第63話:二人だけの世界
「へー、じゃあミリク先生に捕まってたから来れなかったんだー?」
「あー、まあな。話を聞けって引き止められてさ」
「……ふーん?」
「……………」
夜、夕食後のまったりタイムを過ごしている筈の時間、司羽はルーンに睨まれながら自室のベッドで絶賛正座中だった。結局あの後はその後の授業をまるまるサボリ、最終下校時間ギリギリまでミリクと話し込んで居たのだが、どうやらそれが原因で今のルーンはご機嫌斜めになっているらしい。先程までは笑顔で司羽にあーんをしてくれていた筈なのだが……。
「えっと……もしかして怒ってるか?」
「さてねー、怒ってないと思う?」
「いやー、さっきまでは全然気にしてないみたいだったし……」
「だって御飯は笑顔で食べた方が美味しいもん。司羽には私の御飯をいつも美味しく食べて欲しいの」
「それはまあ……美味しかったけどさ」
今日の献立は司羽の好きな鶏肉と野菜のシチューだった。ルーンの得意料理の一つでもあって、献立がそれの時は皆いつもよりも心なしか口数が少なくなる。司羽もすっかりルーンの料理にやられてしまっていると言う訳だ。そんな事もあり、ルーンもそこまで気にしていないと思っていたのだが。
「折角一緒の教室での授業なのに、司羽はいつまで経っても戻ってこないし。帰りのホームルームも終わって、司羽に放って置かれたのかと思って寂しかったんだよ? 帰りも出来るだけ待ってたけど、タイムセールもあるし、ミシュナも待たせるわけにはいかないし……少しでも一緒に帰りたかったのに」
「うぐっ……わ、悪かった。どうしてもしなくちゃいけない話があって……ミリク先生もそれがあったから俺を引き止めてたんだよ」
「真面目な話だったの? 珍しいね、司羽とミリク先生ってそういう話もするんだ?」
「……ああ、星読み祭でちょっとした役をする事になってさ」
「役って?」
司羽は少し考えた後、一応表向きの事でもある為ルーンにも言っておいた方がいいと判断した。黙っていても直ぐにばれるだろうし、一日まるまる使うらしいから予め説明しておかないと、ルーンが一日目を含めて予定を組みかねない。
「ちょっと一日目に護衛をな。相手はシーシナ共和国の大統領の息子さんだ」
「大統領の息子……? なんでそんなのに司羽が態々……まさか指名されたなんて事……」
「おいおい、そんなのって……一応相手はVIPだぞ。でもおおよそルーンの予想通りだな。今回の件は相手方から直々のご指名らしい。そんなの流石に断れないだろ?」
あんまりと言えばあんまりな言い草に司羽は思わず苦笑した。断れないと言うのは嘘だったが、ルーンも流石にそこは深く追求してこないだろう。司羽の言っている意味は分かる筈だ。しかしルーンは、表情に嫌悪感を隠さずに溜息をついた。
「はぁっ、司羽も人が良いんだから。私だったらそんな迷惑な相手は何があろうと即お断りだよ。大体私の司羽に護衛って生意気……、何様のつもりなんだろう。ミシュナやトワちゃん、ユーリアさんとかなら私も我慢出来るけど………ねえ、その人男色とかじゃないよね?」
「はははっ……今回だけだから我慢してくれ、男色ではないと思うしな。なんでも俺の気術に興味があるらしいから、護衛がてらに気術について聞いてくるつもりなんだろうよ」
そう言いながら司羽は内心ヒヤヒヤしていた。適当に理由をこじつけたが、あまりルーンの前で嘘は付きたくない。暴かれた後にかなり誤魔化すのが面倒になるし、何より誤魔化している事自体が気分の良いものじゃない。必要な事とは言え、少し心が痛む。
「…………仕方ない、か。一日だけなんでしょ?」
「ああ………悪いな。ルーンがそういうの嫌だって分かってたんだけど、勝手に決めてさ」
「ううん。もう星読み祭まで時間もないし、早く返事をしないといけないもんね。」
「そう言ってくれると助かるよ。……四日目からは絶対に空けるからさ」
「うん、信じてるよ。司羽は私の事忘れたりしないもん」
司羽の言葉に素直に理解を示してくれる辺り、ルーンは本当に出来た彼女だと思う。これは四日目以降はルーンの我儘にも大分付き合ってあげなければならないなと、心の中で決めておく。
「それじゃあ、それはともかく私に寂しい思いをさせた分の責任を取ってもらわないとね?」
「えっ……許してくれたんじゃ?」
「それとこれとは話が別っ!! はいっ、膝枕してあげるからこっちに来なさい」
「………それでいいのか?」
「だって司羽、これ好きでしょ?」
「……………」
ぽんぽんっ
ルーンの聞き取り調査にも一段落つき、正座で向かい合っていたルーンが脚を崩して女の子座りになると、足を隠すスカートをズラして、そのまま自分の白く細い太ももをポンポンと叩いた。ルーンの膝枕は初めてではないし、好きかどうかと聞かれれば………うん、好きなんだけれども。何故ルーンにそれがバレているんだろう。
「ふふっ、何故バレてるのかーって思ってる?」
「……うん」
ついでに言えば、今考えている事が筒抜けな理由も気になる。なんだか段々ルーンが司羽に対してだけ気術士じみた力を持って来た様に感じる。いや、気術を使っている訳ではないのは分かっているが、例えとして。
「んー、愛のなせる技かな? 前回膝枕した時に司羽がちょっとノリノリだったし」
「えっ……まじで? そんな風に見えた?」
「うんうん、そう見えた。ほら、二人っきりなんだから恥ずかしがらないのっ!!」
ぽんぽんぽんっ
司羽が自分のポーカーフェイス(照れ隠し)に対して完全に自信を失っている傍ら、ルーンは焦れた様にもう一度自分の膝を叩いて催促した。あの様子を見ると、どうやらルーンも膝枕をするのが気に入ってしまっているらしい。……じーっと送られるルーンの視線、司羽は遂にそれに耐え切れなくなって、ルーンの膝の上に頭を乗せた。瞬間、ふわり、とルーンの甘い匂いが司羽の頭を包み込む。
「どう? 安心する?」
「ああ、気持ちいい………けど、年上の威厳って何だったんだろう……」
「司羽は考え過ぎだっていつも言ってるでしょ? 格好つけるだけが彼氏じゃないよ?」
「いや、分かってるんだけもふっ」
「はーい、考えるの禁止でーす!! 口答えも禁止でーす!!」
「……むぐ」
司羽の言葉を遮る様に、ルーンに突然手で口を塞がれた。ただ口を抑えられただけなので、喋ろうと思えば喋れるのだが、ルーンのその手を払うことは司羽には出来ない。仕方なしに諦めて、視線をルーンの顔の方へ向けると、ルーンはなんだかとても上機嫌な様子だった。
「むーむぐ?」
「んー? 別にー、ただちょっと……幸せだなって」
「………ふむん」
どうやらルーンには司羽が何を言っているか分かるらしい。イントネーションや雰囲気で掴める所もあるのだろう。
「あれから半年かー……って、なんかこの前もこんな話したね?」
「ほーむっむぐ?」
「うん、多分ね。私もちょっと覚えてないけど」
そう言うと、ルーンは司羽の口に当てていた手を離して司羽の髪を撫で付けた。優しい手つきで、大切な宝物に触れるように撫でる。目を細めて、幸せそうに、ルーンは二人きりの時にしかそんな表情はしない。今までも、そしてきっとこれからも。そんなルーンの微笑みは、きっとルーンの一番に無防備な顔なのだろう。
「あの時も沢山大変だったけど、今はこうして懐かしんで居られる。それって凄く幸せな事だよね」
「……そうかもな、あの時はルーンにこんな風に膝枕してもらうなんて思わなかったけど。でもきっと予想してたよりも、ずっと今は幸せだ」
「そうだね、私も思わなかった」
ルーンの肌から伝わる暖かな熱が、香りが、心地よさが、まるでルーンの声を子守唄の様に変えていく。髪を撫でるルーンの優しい手つきは、赤子をあやす母親のそれに似ていた。何度も何度も、沈黙が心地よく感じてしまうくらいに、心が溶けていくようだ。
「まだまだ、これからだよね。これから色々な事があって、司羽の事をもっと好きになって、沢山思い出作って、こうやって思い返して……楽しみだね、司羽」
「そうだな……」
なんだか眠くなってきた。ルーンに言葉を返そうとしても、簡単な相槌しか出てこないくらいに。安心とは、こういう事を言うのだろうか。
「ずっと、一緒だからね」
「ああ……愛してる、ルーン……」
「うん。私も愛してるよ、司羽」
「……………」
その言葉を最後に、ルーンの膝の上から穏やかな寝息が聞こえてきた。司羽がそんな風に眠るのを見るのは、ルーンも初めてだった。お風呂にはまだ入っていないが、どうしよう。気持ちよさそうに寝ているし、少し寝かせてあげてから後で起こそうか。何にしろ、こんな無防備な司羽を置いて一人だけお風呂には行きたくない。司羽は自分の膝の上だからこんなに穏やかに眠っているのだと、ルーンにはそんな自信があった。だから、その信頼を裏切る事は絶対に出来ない。それがルーンの優先順位。
「何があっても傍に居るって、司羽に教えてあげなくちゃね」
それがたかが数分の間、お風呂に行くだけだとしても。同じ屋根の下、僅かな距離を取るだけだとしても。馬鹿馬鹿しいという者には言わせておけばいい。此処はルーンと司羽、たった二人だけの世界なのだから。……そんな時、
こんっこんっこんっ
「……ミシュナ? どうしたの?」
カチャ
「もうお風呂は二人だけだから………って、御免なさい。お邪魔だったかしら」
「ううん。でも大きな声は駄目。司羽が起きちゃうからね?」
「司羽が………?」
ドアをノックして中に入ったミシュナが見たのは、ルーンの膝の上で寝息を立てる司羽の姿。こちらに背を向けているので寝顔は見えないが、どうやら本当に眠っているらしい。ルーンが司羽に配慮して、司羽の耳を手で塞いでいた。
「本当にお邪魔だったみたいね」
「良いんだよ、ミシュナなら」
「…………そう。それじゃあ、伝えたわよ」
ミシュナはそう言って、静かにドアを閉じた。咄嗟にルーンと司羽から視線を逸らしてしまった気持ちは、正直ルーンにも理解出来る。きっと他の誰よりも正しく痛みを伴って。
「私の声を聴いて……、私の愛を聴いて……、遥か遠い場所にいる貴方に……、せめてこの歌が届きますように……」
ルーンの口から突然に、そんな旋律にも似た言葉が流れる。唯一の聞き手である司羽もルーンが自ら耳を塞いでしまっている為、聞こえるはずもない。誰に宛てる訳でもない歌は、想いが込もらない空っぽの歌は、ただの言葉に過ぎないとルーンは思っていた。
「忘れられていますか……、覚えてくれていますか……、遠い世界の果てまでも……、私の声は届いていますか……」
聴いたのは一度だけ、歌詞も殆んどうろ覚えだ。それがどんな意味を持つのか、どれほどの想いが込もっているのか、ルーンには分からない。そして分かってはいけない事だと思う。それはこの歌が伝わるべき人にだけ、理解されなければならない事だ。
「………ふふっ……」
それでも最後の一フレーズだけは鮮明に覚えている。どうして忘れられるだろう。自分はどれだけこの言葉に恐怖したか、どれだけこの言葉に叱咤されたか。ルーンは司羽の耳から手を離した。そうしてルーンの言葉は歌になる。ルーンの想いが込められた、ルーンだけの歌に。ただ一人に宛てられた言葉は、歌に変わる。
泣かないでください―――――
苦しまないでください―――――
貴方を縛る全ての想いを―――――
私の愛で塗り潰してしまうから―――――
膝の上で眠る、穏やかな寝顔に。ルーンはそっと、耳打ちをする様に歌った。
私は司羽の傍で生き続けます―――――




