永遠の約束 前篇
長くなったので、二つに分けます。
次章で完結です。
私とエドワルドの婚約式は、王宮の中にある小さな聖堂で執り行われることになった。
本教会の教区長さまからは「是非、うちの大聖堂で!」とのありがたい言葉を頂いたのだけれど、私の我儘を通す形になった。
家族と親しい友人だけで、ひっそりと祝いたかったのだ。
王宮の中ならば大勢の護衛も必要ないし、マアサにも立ち会ってもらえる。彼女は最後まで「恐れ多いのでご遠慮します」と固辞していたが、どうしても、と懇願すると、しぶしぶ頷いてくれた。
フィンがそのどさくさに紛れて、
「侍女として参加するのが気になるのなら、俺の将来の奥方として出席すればいいじゃないか」
と口説いていたのだが「結構ですわ」とにこやかに断られていた。
でも、マアサはフィンの前で笑顔でいることが、前よりずっと増えた気がする。フィンにこっそりそう耳打ちしてみたら、ニヤリといつもの人の悪い笑みを浮かべたので、彼にも分かっていることなのだろう。
王陛下と王妃様にも、了承を頂いた。
これが王太子殿下の婚約式ならば、もっと大々的にお披露目しないと後々まずいのだろうけれど、私は臣下であるエドワルドの妻になるのだから、さほど問題はない。
そう、私はもうじき王女ではなくなる。
降嫁することに全く抵抗はないのに、エドワルドは時折すまなそうに私を見つめてくる。クリストファー王子殿下の花嫁にならなかったことを本当に後悔していないのか、と直接尋ねてくれれば、はっきり「はい」と答えられるのに。
クリストファー王子は「どう考えても自分の方がいい男だと思う」と前置きした上で、「でもリアが幸せになるのが一番だから」と納得してくれた。
私が彼にフラれた時よりも酷く落ち込んでいたので、かなり罪悪感が湧いたが、ミカエルが「騙されるな」と助言してくれた。王子妃、という肩書きなど私は欲しくない。私が欲しいのは、エドワルドだけだ。
結婚申し込みは受けたけれど、まだ正式に婚約を交わしているわけではないので、彼とはあまり一緒にいられない。
加えて、いずれロゼッタ公爵位を継ぐ公子の身となったエドワルドは今、大変忙しいのだ。
近衛騎士の役目を辞して領地に戻り、領地経営の勉強と実習に日々取り組んでいる。叔父様のうちの一人が補佐についてくれているらしいのだけど、剣の腕しか磨いてこなかったエドワルドはとても苦労しているようだった。
彼の妻となった暁には、出来るだけ力になりたい、と心から思う。
遠くから応援することしか出来ない今の自分が、もどかしくて仕方ない。
父上は広大な領地を非常にうまく運営しながら、王宮では宰相という激務をも果たされているのだから、私も負けてはいられないのだ、と前に会った時は笑っていた。
決して弱音を吐かないエドワルドだが、私に会いに来てくれる度に、やつれていってしまってる気がしてならない。
贅沢を言ってはいけないのだと分かっている。
ずっと想ってきた相手と、結ばれると決まったのだから。
待っていれば、日付は着々と進んでいく。
それでも、会いたい、と願わない日はなかった。
婚約式まで一月をきったある日のこと。
エドワルドから久しぶりに手紙が届いたので、私は裏庭の東屋へ行き、一人でその手紙を広げた。
相変わらず綺麗な筆跡で、堅い言い回しなのが微笑ましい。
想いを確かめあって以来、2人きりの時にはくだけた物言いをするエドワルドなのだが、手紙の中の彼は昔のままだ。
『愛するリアへ
慌ててこの手紙を書いています。
今取り組んでいる事業の目途がついたので叔父に二日だけ、休みを貰えました。華の宮へ会いに行きたいのですが、王都に着くのは、夜遅くになりそうです。
一目でいいので、顔を見せてはもらえませんか?
あなたのエド』
次に会えるのは、婚約式の日の朝になるだろう、と前にエドは言っていた。
慌てて、日付を確認する。
私は、手紙を広げたまま胸に押し当てた。
一月半振りに、今夜エドワルドに会えるのだ!!
こうしてはいられない。
宮に戻るべく、慌てて立ち上がった。
疲れていらっしゃるはずだから、暖かい飲み物と簡単につまめる夜食を準備して……。それから兄様に頼んで、泊まっていくお部屋を準備してもらわなくては。
うきうきとした足取りで光の宮を訪ね、手紙のことを話すと、兄様は呆れたように美しい眉をひそめた。
「部屋を用意させるくらい簡単だけど、多分、エドワルドはそのまま戻ると思うよ」
「え? でも手紙には二日、お休みがあるって」
「リア、忘れたのかい? パッシモ公の領地から王都まで、馬車で移動すれば丸一日かかるんだよ。エドワルドは馬を変えながら休みなしで駆けてくるつもりだろうが、それでも15時間程度はかかるんじゃないかな。」
その言葉に、私は卒倒しそうになった。
「そんな……。そんな無茶をしたら、エドの体がどうにかなってしまうわ!!」
「それでも、一目お前に会いたいんだろう。……やれやれ。十数年傍で見てきて、この先何十年も見ることになるだろうに、そこまで恋焦がれるとはね」
「兄様……」
からかわれても、楽しくない。
今こうしている間にも、エドワルドが馬を駆っているのだと思うと、不安で居ても立ってもいられなくなる。
「落馬でもしたら……ああ、なんて無茶なの!!」
「無茶は承知だろうさ。お前の為に出来るだけ早く公爵位を継ごうと、無理を重ねてるくらいなんだから」
「わたしの、ため?」
エドワルドが領地に戻ったのは、パッシモ公爵の言いつけなのだと思っていた私は、驚きに目を見開いた。不思議そうに、兄様が首をかしげる。
「聞いていなかったのかい? お前を降嫁させる条件として、陛下がエドワルドに公爵位を継ぐよう命じたんだ。大事な姫を任すのだから、そのくらいの度量を示せ、と」
初めて、知った。
思わずよろめいて、慌てて兄に腕を支えられる。
知らないところで私を娶る為に、エドワルドだけが必死に努力を重ねていたというの――?
なかなか会えなくなって淋しい、と告げた日のエドワルドの悲しそうな微笑を思い出す。
『淋しい思いをさせて、すまない。もう少しだけ、我慢してくれ』
ただそれだけしか言ってくれなかった彼に、一瞬でも不満を感じた過去の自分に吐き気がした。
兄様に暇を告げ、自分の居室に戻る。
じりじりと時計を眺めては溜め息をつく私を、マアサが心配そうに見守っていたが、うまく説明することが出来ない。
月が辺りを照らし始めると、私はたまらず寝室のバルコニーに飛び出した。
人の気配を待って、広いバルコニーを何周も歩いた。
闇が濃くなるにつけ、不安が増していく。
何か、あったのではないか。
まさか、本当に落馬して……。
悪い想像だけが、脳裏を塞いでいく。
じんわり目尻に涙が浮かぶのが分かった。
その時。
「――リア? 君なのか?」
がさり、とバルコニーの向かいの生垣が揺れたかと思うと、会いたくてたまらなかった人が、旅装でそこに立っていた。
「エド……。エド!!」
バルコニーの壮麗な手すりが、邪魔でたまらない。
私たちは駆け寄って、お互いの手を取り合った。
「もう君を訪ねていい時間ではなくなってしまったから、一目、影だけでも見られたら、と思ってここまで来てしまったんだ。――ああ、こんなに手が冷たくなって。もしかして、ずっとここで私を待ってたのか?」
「だって、会いたかったから。エド……ごめんなさい! 私のせいで、こんな無理をさせてしまって。いいえ、それだけじゃない。私を娶る為に、どれほどの犠牲を払ってくれているか……」
目尻からとうとう零れた私の涙を見て、エドワルドは切れ長の瞳を伏せ、短い息を吐いた。
「そっちに行ってもいいか? 決して部屋には入らないから」
私はすぐに頷いて、彼から距離を取る。
エドワルドは、手すりに置いた片手に力を込めてその長身を持ち上げると、音もなくひらり、とこちら側に着地した。
軽く頭を振り、目にかかるまっすぐな黒髪を払う。
美しい横顔は精悍な凄味を帯びて、私の胸を射抜いた。
こうして何度でも簡単に、私に恋をさせてしまうのだわ。
エドワルドに見惚れて立ち尽くす私を見て、照れくさそうな笑みを浮かべ、彼はそのまま手を伸ばし、涙を拭ってくれた。
「誰かに聞いたんだな。心配するな、リア。私なら、平気だから。犠牲なんて大層なものじゃない。全て私がしたくて、やってることなんだ」
優しい口調に、我慢が出来なくなる。
「エド!!」
彼の広い胸に飛び込もうとすると、慌てて「汚れているから」と押し留められた。
「一日近く馬の上だったからな。汗くさいかもしれないし」
いやいや、と何度も首を振る。
しがみつこうとする私に根負けしたのか、エドワルドはそうっと私を抱きしめてくれた。胸いっぱいにエドワルドの匂いを吸い込む。草原のような香りは、どこか懐かしささえ感じさせた。
「困った姫さまだ」
あやすように、エドワルドが私を小さく揺すぶる。
私は離されまい、と背中に手を回ししがみついた。
「もう行ってしまうの?」
震える声でようやっとそう尋ねると、エドは優しいキスを髪に落としてくれた。
「そうだな、このままここにいたら、帰れなくなりそうだ。君と会えばいつもこうして離れがたくなると分かっているのに……。でも、どうしても一目会いたかった」
「ちょっと、待ってて!」
マアサに頼んで準備させた、片手でも取れる軽食を詰めた袋を部屋に取りに戻る。
「ちゃんと休憩を取ってね。森は出来るだけ避けて、街道を通って、野犬には気を付けて……それから、それから!」
涙がまた溢れてくる。
「ありがとう、助かる」
エドワルドは袋を受け取ると、そっと私の頬に手を当てた。
その手に私も自分の手を重ねる。
「愛してるよ、リア。君の為ならなんだって出来る。だから、私のいないところでは泣かないと約束してくれ。君の涙を拭くことが出来るのは、私だけだと」
「私も愛してる。約束するわ、あなたにしか触れさせないと」
誓いを交わすかのように、お互いをしっかりともう一度抱きしめる。
エドワルドの黒髪が夜の闇にとけていくのを、私はそのまま黙って見送った。




