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遠ざかる背中その3

 翌日、私は母である王妃に呼び出され、自分の振る舞いについて懇々と諭される羽目になった。


 「お披露目の日まで、絶対に外出は許しません。分かりましたね、ナタリア」

 「はい、お母様。……ごめんなさい。私が考えなしでしたわ」


 滅多に怒らない母様の厳しい口調から、どれほどの心配をかけてしまったのかが伝わってくる。こんなことになるとは思わなかった。二度と勝手な真似はすまい、と心に誓った。

 

 子供の頃のままの気安さで無理やり2人についていき、挙句の果てには倒れて戻ってくるなんて。

 自分のしてしまった事を冷静に振り返ってみると、あまりの軽率さに溜息しか出てこない。

 王女でありながら軽はずみな行動を取ったのは私の罪であって、エドワルドは何も悪くないはずなのだ。

 

 だめだ、と彼は言ったのに。

 大人になれ、と忠告さえしてくれたのに。

 それなのに。

 気を失った私をマントでくるみ抱きかかえ、馬を走らせ王宮に戻ってきたエドワルドは、彼の父であるロゼッタ公爵にひと月の謹慎を申しつけられてしまったと云うではないか。

 


 「お願い。エドワルド様のせいじゃないのよ。兄様からも取り成して欲しいの。ひと月も領地に押し込められたままなんて、厳しすぎるわ」


 「ナタリー。じゃあ聞くけれど、あの日、何があってお前は気を失ったの? エドがついていながらそんな事態になるなんて、私にも信じられないよ」


 白皙はくせきの美貌を曇らせる兄に、私はどうしても本当の事を言えなかった。

 エドワルドに抱きしめられて、警戒心のなさとか何かそういったよく分からないことで叱られただけなのに、そんなたわいもない事で失神したなんて、恥ずかしくて誰にも言いたくない。


 「――――急に、気分が悪くなったの」

 「お前に嘘は向いてないな、ナタリー。」


 なんとかそれらしい言い訳を思いついてみれば、一刀のもとにそう断じられる。

 

 「でも、信じて! エドワルド様のせいじゃないのは、本当なんだもの。私がいけないのに。こんなの酷いわ」


 懸命に訴えても、兄はただ首を振るだけだった。


 「何もなかったとしても、お前に害が及べば傍に仕えていた者が責任を取る。それが私たち王族の定めなのだから、今回は諦めなさい」


 その遠出を機に、エドワルドは私から離れて行ってしまった。

 子供じみた騒動に巻き込まれたことに呆れて、怒ってしまったのかもしれない。謝りたくても、その隙がない。

 

 私のデビューの日の夜会にさえ、彼は公爵子息としては参加しなかった。

 そこで直接話ができるかも、と期待していた私はしばらく落ち込む羽目になった。

 フィンとエドワルドは一騎士として自ら王宮の警備をかってでたらしく、ダンスフロアに姿を見せなかったのだ。

 繊細でいて優美な純白のデビュー用ドレスは、私を幸せな気分にしてくれた。

 一目でいいから見てもらいたかった。

 エドワルドなら、「似合ってる」くらいは言ってくれただろう。

 


 結局、私は兄と初めてのダンスを踊り、国賓として招かれた大勢の他国の王子と踊ることになった。

 兄と私をちらちらと見比べ、落胆したかようにため息を漏らす王子もいれば、サリアーデとの強力な結びつきを得たいのか、あからさまなお世辞で私を苦しめる王子もいた。

 皆、それなりに見目麗しい方々だったのに、私の心には小さな波一つ立たなかった。


 ――『君がデビューした暁には、一曲踊ってもらえる? それまでには私も上手くリードできるようになっておくから』


 あれは12の時だったか。

 初めてのダンスレッスンを終えた後、踵の高いヒール靴と複雑なステップのせいでまめを作ってしまい、すっかりしょげかえった私に、エドワルドは優しくそう声をかけてくれた。

 だから、この日のダンスだけはとても楽しみにしていたのに。


 私だけが、未練がましく覚えていたの?


 婚約者候補だ、と兄に紹介された人の名さえ、私は覚えていない。





 

◆◆◆◆



 真っ白なドレスに身を包んだナタリア姫は、ハッとするほど美しかった。

 皆が彼女の容姿を揶揄やゆする理由が、全く理解できない。

 彼女はもっと評価されるべきだ。

 その一方で、誰もそのまま彼女の美しさに気づかないでいてほしい、とも願ってしまう。

 

 初めて会った日。

 涙に汚れた瞳を愛らしいと思った。

 懸命に傷ついた心を立て直そうとするナタリアの、小さな背中を撫でることしか出来なかった自分が歯がゆかった。

 その頃はまだ、庇護すべき妹のように彼女を見ていたのだと思う。

 

 いつからだろう、一人の女性として愛しく思うようになったのは。

 栗色の柔らかな髪や、光の加減によって黒だったり薄い灰色だったりその表情と同じく、くるくると変わる瞳から目が離せなくなった。

 王女として立派であろうと努力する姿勢には、心から感服したし、自分も立派な騎士となるべく剣技を磨かねば、と励まされた。

 リセアネは確かに美しいと思う。

 だが、自分にとっての『姫』は初めて会ったあの日から、ただ一人、ナタリアだけだった。


 「お前ってなんでもそつなくこなすくせに、ナタリア姫のことになると、まるで子供がきだな」


 ダンスホールを取り囲むようにして作られた広いバルコニーを巡回している途中、立ち止まった私の視線の先を追ってフィンは呆れたような声を上げた。


 「あの日彼女に自分の気持ちを伝えて囲い込んでしまっておけば、あそこに立っているのはお前だったんだぜ?」


 人の垣根の間に見えるナタリア姫の手を取って、はにかむような微笑を引き出しているのはどこの国の王子なのだろうか。

 少し疲れたような様子にさえ気づかないで、続けてダンスを申し込んでいるらしい男を今すぐ彼女から引きはがして殴りつけてやれたら、どんなに気が晴れるだろう。


 「伝えようとしたが、上手くいかなかったんだ。お前にも説明したよな、彼女は気を失ってしまうほど、俺に怯えていたと」

 「いきなりお前のその顔で強引に迫るからだろう。もっと手順を踏めよ、まったく」

 「それにあの後、父に釘をさされた。お前では駄目だと」

 「ええっ!? そんなの初耳だぜ!」

 「初めて言ったからな」


 遠くに見え隠れするナタリアが気になって仕方ないのだが、職務を放棄するわけにはいかない。

 無理やり視線を前に戻し、ホールの裏手に足を向ける。

 招待客は入口で厳しくチェックを受けているはずだから、今まで表舞台から大切に秘されていた王女を一目見ようという不届き者が忍び込むとすれば、警備の薄い裏手だろう。


 「ちょっと、待てって。どういうことだよ、エド」


 慌てて追ってくるフィンを振り返らずに、私は続けた。


 「ナタリア王女は他国に嫁がせる。そう国王陛下自身が決めていると父に聞かされた。『ここではないどこかに行きたい』というのが、幼い時分の姫の口癖だっただろう? 余所の国に嫁がせ、母や兄や妹と引き比べられる辛苦を少しでも和らげてあげたいとの思し召しだそうだ」

 「ナタリアはそのことを知ってるのか?」

 「――分からない。分かっているのは、どんなに想い続けようが、決してこの手は届かないということだけだ」

 「エド……」

 「だが想うだけなら、罪にはならないだろう? 簡単に気持ちが変わるのなら、誰も苦労しないからな。……ただ、今までのように傍にはいられない。自分が何をしでかすか分からない」


 

 ――『みんな、だいっきらいっ!』


 あの日も、彼女は泣いていた。

 聞いているこちらの心が破けそうなくらいの深い慟哭どうこくに、結局何もしてしてやれなかった。

 

 大人になって立派な騎士になり、彼女から辛いことや苦しいこと、彼女を傷つける全てのものを遠ざけてやりたかった。 

 懸命に訓練し騎士の叙勲を受けた後は、この想いをいつ伝えようかと考えあぐねていた。


 全てが無駄だったとは思わない。

 彼女が嫁ぐその日まで、彼女の剣となり盾となって、護ることが出来るのだから。

 

 願わくば、その日が出来るだけ遠い未来であって欲しい。

 


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