10.仮初の姿
入学して二日目の朝も、王立アカデミーの空はやけに青かった。
高い天井の食堂。
磨かれた床に、陽光が白く反射している。
昼食時になると長机には色とりどりの料理が並び、その前で色とりどりの制服が笑い合っていた。
貴族の子どもたちは、当然のような顔で慣れた手つきで銀のフォークを動かす。
平民出身の生徒は、少しだけ背筋を伸ばしてそれを真似る。
その中にグレイスもいた。
「ねえねえ、あの子がそうなんでしょ? 特待生の」
「孤児院出身なんだって? なのにあの成績って……」
ひそひそと囁く声が、耳に届く。
好奇心と、少しの警戒。
それら全てを、グレイスは気にしていないふりをした。パンを小さくちぎり、口の中で丁寧に噛む。
ゲームの中でも、ヒロインは常に目立つ存在だった。
特待生で、孤児院出身で、努力家で。
だからこそ、王子たちの目にも留まる。
グレイスは昨日のことを思い出す。
生徒会室でのお披露目。
――見るからにきらびやかな髪色の王子が優しい声で歓迎してくれたことも。
――黒に近い深い紺色の髪の男が冷静に評価を口にしたことも。
――赤毛の生徒が人懐っこい笑顔で手を伸ばして肩を叩いてきたことも。
あれは、ただの導入イベントに過ぎない。
本番は、これからだ。
と。
「グレイスちゃん、パン足りてる? これ、美味しいから食べてみなよ!」
同じクラスの女子が、皿を差し出してくる。
グレイスははっと顔を上げ、少し慌てたふりをして笑った。
「あ、ありがとうございますっ。美味しそうですね!」
「特待生なのに全然偉そうじゃないんだねー。ちょっと安心した」
「そんな。私、まだ右も左も分からないですし」
「てか私たち同い年だし、敬語とかいらないよ」
「そうそう、私も貴族だけど、そんなの関係ないから」
「そうだ、グレイスちゃん。この学園ってちょっと変わった決まりがあるの知ってる?」
「えっ、決まり……ですか?」
同級生の一人が、口元を手で隠しながら小声で説明してくる。
「うん。貴族とか平民とか関係なく、学生同士は基本的に下の名前で呼び合うってやつ。形式上は『家格で距離が生まれないように』って理由なんだけど……」
「実際はね、ルキア様が去年生徒会長になった時、気を遣わせたくないって言って作らせた慣習なんだって」
これはゲームでもあった慣習である。
身分の差など関係ない理想の世界を作りたい、ルキアらしい提案だ。
セヴランも能力第一主義なので彼が異論を唱えるはずがなく、ロアンは元から上下関係など気にしないので、賛同しても当然だろう。
だが、グレイスは初めて聞いたように戸惑いの声を上げる。
「え……でも、殿下や貴族の方を、下の名前で?」
「もちろん『様』はつけてもいいよ? 例えばルキア様、セヴラン様、ロアン様みたいに」
「けど家名でヴァルデン様とかグラディス様って呼ぶのは逆に失礼なんだってさ。ここでは家柄より個人を尊重する、っていう建前らしくて」
「ひえぇ……そんな決まりがあったなんて……」
「大丈夫、私達もまだ戸惑ってるから。生徒会の三人も、『気軽に下の名前で呼んでくれればいいよ』って言ってるらしいしね」
「だから同級生の私達も名前で呼んでいいし、敬語もいらないって話!」
「わ、分かった……じゃなくて、わ、分かりました……あ、違っ、その……」
そう言って慌てふためくふりをすると、皆が気を許したように大きく笑った。
「ごめんごめん、無理しなくていいからね!」
「あ、はい、すみません……」
「そうだよ、グレイスちゃんが言いやすい方でいいから」
「ありがとうございます!」
学園で、彼ら――ルキア、セヴラン、ロアン――この三人を追い詰めるためには、グレイス自身が疑われてはいけない。
目立ってもいい。
ただし、嫌われてはならない。
善良で、健気で、周囲に愛されるヒロインであり続けなければ。
少なくとも、彼らを落とし切り、グレイスが無事に卒業する、その瞬間までは。




