遠ざかる背中その1
社交界にデビューする16歳まで、私は囲われた狭い世界で手厚く保護され、大切に育てられた。
リセアネもそれは同じで、私たち姉妹の関心の中心は一番上の兄とその友2人だった。
クロードが15歳で立太子の儀を終え、王立学校へ入学してしまった後でさえ、私とリセアネは彼らのたまの休暇を待ちわびた。
そんな5人の関係はいつまでも、変わらないと思っていたのに――。
「いい子にしてたかい、私の小鳥たち」
プラチナブロンドの髪を揺らして甘い笑顔を浮かべる兄様は、物語に出てくる王子様顔負けの美青年になっていったし。
「変わりはないかい? お姫様方」
「みれば分かるだろ、フィン。ああ、でも少し背が伸びたかな」
時を同じくして騎士学校へ入学したフィンとエドワルドも、すらりと伸びた背に節くれ立った手が眩しい騎士見習いの男性になっていってしまったのには、戸惑った。
会うたび大人になっていってしまう彼らに感じる、淋しさ。
リセアネも子供の殻を脱ぎ捨てますます美しくなっていったから、余計にそう思ったのかもしれない。
私はと言えば、ある程度まで背が伸びたところで成長はピタリと止まり、あとは胸や腰回りがどんどん膨らんでいくのに閉口していた。
リセアネの妖精のようなスラリとした身体が羨ましい、と呟くと「姉さまの意地悪!」と睨まれたのは何故なんだろうか。
ドレスの胸まわりがキツいのは、ちっともいいことには思えない。
そんな彼らとの休暇の中で私が一番楽しみにしていたのは、馬を駆って森へ遠出をすることだった。
12歳の誕生日に贈られた栗色の鹿毛は、気性が穏やかで私によく慣れたので、兄様たちはこぞって乗り方を教えてくれた。
15歳を過ぎる辺りから周囲にやんわりと止められ、遠乗りの回数自体は減ってしまったのだが、私にとっては大切な時間だった。
王都であるサリアードは、大昔は森林だった土地を切り開いて造り上げられた都だ。自然の要塞となるように意識されたのか、他の領地と比べて高台にある。
隣のロザールの街へと続く街道まで大きく開けた城下町にもうかつての面影はないが、王宮の裏手にはまだいくらかの自然が残っていた。
社交界デビューをひと月後に控えたある日。
私は、『光の宮』に戻ってきていた兄を訪ねた。
「兄様、遠乗りにご一緒して下さいませ」
取次ぎを頼んで控えの間で待っていると、時を置かずに兄が現れたので早速お願いしてみる。
「あー、そうしてあげたいのは山々なんだけどね」
珍しく兄様は言いよどんだ。
いぶかしく思い近寄ってみると、目の下に隈が出来ているではないか。
私は、慌てて彼の額に手を伸ばした。
兄上の背が高いせいで、ずいぶん背伸びをしながらではあったが。
「熱……ではないんですのね。どうされたのですか、そのお顔」
「いろんな雑事を片づけてたら、つい夜更かししてしまってね。ほら、いつもこの宮にいるわけではないから」
今思えば、それは私の婚約者候補の背景詮索だったり、当日の王宮の警備の手配だったりしたのだろうが、私はそうとは知らずガッカリしてしまった。
「ドレスや装飾品選びに、いい加減疲れてしまいましたの。ダンスだって嫌いではないのですが、ああ毎日では息が詰まりそう。遠乗りして気晴らししたかったのですが、仕方ありませんわね……」
「いや、滅多に願いを口にしない愛する妹の為なら、多少の無理はしてみせるさ。――支度を頼む」
傍に控えていた侍従に兄がそう告げようとするのを、慌てて押しとどめた。
「いけません! 兄様に何かあったら私、どうにかなってしまうわ。お願いですから、今日はゆっくりお休みになって。ね?」
「だが」
「いいえ。私は大丈夫ですから」
きっぱりとそう言うと、兄はようやく肩をすくめて納得してくれた。
『光の宮』を辞すると、外廊で待っていた侍女が私の表情を見て安心したかのように息をついた。
「そのお顔でしたら、駄目でしたのね。いっそ良かったですわ。姫様くらいのお年になれば、一人で馬に乗るなんて控えるべきですもの」
「馬車に乗せられるより、うんと気持ちがいいもの。風を感じて、胸がスッとするのよ」
「リセアネ姫様は、お乗りにならないではありませんか」
「――リセは怖がりだもの」
王女のお転婆を治そうと尚も言い募る侍女のお小言を聞き流しながら、自分の部屋に戻ろうと歩いている最中で、私は彼らを見つけた。
「エドワルド様、フィン様!」
「王女殿下」
「ん? ああ、ナタリア姫か」
2人が向かっているのは厩舎の方角だ。
乗馬服に身を包み、短いマントを纏っている。
私は立ち止まった彼らの前に回り込み、期待を込めて彼らを見上げた。
「今から、どちらに?」
「見つかったかあ。今日はエドとこっそり出かけるつもりだったのに」
フィンが大げさに天を仰ぐ素振りをするので、私は頬を膨らませた。
「遠乗りに出かけられるのでしたら、私も連れていって下さいませ!」
「だめだ。今、この時期に怪我でもしたらどうする」
エドワルドが間髪入れずにそう告げてきたので、私は両手を胸の前で組んだ。
そのまま小首を傾げ、「エドワルド様、お願い」としおらしく小声で頼む。
リセアネに教えてもらった『殿方に効く』仕草らしいのだが、効き目は本当にあるのだろうか。
その時の私は、どうしても気晴らしに出かけたかった。
「……っ!!」
途端にエドワルドは、私から顔を背けた。
フィンはというと、目を丸くして私を凝視している。
駄目か。
やっぱりこういうのは、リセアネのような美少女がやってこそ効果を発揮するものなのかもしれない。
今日は諦めるしかないのかしら、とがっかりしていると、衝撃から立ち直ったらしいエドワルドが、咳払いを一つした。
フィンはそんなエドワルドを横目で眺め、可笑しそうに口元を震わせている。
「しょうがないな。今日だけだからな」
「エドがいいっていうなら、俺に異論はないですよ、姫」
「本当? エドワルド様、フィン様、ありがとう。お二人とご一緒できて、光栄ですわ」
嬉しくて飛び上がりそうになるのをこらえて、ドレスの裾をつまみ、最近ようやく様になってきた淑女のお辞儀を披露する。
フィンは、「レディの願いを叶えるのも騎士の努めでしょうからね」と軽口を叩いて笑ったが、エドワルドは何故か淋しそうに私から視線を逸らせた。




