11.セヴラン編:【選別】
ゲームに関する選択肢、またはイベント名は【】をつけています。
その日の放課後。
グレイスが帰り支度を済ませ席から立ち上がると、
「グレイス嬢」
教室の扉のところから、低い声がした。
振り向くと、そこに立っていたのはセヴラン・ヴァルデンだった。
彼の登場により、教室の空気が一瞬で張り詰める。
「セ、セヴラン様……?」
「副会長が……」
「なんで一年生の教室に」
ざわつく周囲を一瞥したセヴランは、不快なノイズ音に僅かに眉根をひそめる。すると生徒達は途端に水を打ったようにピタリと静まる。
それを確認した後、彼は静かにグレイスに視線を戻し、言った。
「少し、手を借りたいことがある。ついてきてくれ」
「はい、もちろんですセヴラン様」
グレイスの心臓が少しだけ早く打つ。
遂に来た。ここは共通ルートの始まり。
そして、セヴランルートの始まりでもある。
ゲームでも、こうやって幕を開けた。
これからグレイスは生徒会室で、とある試験を受ける。その結果、彼の信頼を得て、生徒会に勧誘されるのだ。
セヴランの前で取り乱すわけにはいかない。
特待生としての顔を崩さないように、グレイスは静かに息を整えた。
優秀だと思われる生徒を生徒会に勧誘するために、生徒会メンバーが新入生に声をかけることがある――このことは生徒達に広く知られている事実である。
なので教室にセヴランがやってきた理由を察した生徒達は、彼の後を追おうと教室を出ようとするグレイスに、期待と羨望の眼差しを向けた。
それを背中に感じながら、グレイスは緊張と期待と不安の入り混じったこの場のグレイスに適した表情を作ると、セヴランの後を追った。
◆
連れてこられたのはやはり生徒会室だった。
昨日も訪れた場所だ。
大きな窓から差し込む日差し。
壁一面を埋め尽くす書棚。
整然と並ぶ机と椅子。
けれど昨日と違うのは、アレクが何度も徹夜し、倒れるまで追い詰められたあの机――そこに再び、紙の山が無造作に積まれていること。
「座ってくれ」
セヴランが示した椅子に腰掛け、グレイスは周囲をさりげなく見渡す。
予想していた通り、今日は、彼しかいないらしい。
ルキアも、ロアンもいない生徒会室。
現在生徒会のメンバーはこの三人しかいない。優秀な人材であれば欲しいと思っているだろう。
かといって、無能な人材を投入するのは非合理的だとセヴランは考えているので、セヴランの思うレベルに到達する生徒がなかなかおらず、三人だけで仕事を回しているというのが今の状況だろう。
……いや、ロアンは机上での実務においてはむしろ無能だ。
だがヴァルデン家とグラディス家は昔から親交のある間柄なので、両家の関係性維持のために、無理やりロアンを生徒会メンバーに捻じ込まれた、とゲームのセヴランルートで聞いたことがあった。
だからロアンが生徒会に入っているのかと納得した覚えがある。
とすれば、やはり人員補充は必須であり、ゲーム通りであればグレイスにあてがわれる役職は、アレクも任命された会計だろう。
「グレイス嬢、君の成績はすべて確認した。学科はもちろん、算術や記述の試験でもトップクラスだ。まさしく特待生としてふさわしい」
セヴランは淡々と言いながら、机の上の一番上の束に手を伸ばした。
「だが、実務は別だ。机上の勉強と、実際の仕事は違う。そこで」
どさ、と書類の束がグレイスの前に置かれる。
グレイスは即座にゲームで得た知識を思い出す。
ここは、一番最初に選択肢が出る場面。
【よく分からないまま首を傾げる】。
【一生徒が見てもいい書類か尋ねる】。
グレイスは勿論、二つ目の選択肢を選ぶ。
「私が重要な書類に目を通しても大丈夫でしょうか」
するとセヴランの片眉がほんのわずかにだけ上がった。
彼の好感度が少しだけ上昇した証拠だ。
セヴランはすぐに眉の位置を元に戻すと、小さく頷く。
「いい質問だ。これは一般生徒向けの案内文書と、行事の報告書だ。格式ばったものではない。したがって、まだ一生徒でしかない君が見ても何の問題もない」
視線だけを動かして、グレイスは上の一枚を見た。
確かに、誰が読んでもいいような行事報告の草案らしい。
「ではグレイス嬢。誤字脱字の確認と、文体の統一。冗長なところを簡潔に。校閲と、簡単な整理だ。時間は特には設けない。やってくれ」
セヴランの言葉に、内心グレイスは思う。
ゲームの時にはあまり感じなかったが、現実世界で改めて彼と対峙すると、セヴランは身勝手な男だった。
やってくれるか?
と、尋ねるような言い方でなく、断るはずがない、やるのが当然だという態度。
先程教室に呼びに来た時も同様だ。
しかしグレイスは、
「はい」
と反論することなく従順に頷いた。
ゲームではここでも選択肢が出ていた。
【素直に従う】か、【セヴランの物言いを嗜める】か。
だがここでごねることは時間の無駄、すなわち二つ目の選択肢を選んだ時点でセヴランには非合理的な人間だと切り捨てられ、ゲームオーバーになる。
グレイスの言葉を聞いたセヴランは、自分の机へと向かい仕事を始めた。
しかし、そこそこに仕事をやってはいけない。
普通にこなせば、ただの優秀な生徒で終わる。
だが、グレイスがなりたいのは、少し優秀な一般生徒ではない。
アレクと同じくらい――できれば、それ以上にできるところを見せつけ、彼らの記憶に刻み付けなければならない。
グレイスは羽ペンを取り、インク壺に軽く浸し、即座に一枚目に目を走らせる。
言い回しの重複。主語と述語のねじれ。不要な修飾。
……ここは簡潔に。ここは読者目線では分かりにくいから。
前世でレポートや論文を読み書きした記憶が、じわりと頭をもたげる。
ペン先が動き始めると、迷いはなくなった。単なる文書の整理。
けれど、これは試験でもある。
乙女ゲームのヒロイン補正があるなどと、甘い期待は持っていない。
グレイスは真剣に取り組む。
セヴランの目が、じっと伺っている気配がする。
けれどグレイスはその視線に臆することなく、一枚、また一枚と処理していく。
書類をめくる音と、ペン先が紙を擦る音だけが、生徒会室に満ちていた。
そして。
「終わりました」
どれくらい時間が経っただろうか。
時計を見ると、学園の施錠時間までにはまだかなり余裕があった。
グレイスは整えた書類の束を揃え、セヴランの方へ差し出す。
「確認する」
セヴランは書類を受け取り、ぱらぱらと目を通していく。
最初の数枚、流し読みのような視線だったものが、途中からわずかに動きを止めた。
冷たさを纏う灰色の奥の瞳が、細くなる。
ページを戻す。もう一度読む。
グレイスは表情を変えないように気をつけながら、その様子を見ていた。
「なるほど」
しばらくして、セヴランは静かに息を吐いた。
「誤字脱字の指摘はもちろん、文章の構造も整えられている。余計な修飾も削られているし、情報の順番も読み手の理解しやすい形に変わっている」
「ありがとうございます」
「想定していたより、ずっと早く、精度が高い。君はただ試験の成績がいいだけではなさそうだ」
感情なんて不要だと切り捨てるあのセヴランの淡々とした口調の中に、わずかな驚きと、興味が混じる。
それでグレイスは確信する。
セヴランルートの第一段階はクリアしたのだと。
密かにほくそ笑むグレイスに対し、セヴランは言葉を続ける。
「グレイス嬢。成績優秀者の中から、生徒会メンバーを選出していることは知っているな」
「はい」
「生徒会は、行事の企画運営、校内の調整、王家や各機関との連絡窓口など、多岐にわたる仕事を担っている」
セヴランは机に指を軽く置き、一定のリズムで叩いた。
「正直かなりの多忙を極めるが、現在人手が足りていない。しかし私は無能を置く気はない。だが、君には私が認めるほどの価値がある」
「……それはつまり私を、生徒会に、ということですか?」
グレイスは、わざと驚いた表情を作った。
本当は知っている。
ゲームでも、ここでセヴランはヒロインに声をかけ、生徒会への道筋をつける。
「そうだ。ただし、最終的な決定は会長のルキアに委ねられる。私は、彼に候補者として君を推そうと思っている」
グレイスは真剣な表情で、考えるように胸に手を当てた。
ここでも選択肢が出ていた。
【私なんてまだ入学したばかりですし……】と一歩引くような素振りを見せると、ゲームオーバーにはならないがセヴランの好感度が下がる。
無駄を嫌うセヴランらしい。
だからグレイスは、【何も言わず、けれど前向きに考えているように見せる】。
そんなグレイスに、満足げにセヴランが言った。
「今回の試験での仕事ぶりを見て、私の中での評価はかなり高い」
セヴランの声は冷静だが、その瞳は正確にグレイスを映している。
能力を測り、適性を測り、適材適所に配置したい――感情を一切排除した、合理主義者の目。
アレクもこうやって見られていたのだろう。
有能だから。
向いているから。
効率がいいから。
だから任せる。
だから頼る。
「もちろん、最終的に君が断るのなら、無理にとは言わない。生徒会の仕事は決して軽くはない。実際にそれで己の力の無さに潰された男が、半年前にもここにいた」
しかしそこにはアレクに対する罪悪感も後悔も、何もないように聞こえた。
なぜならアレクが倒れた時、この男が真っ先に考えたのは、自分の合理性に傷がついたことが何より許せないという苛立ちだったのだろう。
だから今度は見誤らないよう、アレクの時以上に慎重に試験をしている。
ゲームでの記憶とアレクの話、そして今のセヴランの顔と冷たい声から、グレイスは容易にその結論に辿り着く。
その事実に抑えがたい怒りがこみ上げてくる。
しかしグレイスは己の中から吹き出しそうな黒い感情を押さえ、【誇らしげに小さく微笑んだ】。
「分かりました。もし皆さまの――セヴラン様のお役に立てるのなら。私でよければ、生徒会のお仕事、お手伝いさせてください。私の有能さを証明してみせます」
セヴランの口元に、ごくわずかな満足げな弧が浮かぶ。
まるで、自分の合理がまた一つ、証明されたとでもいうように。
「君ならそう言ってくれると思っていた。ではルキアに君のことを話しておく。正式な話は、その後だ」
「はい。よろしくお願いします、セヴラン様」
グレイスは立ち上がり、深く頭を下げた。




