12.ルキア編:【理想】
翌朝。
正門をくぐって教室へ向かう途中、まだ授業までは時間があるからという理由で、【中庭へと立ち寄り花を愛でる】グレイス。
しかし、当然これもゲームでの選択肢に沿った行動だ。
【そのまま教室へ行く】を選ぶと発生しない、ある男との会話イベントを起こすためにグレイスは今、中庭にいる。
そして予想通り、グレイスの前に現れたのは――。
「やあ、グレイス嬢。今いいかな」
そこには柔らかな微笑みを浮かべたルキア・アウレリアンがいた。
「は、はい、もちろんです!」
なんの話なのかは明白だ。
それでもグレイスは、【わずかに不安げな表情を浮かべる】とこくりと頷く。
昨日セヴランの前で見せていた、冷静なグレイスとはまた違った姿。
ルキアの前では、素直に感情を表現する孤児院育ちの無垢な少女。これがルキアの好むグレイスである。
王子の前では、孤児院出身の健気な少女でいなければならない。
彼女のこの行動は功を奏し、ルキアはすぐに好ましい視線を向ける。
「ああ、そんなに緊張しなくていいからね。……話っていうのは、セヴランから君の話を聞いたよってこと。昨日の書類の処理、見事だったそうじゃないか」
「いえ、そんなっ! ……私なりに、頑張っただけで」
控えめに言うと、ルキアは首を横に振った。
「謙遜する必要はないよ。努力は、きちんと評価されるべきだ。特に君のように、出自に恵まれなくとも自ら道を切り開くことができる人はね」
グレイスは微笑みを貼り付けたまま、心の中でその言葉を転がした。
貴族社会では、孤児院出身の特待生など話題性の塊だろう。努力すればここまで来られるという分かりやすい象徴。
そしてルキアは、それを己の理想の物語に組み込みたいと考えている男だ。
「生徒会では、君のような人材を求めている。平民や孤児院出身であろうと、能力があれば上に行ける。――そんな世界を、僕は『今度こそ』作りたいんだ」
眩い光が散る熱を帯びた黄金の瞳で、ルキアは言う。
その瞳を、かつてアレクも見上げたのだろう。
眩しくて、眩しすぎて、目を逸らすことができなかった瞳。
その瞳に映っているのは、人ではなく理想だった。
そしてルキアは失われた理想を、失敗を、己の糧として、一歩踏み出したいと思っている。
――そんな世界を、私は『今度こそ』作りたいんだ。
この言葉が、それを証明している。
その一言は、刃のようにグレイスの胸を刺す。
ルキアにとってアレクの消失は、ただの前回の失敗に過ぎないのだ。
昨日のセヴランと同じだ。
彼にとってアレクのことは、トラウマでありながらも、既に終えた過去のこと。
「君さえよければ、ぜひ、生徒会の一員として、僕たちと共に働いてほしい」
重くて熱い、けれど真っ直ぐに向けられた期待。
アレクのことを考え、悔しさでグレイスの目に涙が滲みそうになる。
それでもこれは、彼らの心に踏み込むためのチャンスだ。
【「……こんな私で、よろしいのでしょうか」】
だからグレイスは、視線を落とし、少し震える声を出して攻略を進める言葉となる選択肢を選んだ。
「けれどまだ何も、私はできていません。ただの特待生で、孤児院出身で……」
「だからこそだよ」
ルキアが一歩、近づく。
距離が近い。瞳がまっすぐグレイスを捉えている。
「君は、努力してここまで来た。その事実が尊いんだ。……それに君の存在は、多くの人に、自分も頑張れば報われると示す光になる。僕の理想を体現したのが、まさしく君だ」
王子様らしい、眩しい笑顔。
それは、前世を思い出す前のグレイスの胸をときめかせただろう。
貧しい少女が、優しい王子に見出されて、手を取られる――物語として、これほど甘美な状況はない。
けれど今のグレイスには、別の想いしか湧いてこない。
――その光は、誰かの影の上に成り立っているのだ。他ならぬ、アレクの上に。
それでも、グレイスは【無垢な少女のように笑う】。
「……はい。私でよければ、微力ながら、ルキア殿下……あ、えっと、ルキア様、の、お力になれればと思います!」
わずかに震える声で。
健気で努力家のヒロインとして。
「ありがとう、グレイス嬢」
ルキアの言葉が、心地よい音として空気を震わせた。




