破れた求愛の真相その1
トルージャ国から来たというサリム皇子の第一印象は、それまでの婚約者候補に比べれば、遥かに良いものだった。
よく鍛えられ引き締まった褐色の肌は健康そうだし、明るい碧色の瞳は悪戯っぽい光をたたえている。金というより赤に近い濃い色の髪を短く切って、この国では珍しい織布を頭に巻いているのだが、それがまたエキゾチックな魅力を醸し出していた。
港町・ルザンで目にしたことのある海は、内海だからなのか深い紺青色だったが、トルージャの沿岸に広がる海はサリム皇子の瞳と同じ淡い碧色をしているのだ、と教えてくれた。
年は21で一つ年上なだけだし、国同士の勢力バランスも取れている。
私と彼が結ばれれば、彼の国との貿易はますます盛んになるだろう。南国のトルージャとサリアーデは、特産品や資源が全く被っていない。お互いにとって、有益な取引になるのは間違いないはずだ。
「テラスに出てみませんか? 中庭は薔薇が盛りなので、きっと殿下の目を楽しませてくれますわ」
貴賓室と繋がっているガラス張りのテラスに誘うと、嬉しそうに頷いてくれる。
「それはいい。我が国には、薔薇は咲かないのです。船で商人が運んできてくれる切り花を母は好んで飾るのですが、きっと私が生花の薔薇を鑑賞したと言ったら、羨むでしょうね」
「では、是非。後で殿下の客室にも飾らせますわ。サリアーデでの良い思い出になるように」
侍女が先導してテラスへの扉を開けてくれる。
侍従たちが、音も立てずにテーブルを運びだしお茶の準備を始めた。
「よい思い出、とは淋しいことをおっしゃるのですね。……まるでもう会えないような口ぶりではありませんか」
それまでの優しげな口調に、わずかに熱がこもる。
皇子の瞳を見上げると、そこには静かな親愛の情が浮かんでいた。
「貴女の心に誰か別の方が住んでいるのだとしても、せめて一緒に過ごす今だけは私のことを考えてくれませんか?」
「考えていますわ、もちろん」
私はサリム皇子の言葉に、心から驚いた。
別の誰か、と言われた瞬間、漆黒の瞳が脳裏をよぎる。気のせいだ、と自分に言い聞かせた。ずいぶん昔に私達二人の道は別れてしまっている。
真面目に婚姻を考えていないと思われているのだとしたら、心外だ。
政略結婚として始まる関係でも、お互いに敬意を持って接するうちに情らしいものが湧くのではないか、と常々考えているというのに。
いつだって、私が選ばないのではない。
私が、選ばれないのだ。
「そうですか。不躾なことを言ってしまったようですね。――ああ、いい風だ。我が国に比べて、気温が低いからかな。暖かいお茶がこんなに美味しいものだとは、サリアーデに来るまで気づかなかった」
文化は多少違えど、彼も王族。
カップを口元に運ぶ所作は気品に満ちていて、後ろに控えている侍女たちの間に感嘆の息が広がる。
「殿下の国のいろんなことを、教えて頂けると嬉しいですわ。この世界の国々については、通り一遍のことを本で学んだだけですもの」
「ええ、是非。私にもこの国のことを教えて下さると有難い。……貴女のことをもっと知りたいですからね」
柔らかな響きに甘さを混ぜて、サリム皇子は片目をつぶってみせた。
そんな気障な仕草でも、彼がやると許せてしまうのが不思議だ。2人で顔を見合わせ笑ったあと、和やかに歓談していると、それまで姿を見せなかったマアサが現れ私に耳打ちした。
「姫様。王太子殿下とリセアネ姫様がいらっしゃっています。サリム皇子殿下とのお茶会に、是非参加されたいと」
「明日の晩餐会での顔合わせを待てない、というのね。もう、兄様とリセったらどうしていつもこうなの」
小声で悪態をついたのが聞こえたのか、サリム皇子が不思議そうにマアサを見やって「どうされたのですか?」と尋ねてくる。
口元を扇で覆っていたのだし、聞こえるはずはない距離なのだから、困惑と苛立ちが表情に出てしまっていたのかもしれない。
「私の兄と妹が来ているそうですわ。殿下がご不快のようでしたら、私が行って断って参ります」
身分の高い者同士が会を開いている際、約束もなしに第三者がその場にやってくるのは最悪のマナーだ。サリアーデだけの常識ではないはずなのに、サリム殿下は人懐っこい笑顔を浮かべた。
「クロード王太子殿下と、リセアネ王女殿下ですね。私のことはお気になさらず。大切な家族にどんな虫が寄ってきているのか、確かめたい気持ちは分かりますし」
そういえば、サリム皇子には年の離れた妹姫がいらっしゃると仰っていた。案外国に戻れば、クロード兄様のように過保護なのかもしれない。私は殿下の好意に感謝しつつ、一礼を取って席を離れた。
――今度こそ、兄様とリセアネの思う通りにはなりませんように。
祈るような気持ちで貴賓室の控えの間に入ると、王太子殿下とリセアネがそれぞれの護衛である近衛騎士を引き連れ、長椅子に座りくつろいでいる姿が目に飛び込んできた。
「やあ、ナタリー。首尾はどうだい?」
「兄様方がくるまでは、とてもいい感じでしたわ。礼儀正しくて好感の持てる殿方ですもの」
私に婚約者候補が現れるたび、彼らはこうしてやって来て、可哀想な王子様を品定めするのだ。
私が小さくため息をつくと、兄様の隣に控えていたエドワルドがぎゅっと拳を握りこむのが目の端に映った。
そう。近衛騎士であるエドワルドも、必ず兄上がいらっしゃるところに着いてくる。そして私をやんわりと避けつつ、時折冷たい表情をのぞかせる。
4年前からずっと、彼の私に対する態度は変わっていない。
優しいエドワルドは消えてしまった。
未だにその事実に胸が痛むのは、もうどうしようもない。
「酷いな。歓迎してもらえないなんて」
「そうですわ。姉様にふさわしい方かどうか、まだ分かりませんのに。そのようにすぐに気をお許しにならないで」
父と母だけでなく兄妹までこんなに過保護でさえなかったら、とっくに私はどこかの国の王子妃になっていたのではないか、という疑惑がかすかに湧いてくる。
私自身は、自分の分をきちんと弁えているというのに、兄様も妹も高望みが過ぎるのだ。
「サリム殿下は、快く同席を承知して下さったわ。……どうぞ、いらして」
私がしぶしぶそう言うと、兄も妹も目が眩むほどの微笑を浮かべながら、サリム殿下が待つテラスに向かっていく。
嫌な予感しかしないが、仕方ない。
ため息をこらえながら私が踵をかえすと、背後からエドワルドの強張った声が追ってきた。
「あまり上品なドレスとは言えませんね、王女殿下」
エドワルドの方から声をかけてくるなんて、いつ以来か思い出せない。
私は目を丸くして彼を振り返った。
「いま、なんて――」
「胸元が開きすぎているし、腕が全て露わになっている。ナタリア王女殿下には不向きなドレスかと」
「そう……かしら。でもマアサがサリム殿下にお目にかかるなら、このドレスが一番いいと勧めてくれたのよ」
肘までの長い手袋が、彼には見えないのだろうか。
眉を顰められるほどの過激なドレスとはとても思えない。
デコルテを見せるデザインは今の流行だし、今日のリセアネだって似たようなデザインのドレスを着ていたはずだ。
「王女殿下には似合っていません」
なおも言い募る彼を、隣にいたフィンがきつく窘めた。
「不敬だぞ、エドワルド!」
「いいの、フィン。――忠告には感謝します、エドワルド」
華の宮となった私には、近衛騎士を『様付け』で呼ぶことは許されていない。
そのことを今日ほど寂しく感じたことはなかった。
ほかの騎士と同じ扱いで名前を呼び捨てにする行為は、彼らとの距離を否応なく私に突きつける。
『エドワルド様』と呼びかけるたび、嬉しそうに笑みを浮かべ私を見つめ返した下さったのは、もう遠い過去の話なのだと。




