おまけ小話(ロゼッタ公爵領編)
「兄さん、兄さん!!」
「そんなに大声を出さなくても聞こえてる」
執務室に飛び込んできた下の弟に、エドワルドは優しい眼差しを向けた。
五つ違いのパーシヴァルは今年20になるというのに、いつまでも末っ子気質が抜けないのか、年の割に幼い部分がある。母はこの下の弟を産んだ後、産褥をこじらせてこの世を去ってしまった。
産まれてすぐに母親を失ったパーシヴァルを屋敷中の誰もが哀れんだ。せめて母の温もりの代わりに、と乳母を始め親戚から使用人に至るまで、皆が彼を過剰に可愛がった。昔から父は厳格で多忙な人なのだが、それでも彼には一番甘かった気がする。
パーシヴァルが何をやってもどこか憎めない青年に育ったのは、そのせいではないか、とエドワルドは思っている。
「見て! たった今、届いたんだよ」
盾と大きな翼を組み合わせた紋章の封蝋が施された手紙を、ひらひらと振っている。
それが王家の紋章だと知っているパーシヴァルは「ナタリア姫様からじゃないかな! ねえ、兄さん、なんて書いてあるのか読んでよ!」と楽しげに言って、こちらに渡してきた。
だいたい、手紙の管理や使者の応対は、家宰のブルックの仕事のはず。
エドワルドは眉間に皺を寄せて、弟を睨みつけた。
「また、勉強を放り出して外をぶらついていたのか。手紙を届けてくれた方を、丁重にねぎらったのだろうな」
「うん。どうもありがとうって言っておいたよ。変な顔して粘ってたけど、僕がパーシヴァルだって名乗ったら、よろしくお願いしますって帰っていったな」
「はあ……」
公爵家とはいえ、三男坊のパーシヴァルには爵位がない。父の兄弟も健勝であるし、彼らの嫡男も存在するからだ。この先、彼は聖職者か騎士か官僚になって生きるしかない。
一番上の兄に似ず、下の兄弟は二人とも剣の腕前はからっきしだった。「毎日、神様と顔を突き合わせて生きてくのは無理!」と云うパーシヴァルに、エドワルドは頭を抱えた。
であるならば、残された道は官僚として身を立てることだけ。
その為の勉強をさせようと、わざわざ王都から家庭教師を招いて彼につけたというのに、その勉強にも身が入らないようだった。
「パーシー。お前はもう20だ。いつまでも館に置いておくわけにはいかない。もっと自分の将来を真剣に考えろ」
エドワルドは本音を云うなら、すぐさま封を切って手紙を読みたかった。
だがこんな時でもなければ、逃げ足の早い彼の事ことだ、すぐにどこかへ消えてしまうだろう。
「分かってるって、兄さん。心配ご無用だよ。いざとなったら、爵位持ちの可愛い女の子を探して婿に行くから、安心して!」
パーシヴァルの容姿はかなり優れている。端正な美貌のエドワルドを、もう少し優男にしたような顔立ちだった。愛嬌のある物腰で、無愛想なエドワルドに比べると余程レディの扱いは上手い。
だが、大の男が胸を張って言う台詞か!
エドワルドはずきずきと痛み始めたこめかみを軽く揉み、「後で何が書いてあったか知らせるから、とりあえず下がれ」とだけ答えた。
一人になってから、ペーパーナイフを使って丁寧に開けた。
便箋の間から、はらり、と薔薇の花びらが落ちる。王宮の裏庭に咲いた薔薇だ、と一目で分かった。オレンジがかった珍しい品種のそのバラは、ナタリアが庭師から貰った苗を自分で育て、東屋の近くに植えたものなのだ。大きな机におちた花びらをそっと拾い上げ、唇に押し当てる。
――早く、一緒になりたい。
婚約は済ませた彼らなのだが、結婚はエドワルドが爵位を継いでから、と定められている。まだまだ父から出された課題は多い。何年も待たせることになるかもしれない、と考えただけで、彼の胸は激しく痛んだ。
『愛する私のエドワルド様』
出だしの一文に、思わず知らず笑みが浮かぶ。
エドワルドは、指でナタリアの流麗な筆跡をなぞった。
『父上から、ようやくお許しを頂くことが出来ました。マアサと近衛騎士を連れて行くのならば、しばらくそちらに滞在してもいい、とのことです。エドワルドはお忙しいでしょうから、決してお仕事の邪魔はしないと約束するわ。夕食くらいはご一緒できると嬉しいのだけれど。私は貴方の顔を一目でも見れたら、それで満足なのですから。受け入れて下さる、というお返事だけをお待ちしています。――あなたのリア』
はあ、と熱い吐息が漏れた。
一目見るだけで、自分が満足できるとはとても思えない。
飢えた狼の巣に自ら飛び込んでこようとする無垢な姫に、エドワルドは苦笑を零した。
「姫様、お手紙ですわよ」
王都に隣接している直轄地の一つ、テーヴァスで行われた音楽祭に出席し、そのついでに視察も済ませ、ようやく自分の宮に戻ったナタリアをマアサは満面の笑みで出迎えた。
この後、兄であるクロードの所へ報告に出向かねばならないのだが、ナタリアはその手紙に飛びついた。
裏を返すと、剣と柊の意匠の封蝋が目に飛び込んでくる。ロゼッタ公爵家の紋章だった。
「ああ、エドからだわ!!」
ナタリアが手紙を自分の胸に押し当てるのを見て、マアサは静かに居室から出た。
湯あみを済ませて埃を落とし、支度を整え直してから、光の宮へ行く。
全て終わった後でゆっくり読んだ方がいい、と分かっていても、逸る気持ちを抑えることができない。
ナタリアは手早く封を切り、便箋を広げた。
『愛する私の姫、ナタリアへ』
エドワルドの筆跡は力強く、大きい。その文字が目に入るだけで、ナタリアはどうしようもなく胸が焦がれてしまうのだった。
『手紙、嬉しく読みました。こちらの準備は整いました。カイト殿もご一緒ならば、旅中の安全も心配せずに済みます。本当ならば今すぐ王都に向かい、貴女をこの手でお連れしたい。それが出来ない辛さを、少しでも分かって頂ければ幸いです。どうかくれぐれもお気をつけて。貴女に会える日を楽しみにしています。――姫の忠実な僕、エドワルド』
照れくさいのか、エドワルドの手紙はいつも短い。
それでも、彼なりの精一杯の愛情が伝わってきて、ナタリアを幸せな気持ちにしてくれる。
早く、会いたい。
会って、抱きしめて貰いたい。
離れているのが、こんなにも辛いなんて想像もつかなかった。
彼が騎士となってからは、いつもこの王宮にいてくれたのだから。
「とても待ちきれそうにないわ、エド」
ナタリアは小さく呟き、便箋を唇に押し当てた。
ちょこちょこ追加してすみません(汗)
読んで下さって、ありがとうございます!!




