19.セヴラン編:『冷徹』な期待
アレクが生徒会に加入してから、四カ月。
その働きぶりは、確かに目覚ましいものだった。
セヴランは机上の書類をひとつ手に取り、淡々と目を走らせる。
誤字もなく、配置も整然。
要点の抽出も無駄がない。
――やはり使える。
「アレク、次はこれだ」
新たな資料をアレクへ差し出す。アレクは無駄口を叩くことなく深く礼をし、すぐに席へ戻った。
けれどその動作は、以前よりほんのわずかに鈍く見えた。
ちらりと確認すると、ペンを握る指先に、微かな震え。
ページをめくる速度が、ほんの少しだけ遅い。
だがセヴランは、その変化にほとんど意味を見出さない。ただ数値の変化として認識するだけだった。
――作業速度が、平均値より10%ほど落ちているか?
しかしその程度なら、この男の処理能力に問題はない。
「アレク、こちらの案件も同時に進めておけ。期限は明朝だ」
視線を自身の書類に戻しそう言い放つと、アレクは一瞬だけ、呼吸を詰まらせたような声を上げた後、
「……了解、しました」
小さく声を揺らして答えた。
しかしセヴランにとって、それは意味のない揺らぎだった。
「理解速度が落ちている。調整しろ。処理できる限界は自分で把握しているはずだ。君は極めて合理的に仕事を己に割り振れる人間だ」
「……はい」
返事までに一拍の間があった。
セヴランはその間すらも即座に切り捨てる。
なんの問題もない。やはり作業可能域の範囲内だ。
それが彼の結論だった。
すると、ロアンが横から顔を出し、アレクの背中を覗き込む。
「おい、アレク。なんかビミョーに顔色悪くないか? だいじょ――」
「ロアン、邪魔だ。貴様の無駄な言葉でアレクの作業効率が下がる」
「うわ、相っ変わらず冷徹セヴラン様は冷てぇ!」
ロアンが文句を言っても、セヴランは取り合わない。
アレクの指がほんのわずかに震えていようと関係ない。
睡眠不足だと言わんばかりに、アレクの青の瞳がやや陰っているのも些細なことだ。
重要なのは――まだ動けるかどうかという事実と、己の判断が間違っていないかということだけ。
彼が動けるのなら、セヴランがアレクに仕事を回すのは正しい判断のはずだ。アレクならこの程度の負荷は処理可能だ。
セヴランの視界には、疲れ始めた人間でも、弱音を飲み込む少年でもない。
生産性を維持する歯車。それだけが映っていた。
◆
その日の生徒会室の午後は、いつもより静かだった。
アレクが書類の束を両腕で抱えながら近づいてきた時、その足取りには確かなふらつきがあった。
机に置かれた書類に影が差す。
アレクの表情は青白く、目の下には薄い隈。
だがセヴランは、その顔を一瞥しただけで、すぐに視線を文字へ戻すと、ぱら、と紙をめくる。
いつもなら何の滞りもなく進む確認作業はしかし、今日はそうはならなかった。
「誤字が一つ。表の数値が十の位でズレている。集中が甘い。やり直せ」
淡々と告げる声に、情は一滴も含まれていない。
――いや、本人が自覚していないだけで、その声には確かに僅かな乱れが混じっていた。
アレクの精度低下を挽回可能な数値と認識しながらも、無意識に反応した微細な乱れだ。
それに気づき、アレクは一瞬、息を詰めた。
しかしそれだけではない。
肩がほんの少し下がる。それは明らかな疲労のサインだったが――。
セヴランはそれを事実として認識しつつ、アレクに追加で更に仕事を渡す。
この程度で崩れる男ではないはずだ。
「な、なぁ、セヴラン……」
後ろからロアンが小声で口を挟む。
「お前さ、もうちょっと優しく言っても……」
だがセヴランは眉一つ動かさない。
「甘やかしてどうする。ミスを許容するのは非常に不合理だ。アレクにはその能力がある。貴様にはない。それだけだ」
そう告げる彼の声は、どんな機械よりも冷たい。
「ロアン様、大丈夫です。それに、セヴラン様の言う通り、ミスは許されないことです。……すぐに直します」
アレクが弱々しく書類を受け取り、足取りも重く戻っていく。
その背にセヴランは何の感想も抱かない。
気づいていないのではない。
必要ではないと判断しているだけ。
アレクの顔色の悪さも、手の震えも、落ちた作業速度も、関係ない。
たとえ今のアレクでも、与えられた仕事を完璧に、合理的に終わらせるのに支障はない。
セヴランにとって、疲労という曖昧な状態は、判断を左右するには不確定要素が多すぎる。
判断材料にならないものは切り捨てる。
それだけの話だ。
その結果、アレクの負担は更に積み重なっていく。
だが、自らの判断に絶対的な自信を置くセヴランは、それがアレクの限界値を静かに踏み越えていく行為だと知ることはなかった。




