今度こそ(エドワルド×ナタリア)
エドワルドがナタリアの婚約者となって二年。
収穫祭を終え、王都には続々と各地の有力貴族達が集まっていた。晩秋から初春にかけての社交シーズンを楽しむ為だ。
エドワルドにとって社交シーズンは、大手を振って婚約者と寄り添える貴重な時間となっている。この数ヶ月のお陰で、ナタリアと離れ離れに暮らす寂しさを乗り切ることができるのだ。
ナタリアは第一王女という身分もあり、婚約が決まるまで出席できる夜会は限られていた。
十六でデビューして以来、特定の崇拝者を持たなかった彼女自身、あまり人目の多い場所に出たがらなかったということもある。今でも積極的に参加したいわけではないのだが、エドワルドに誘われれば頷かずにはいられなかった。
「今日もとても綺麗だ」
エドワルドのエスコートは完璧で、ナタリアを唯一の花であるかのように扱ってくれる。会場には多くの美しい令嬢方がいるにも関わらず。
ダンスを二曲ほど踊り、あとは団欒室で共にボードゲームを楽しんだり、軽食をつまんだり。婚約者同士でやって来たとしても、紳士と淑女では別々に過ごすことが多い夜会で、彼らは非常に目立っていた。
その夜も、他愛のない話をしながらナタリアとエドワルドは連れ立って飲み物を取りに行った。
ご婦人が喉を潤したくなった場合、男性のエドワルドが取りにいくのが一般的なのだが、彼はナタリアを一人にするのを嫌がった。
「見ていられないほどの溺愛ぶりですね、マクフォール」
エドワルドがアルコールを避け、甘味の薄いジュースを選んでいると、隣からからかうような声が聞こえてきた。
マクフォールというのはエドワルドに与えられている子爵名だ。エドワルドの親しい友人達は皆、ファーストネームで呼び合っているのを知っているナタリアは、好奇心を抑えきれず、エドワルドの背中から顔を覗かせた。
年の頃はエドワルドと同じくらいか。どこかで見たことがある、とナタリアは記憶を手繰り寄せ、王直属の近衛騎士であることを思い出した。
「チェスター。貴方も来ていたのか」
「ええ。今年、ようやく一番下の妹がデビューしましてね。長兄として付き添ってきたのです」
チェスターと呼ばれた青年は、背後でうずうずと紹介されるのを待っている少女を前に出した。
「ユーニス。挨拶を」
「初めまして、マクフォール様。王女殿下。ユーニス・チェスターと申します」
ユーニスは、くっきりとした顔立ちの華やかな少女だった。彼女はエドワルドへうっとりとした憧れの視線を向けている。
「どうだろう。まだ夜会に不慣れな妹と、一曲踊ってやってくれないか」
「いや、私は――」
「嬉しい! 今夜は知り合いも少なく、心細く思っておりました。マクフォール様にお相手して頂けたら、良い記念になります」
エドワルドが断る前に、すばやくユーニスが口を挟む。それから両手を合わせてナタリアに懇願してきた。
「一曲でいいのです。どうか許可を与えては頂けませんでしょうか」
まるで自分がエドワルドを縛り付けているかのような口ぶりで頼まれ、ナタリアは居た堪れなくなった。
改めて周りから自分たちがどう見られているかを考える。
姫と騎士の関係そのままに、エドワルドは王女に頭が上がらないなどと思われているのではないだろうか。婚約者の評判を心配したナタリアは、つい頷いてしまった。
「殿下?」
エドワルドが驚いた表情で、ナタリアを見下ろす。
「私に遠慮することないわ。デビューしたての頃は、誰だって心細いものですもの」
「寛大なお言葉、感謝します。大丈夫だ、マクフォール。君が張り付いていなくとも、殿下に不埒な真似をするような馬鹿な男はいないさ」
チェスターはごく当たり前のことを言っただけなのに、何故かナタリアは惨めになった。
男を惹きつける魅力などないから、と後に続きそうに思えてしまうのは、完全な被害妄想だ。最近では鳴りを潜めていた劣等感が、初々しくも美しいユーニスの存在に刺激される。
「では、一曲だけ」
エドワルドは無表情のまま髪をかきあげ、「お手をどうぞ、チェスター嬢」と腕を差し出した。いそいそとその腕に掴まるユーニスを、ナタリアは精一杯の作り笑顔で見送る。
「私たちはあちらで休んでいましょうか」
チェスターにエスコートされ、ナタリアはダンスフロアから少し離れた壁際の休憩所に案内された。音楽に合わせ、優雅にステップを踏む男女がよく見える場所だ。
――昔、こうしてエドワルドとリセアネが踊るのを見つめたことがあったわね
ナタリアは思い出し、自分がすっかり変わってしまったことに気がついた。あの頃のナタリアは、似合いの二人に尻込みし、何もかもを諦めていた。
だが、今ではどうだろう。胸の中は、嫉妬の炎で焦げ付かんばかりだ。
そんなに密着しないで。目を合わせて微笑まないで。
エドワルドへの苛立ちが、ふつふつと湧いてくる。
彼に咎はない。断ろうとしていたのに、見栄を張ったのはナタリアの方なのだから。
頭では理解していても、心はいうことを聞かなかった。
それで終わりだったのなら、まだ良かったのだが、ユーニスはその後もエドワルドを見かける度、親しげに話しかけてくるようになった。
一度受けてしまったものだから、彼女からのダンスの誘いを断ることは難しい。
ユーニスも己の立場は弁えているようで、ナタリアを蔑ろにするということはない。それでもやはり、婚約者に熱い視線を送られ続けるのは気分のいいものではなかった。
次第に精彩を欠いていくナタリアに、エドワルドは焦りを感じていた。
「しばらく夜会はやめにしようか」
原因があの少女にあると気づき、エドワルドが申し出ると、ナタリアはあからさまにホッとしたようだった。
だがそうなると、会える機会は激減してしまう。
社交シーズンは議会が開かれる時期でもあった。ロゼッタ領を任されているエドワルドは、昼間は一領主として貴族院へ向かわねばならない。
なかなか会えなくなる、と説明するエドワルドに、ナタリアは淡々と「仕方ありませんわね」と答えた。灰黒色の瞳には、何の感情も浮かんでいない。
エドワルドの胸を刺し貫くような痛みが走る。彼は何でもない振りをするのに、全神経を使う羽目になった。
ようやく日中に暇を作ることが出来た時、エドワルドは迷わず王宮を訪れた。
「遠乗りに?」
「ああ。クロード殿下には許可を得ている。これ以上寒くなる前に、一度出かけてみないか?」
実はナタリアはすっかり拗ねていたのだが、エドワルドに明るく提案されてしまってはどうしようもない。渋々頷き、乗馬服に着替えて厩舎へと向かった。
愛馬を引き出そうとしたナタリアを止めたのはエドワルドだった。
「今日はどうか私の馬で」
そう言って、強引にナタリアを自分の前に乗せてしまう。後ろからナタリアを包み込むようにして手綱を握ったエドワルドは、ひどく満足そうだった。
ここ数週間、くすぶっていた苛立ちがナタリアの胸にぷかりと浮かんでくる。心を許しているからこその甘えに突き動かされ、ナタリアはそっけなく言い放った。
「私は自分で馬を駆れるわ。喜んで前に乗って下さるご令嬢は、他にいらっしゃるのではなくて?」
なんと小憎らしい言い草だろう。エドワルドも気分を悪くしたに違いない。
それでも後悔はしなかった。本当のことだもの。頑なな心持ちで身を固くしたナタリアのつむじに、温かな吐息が触れる。
エドワルドが馬を操りながらキスを落としてきたと知り、ナタリアは混乱した。
「今の、すごく嫌な言い方だった。エドは私を叱るべきよ」
「どうして?」
「どうしてって――」
エドワルドは「そろそろ速度をあげる。舌を噛んでしまわないよう、気をつけて」と微かに笑った。
彼が向かった先は、いつかの湖のほとりだった。
王族専用の森だけあって、あの頃と何も変わらず静かなものだ。
「嫉妬してくれたんだろう? リア」
エドワルドはナタリアを馬から下ろすと、魅惑的な笑みを浮かべ、そう言った。
どうやら会話は続いていたらしい。ナタリアは引くに引けなくなり、そっぽを向いてエドワルドから距離を取った。
「違うわ」
「そうなのか? 私はてっきりユーニスに妬いてくれたのかと」
親しげに少女の名前を呼んだエドワルドに、ナタリアはとうとう我慢しきれず涙を零した。
最愛の姫の頬を伝う雫を見た瞬間、エドワルドは動いていた。顔を見られまいと嫌がるナタリアを引き寄せ、腰を抱いて頬に手を当てる。
視線を合わせ、エドワルドは心から謝罪した。
「泣かないでくれ、リア。今のは私が悪かった。ほんの仕返しのつもりだったんだ」
「……仕返し?」
「最近の貴女は、すっかり私を見放してしまったようだったから」
「そんなことない!」
ナタリアは叫び、エドワルドの首にしがみついた。
「ごめんなさい。エドが悪いわけじゃないのに、嫉妬してしまったの。エドも同じ気持ちになればいい、と思ってしまったの。本当にごめんなさい」
「元はといえば、はっきり断らなかった私が悪い。本当にすまなかった。もう二度とリアを苦しめたりしない。どうか許してくれ」
エドワルドは、こくこく頷くナタリアのこめかみに口づけ、約束だ、と重ねる。
しばらく抱き合った後、エドワルドはナタリアの体を少し離し、あたりを見回した。
「ちょうど、この辺りだったな」
エドワルドはナタリアに悪戯っぽく微笑みかけると、視線を彷徨わせ「そうだ。あの樹じゃなかったか?」と瞳を煌めかせる。それからナタリアの手を取り、目星をつけた樹木の下まで連れていった。色づいた葉がさわさわと風に揺れ、空を鮮やかに彩る。
「覚えてる? あの時、私は貴女に逃げられてしまった」
「ええ。そうだったわね」
ナタリアも忘れてはいなかった。
忘れられるわけがない。あの日を境に、全てが変わってしまったのだから。
「振りほどけないでしょう? ナタリア姫」
まるで再現するように、エドワルドが繋いだ手を胸に寄せ、距離を縮めてくる。ナタリアもわざと後ずさった。
エドワルドは樹木との間に自分の左手を挟み、ナタリアの背中を守った。ほんの小さなささくれも、彼女を傷つけることは許さないとばかりに。
くすくす笑いながら、ナタリアは愛しい婚約者の胸に頬をつける。
「私はもう、振りほどいたりしないわ」
あの時は、ドキドキしすぎてとても無理だった。
今なら少しは上手く振る舞える。心底愛されていることが分かるから。
エドワルドの甘い口づけを受け入れるため、ナタリアは顔をあげた。
7/11の活動報告に書籍化のお知らせを載せています。
応援してくださった皆様のお陰です。本当にありがとうございました!




