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あなたの忠実な騎士その3

 エドワルドは迷わず、すぐに王宮の裏庭へと向かった。

 

 幼かったナタリアの避難場所セーフハウス。老朽化して今にも崩れそうだった道具小屋は数年前に取り壊され、今では同じ場所にこじんまりとした瀟洒な東屋あずまやが建っている。


 ナタリアが社交界にデビューする前の話だが、騎士学校が長期休暇に入ると、エドワルドは必ず王城のその場所を訪れた。

 王宮正面の大庭園のように整然と手入れされているわけではないその裏庭の、野趣にあふれた雰囲気が好きだったし、何よりエドワルドとナタリアの思い出の場所だったからだ。


 『おかえりなさい、エドワルド様!』


 今よりあどけない丸い頬のナタリアが、エドワルドを見つけて駆け寄ってくる。生い茂った緑をかき分け、やっぱりここにいた、と安堵したような表情を浮かべて。


 『お利口にしてましたか、姫』


 精一杯年上ぶってエドワルドがそう言うと、拗ねたように愛らしい唇をとがらせて『子供扱いはやめてちょうだい』とナタリアが答えるのが、いつもの決まったやり取りだった。


 ――ここに来るのは、何年振りだろう。

 あの頃と何も変わっていない静かな庭の様子に、割り切れない切なさを覚えながら、エドワルドは足早に奥を目指した。



 



 東屋のベンチにもたれるようにして、ナタリアは座っていた。

 ぼんやりと空をうつろに眺めていた視線が、茂みの間から突然現れたエドワルドをゆっくりと捉える。


 「ど……して?」


 「やはりここにいらっしゃったのですね、姫。みな、心配しております。私と一緒に戻りましょう」


 安堵の笑みを浮かべたエドワルドが、そのままナタリアに近づこうとした。

 次の瞬間、


 「こないで!!」


 鋭い悲鳴が、エドワルドの鼓膜を叩いた。

 信じられないような気持ちで、ナタリアを見つめ息を飲む。

 灰黒色の瞳は、からっぽで何も映してはいなかった。


 「だいじょうぶ、ちゃんと帰るから。明日になったら、ちゃんと『おめでとう』って、あなたとリセに言えるから。…………だから今だけ。今だけ、わたしを一人に、して」


 ナタリアは、絞り出すような声で途切れ途切れにその言葉を口にした。

 

 やはり、あのやり取りを聞かれていたのか。

 エドワルドの漆黒の瞳が、苦痛に歪む。

 

 ここまで、追いつめてしまった。

 

 どんなものからも守ろうと心に誓っていたのに、その私が、彼女をここまで傷つけてしまった。


 「違うのです、王女殿下。私とリセアネ姫は、あなたが思っているような関係ではない。全ては誤解です、私の話をどうか聞い」


 「いや! 聞きたくない。かえって……帰ってよ! あなたがそんな風だから!! だから、期待してしまうのに!! もう、ほうっておいて!!」


 ナタリアは、激しく首を振ってそう叫ぶと、よろめきながらも立ち上がり、エドワルドが立っている場所とは真逆の方向に逃げようと走り出した。


 「待つんだ!! 危ないから!!」


 鍛え方が違うのだから、すぐに追いつかれるに決まってる。

 頭ではそう分かっているナタリアなのだが、走らずにはいられない。

 慣れないことをしたせいか、華奢な靴が脱げ足がもつれてしまった。


 「っ!! ……間に合った」


 しっかりとした固い腕が、腰に回される。

 転んで芝生に投げ出されそうになったナタリアを、気が付けばエドワルドが、後ろからきつく抱きしめるようにかかえ込んでいた。


 ほつれた髪が、夕方の冷たい風に揺れる。

 ナタリアは、みじめで堪らなかった。

 こんな姿を、エドワルドにだけは見られたくなかったのに。


 背中に感じる暖かな温もりが、確かに恋い焦がれていた彼のものなのだと、自分の願望が作り出した幻ではないのだと感じた瞬間、ナタリアの頬に大粒の涙が転がり落ちた。

 乾ききって空虚だった灰黒色の瞳に、生気が蘇ってくる。

 

 ナタリアの背中が小さく震えて、抱きしめたまま動こうとしないエドワルドに、彼女が嗚咽をこらえていることを知らせた。


 「……離して、エドワルド。」


 「嫌です」


 「これは命令です。私から離れなさい」


 威厳を持たせるように強く声を出してこう言い切ってしまえば、エドワルドは従わざるを得ないと、ナタリアは知っている。

 

 もう、はなして。

 ……いいえ、はなさないで。

 

 相反する感情に揺さぶられながら、ナタリアは目をつぶり、背中から温もりが離れていくのを待った。


 「嫌だっ……。誰になんと言われようと、もう、絶対に離さない!!」


 肩を掴まれたかと思うと、くるりと体の向きを変えさせられ、ナタリアはエドワルドの両手に頬を挟まれた。


 「ちゃんと聞くんだ! 私は君を裏切ったりしていない。リセアネ姫のことは妹のようにしか思っていないんだから、彼女とどうにかなるはずないだろう。……愛しているのは、ずっと昔から君だけなんだ、リア。心臓を取り出して潔白の証を見せろというのなら、今すぐにだってそうしてやる!」


 滂沱と流れ落ちる彼女の涙が、エドワルドの手袋を濡らす。

 ナタリアは、信じられないというように首を振ろうとしたが、彼の大きな手がそれを許さなかった。


 いつもの丁寧な態度はどこへ消えてしまったのか、ぎらぎらと飢えたように光る黒い瞳が、ナタリアを捉えて縛り付けてしまう。


 「――そんな風に怯えるな。あの日のように拒まないでくれ、リア。頼む……」


 黙ったままエドワルドを見上げていると、苦しそうに彼は瞼を伏せた。

 ナタリアの頬に添えられていた彼の両手から、次第に力が抜け落ちていく。


 彼が言っているのが、あの森での出来事を指しているのだ、と気づき、ナタリアは彼の手の上に自分の手を重ね、再び強く自らの頬に押し付けた。

 はっとエドワルドが視線を上げ、ナタリアを渇望の眼差しで見つめてくる。


 「私に怒っていたのではなかったの? あの日、私が倒れてしまったのはあんまり胸がドキドキしてしまったからなのだけど、あの後エドワルドは罰を受けてしまったから……」


 「まさか! そう思わせてしまったのなら、すまない。君の近くにいればいるほど、こうして触れずにはいられなくなるから、距離を置こうと決めたんだ。王陛下は君を他国に嫁がせるつもりだと父に聞かされ、永遠に手の届かない人になってしまったと絶望した。……でも諦めきれなかった。ずっと、君が……君だけが欲しかった!」


 激情を叩きつけるような吐息まじりの低音でエドワルドはそう告白し、ナタリアの濡れた頬を長い指で何度も拭った。

 

 「手袋をしてるから、このままだと頬が赤くなってしまうな」


 そして、大人しくエドワルドに身を委ねているナタリアを覗き込み、「君も同じ気持ちだと、自惚れてもいいだろうか」と今更ながらに尋ねてくる。


 「あなたは趣味が悪いのね」


 どうしてもすぐに素直になれなくて、ナタリアはついそんなことを言ってしまった。何故かエドワルドは嬉しそうに微笑んで、ついばむように優しくその唇をナタリアの頬に落とし始める。


 「そうは思わないが。……それで?」


 次々と流れる涙の粒を、キスで掬い取っているのだと気がつき、ナタリアは恥ずかしさに身をよじった。エドワルドは、逃がさないとばかりに、その腰を片手で引き寄せる。


 「本当に、私でいいの?」


 「君でないと駄目なんだ。リア、愛してる。どうか、私を選んでくれ。――君を生涯、私に守らせてくれ」


 エドワルドの真摯な瞳が、ナタリアの最後の砦を崩していく。

 

 ずっと夢見てきた瞬間を目の当たりにして、ナタリアは何度も瞬きを繰り返した。目の前で愛しそうに自分を見つめるエドワルドが、消えてしまわないかを、確かめるように。


 「では、これがプロポーズなのね。嬉しい……」


 エドワルドの胸にそっと頬を寄せると、彼はわずかに身じろぎし、大きくため息を吐いた。


 「正式な申し込みは、改めてきちんとするさ。その時には、もっと言葉も考えて」


 隠しきれない不機嫌さが入り混じった声でそう呟き、前髪をかき上げようとするエドワルドの手をナタリアがそっと止める。


 「まさか、殿下に張り合おうなんて考えているのでは、ないわよね?」


 「そうだよ、悪いか」


 嫉妬と気恥ずかしさで、エドワルドの口調がついぞ誰も聞いたことのないような、ぶっきらぼうなものになる。

 

 ナタリアは、今度こそ声を立てて笑った。


 こんなエドワルドを見ることが出来るのは、私だけ。

 私だけなのだ、と世界に触れて回りたくなった。


 「ああ、愛してるわ、エド。私にも、貴方だけよ!!」


 そう叫んで、驚いた表情のエドワルドの首に腕を回す。

 自分よりかなり背の低いナタリアに、思い切り飛びつかれたにも関わらず、エドワルドはびくともしなかった。腕の中の愛しい姫を、思い切り抱きしめる。鼻先をナタリアの豊かな髪に埋め、胸いっぱいに彼女の香りを吸い込む。


 「このまま時間がとまればいいのに」


 ナタリアがうっとりと囁いた瞬間、我に返ったようにエドワルドが身体を強張らせた。


 「まずい! 早く帰らねば!!」


 「え……ちょっと、エド? きゃあっ、持ち上げないで!!」


 「しばらく我慢してくれ。捜索隊が組まれたら、大事になってしまう」


 「捜索隊!? どうしてそんな大事おおごとに……」


 「説明は後だ。しっかり掴まって」


 ナタリアの膝の裏に手を差し入れ、彼女の両腕を自分の首に回させてから、優しく抱き上げると、エドワルドはすぐに走り始めた。


 柔らかな夕闇が、滲んだインクのように空に広がり始めていた。




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