。
「別にあれくらいなんてことないよ。それより、ロアン様の役に立てたなら嬉しいなっ!」
ぱっと花が咲いたような笑顔。
瞬間、胸に何かが突き刺さる。その顔に、かつての友の顔が重なった。
――アレクも、初めはそうだった。
あなたの役に立てて嬉しいです、そう言わんばかりの彼の笑顔が曇り始めたのはいつからか。
ロアンが彼の能力に甘え、仕事を任せれば任せるほど自分が楽になり、そしてその結果アレクは――。
けれどグレイスは違う。
薄紫の瞳の奥にある強さは、アレクよりもずっと折れにくい芯を感じさせた。
だからだろうか。
気づけば、ロアンの手は別の書類へ伸びていた。
「なぁ……ちょっと、これも……見てくれないか?」
声が震えないように無意識に抑えていた。
「いや、その……別に押し付けるわけじゃねぇんだぞ? ちょっとだけ……手伝ってほしいだけで……」
胸の奥には、まだ怖さが残っている。頼れば、また誰かを追い詰めるかもしれない。
そんな予感が喉に引っかかる。
けれど――。
【「もちろん! どんなことでも、このグレイス様に任せなさい!」】
彼女はその不安を吹き飛ばすように、明るく笑った。
その言葉に、笑顔に、ロアンの心が大きく揺れる。
……ああ、良かった。きっとグレイスなら大丈夫だ。
アレクの細い体を抱きしめた日の痛みが、一瞬だけ胸を刺した。
だがその痛みは、すぐにグレイスの頼もしさに溶けていく。
――アレクより強い。
この子なら折れない。
自分が今度こそ守るに値するかもしれない少女。
なら、少しくらい頼るのは……大丈夫だよな?
その考えが自然に浮かぶ自分が、少し怖い。
それを誤魔化すように、そして本心から、
「でもさ、なんか困ったことあったらいつでも言えよ? なんせ俺は――」
「騎士だから、でしょ? もう何百回も聞いたよ」
「ははっ、だよな」
茶化されたことが嬉しくて、思わず笑ってしまった。
……こういうやりとり好きだな、と考えながら。
そんなことをロアンが思っているとは知らないであろうグレイスは、書類を確認しながら、満面の笑みを浮かべている。
その笑顔を見て、ロアンは密かに誓う。
この笑顔を二度と曇らせない。
かつて壊してしまったアレクの分まで、自分がグレイスを守り、幸せにする――そう強く思った。




