揺れる心
「姫様。今日はどのドレスをお召しになります?」
マアサの浮き立つような明るい声に、私は苦笑をこぼした。
「そうね。――リセアネはたぶん、作ったばかりの薄桃色のドレスを着るだろうから、同系色は避けた方がいいかもしれないわね」
「そうですか。残念ですわ。私の一押しは、この濃いピンクのシフォンドレスでしたのに。ハイウェストの切り替え部分には白薔薇があしらわれておりますし、裾にある銀糸と宝玉の縫い取りが素敵なアクセントになっていますでしょう? まさに『華の宮』様の名にふさわしいドレスですもの!」
王族は成人すると、父母から離れて自分の屋敷を持つしきたりがある。
クロード兄様が今いるのは、代々世継ぎである王太子に与えられてきた通称『光の宮』。
私には『華の宮』、そしてリセアネには『星の宮』が与えられている。
同い年のマアサとは、私が社交界にデビューし自分の宮に移ることになった時からの付き合いだ。
男爵令嬢であるマアサは、花嫁修業の一環として王宮に上がっているのだが、私が結婚するまでは絶対に傍を離れないと言いはり、もう4年も侍女勤めをしている。
このままサリアーデ国の貴族子女の結婚適齢期を過ぎてしまうのじゃないかと、最近気が気でならない。
私と違い、艶やかな顔立ちをしている美しいマアサには、なるだけ自分に有利な結婚をして欲しいと心から願っている。
マアサだけを唯一の女性として崇めてくれる、そんな男性との幸せな結婚を。
「もっと、落ち着いたものの方がいいわ。あまり目立たない感じの……」
「ナタリア様のただ一つの欠点は、その奥ゆかしさですわね! せっかくのパーティですもの、うんと着飾ってお出ましになればよろしいのに」
「私にはあまり華美なドレスは似合わないもの。大丈夫、ちゃんと分をわきまえてるだけよ。自分を卑下してるわけじゃないから、ね?」
私の言葉を受け顔を曇らせたマアサを宥める。彼女は不承知顔のまま再び大きなクローゼットに向き直った。
手にしていたドレスの代わりに、水色の一枚を選びなおしたようだ。
露出も少なくシンプルなそのドレスは、光沢があって品がある。
私は、それでいい、というように軽く頷いてみせた。
今夜は、久しぶりに王宮で夜会が開かれる。
王妃である母の誕生祝いを兼ねたパーティなので、国中の貴族が集まる盛大な会になることだろう。夜会の前には、王族だけが参加する晩餐会も催される。
父王、王妃、王太子、父の弟であるケント殿下に、その奥方であられるヴィクトリア妃。私とリセアネ。
以前の私だったら、出たくない、と嘆いて、マアサや侍女頭を困らせていただろう。20歳を迎えた今、私にそんな振る舞いは許されていない。
この国の第一王女として毅然と頭をあげ、並み居る貴族たちに鷹揚に微笑んでみせなければ。
「今日もとっても素敵よ、ナタリー。本当に、愛らしいこと! あなたが一日も早く、素晴らしい伴侶を得てくれることを私は望んでいるわ」
年を重ねてもなお、眩いばかりの美しさを振りまく母が心からの笑みを浮かべてそう言ったので、私は喉元までこみ上げた大きなため息を必死に飲み込んだ。
「ありがとうございます。今年もまた、お母様の上に豊かな祝福が注がれますように」
誕生祝いを述べ、うやうやしく礼をする。
側室を一度も置いたことのない愛情深く誠実な父王は、そんな王妃と私のやり取りを嬉しそうに眺めている。
「ナタリアがあまりに素晴らしいので、求婚者たちが皆、しり込みしてしまうのが残念でならないわね」
母は本気でそう思っているのだろうが、見当違いにも程がある。
頬にカァッと血が上ってくるのが自分でも分かる。
叔父上やヴィクトリア妃の方をちらりと横目で見ると、案の定可笑しそうに眦を下げ口元をナプキンで覆っていた。
リセアネの表情をうかがう勇気は、私にはない。
さえない容姿で、誰からも「女」としては求められない私。
残酷な現実が見えていないのは、この場にいる父と母だけのようだ。
我が子、というのはそれほどに愛しいものなのだろうから、私はその愛情に感謝するべきだと、頭ではそう分かっているのに。
――どこか遠くに行きたい。
私のことを誰もしらない、遠い土地へ。
盛大な晩餐会に並んだご馳走の味は、全くわからなかった。
夜会が始まり、まず父と母がダンスを踊る。
煌びやかなシャンデリアがまぶしい広い大ホールは、大勢の人の熱気で溢れかえっていた。
この日の為に招かれた一流の楽団が、軽やかにワルツを演奏している。
給仕に忙しい使用人たちは、いつもの黒のお仕着せではなく白で揃えられたスーツやワンピースの胸元に、母の誕生花であるカトレアを一輪挿している。
沢山の燭台に照らされた大ホールを動き回る真っ白な彼らの出で立ちは、祝宴の明るい雰囲気を更に盛り上げていた。
「さあ、ナタリー。最初にあなたと踊る栄誉を、どうかこの私に」
気詰まりな晩餐会の後、表情には出さないように気を付けていたのに、兄にはすっかりお見通しだったらしい。
深い菫色の瞳には、私への気遣いが溢れている。
「私はいいわ。リセアネと踊ってあげて、兄様」
このような公の場で兄と踊ると、必ずと言っていいほど妙齢の貴婦人方の憐みの視線に晒されるのだ。
『あそこまで似ていないと、本当にお気の毒だわ』
『ナタリア様お一人でいらっしゃると、あまりそう思わないのに』
『ええ、並ばれると激しく見劣りされるわね』
『おかわいそうなナタリア様』
そんな囁き声の中に、少しでも優越感のようなものが混じっていたなら、いっそ私は救われるのだけれど。
それならば、幼い頃によく投げつけられた類の罵りだから。
ところが彼女たちは、心から私に同情しているらしい。余計に、その憐みが心に食い込んでくる。
「どうしてそんなつれないことを。リセアネなら、平気だよ。ほら、エドワルドが申し込んだようだ」
兄の言葉にふと目を上げるのと、きゃあっという歓声があがるのは同時だった。ホールの中心に、リセアネとエドワルドがすべり出たのだ。
薄桃のシフォンドレスがリセアネの白い肌を美しく際立たせ、複雑に結い上げたプラチナブロンドの艶やか髪は、シャンデリアの明かりを眩く反射している。
――エドワルド。
彼を目にすると、いつも心の奥の一番柔らかい場所が、じくじくと痛む。
宰相をつとめるロゼッタ公爵の長男で、今は彼の父が持つ数多の称号の中から子爵を名乗っている近衛騎士。
クロード兄上が王位を継いだ暁には、王の右に控えることになるだろうと早くから噂されている大貴族の彼は、今夜もとても綺麗だった。
兄上と同じ年の彼は、今年24になるはずだ。
正装をまとった引き締まった長身は、軽々とリセアネの腰を抱いており、時折、何か冗談を口にしているのか、それに応えるリセアネの花開くような笑みが垣間見える。
ここがどこであるのかすっかり忘れ、私は彼らに見入ってしまった。
視線を感じたのか、エドワルドがこちらに一瞥をくれる。
さきほどまでの和やかな表情は一瞬で消え失せ、私を冷ややかな目で眺めたのが分かった。
ほら、まだこんなに胸が痛い。
初めて出会った幼いあの日も彼の漆黒の瞳に、目を奪われた。
心まで奪われるはずでは、なかったのに。




